月下独酌

書き手:吉田勇蔵  diary「日居月諸」もご高読賜りたく→http://y-tamarisk.hatenadiary.com/  twitter@y_tamarisk

ねじれの位置と思考の立体感

*********** 目 次 ***********
【ねじれの位置とは ――中1数学のおさらい 】
【例えば核兵器廃絶論と核抑止力必要論とのすれちがい】
佐伯啓思『経済成長主義への訣別』を読んで】
村上春樹作品で描かれる異界】
【ねじれは悪いことか】
【ねじれをもちこたえよ】
【参考】


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【ねじれの位置とは― ―中1数学のおさらい 】
 「ねじれの位置」とは、三次元空間において同一平面上にない二直線の関係を表す語である。

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 図で直線ABと直線CBは同一平面ABCD上にあり、交わる。直線ABと直線DCは同一平面ABCD上にあり、平行である。あるいは直線ABと直線HGは同一平面ABGH上にあり、平行である。
(注)「線分AB」ではなく「直線AB」といえば、両端をもたず限りなく伸びる線であることを含意する。
 このように同一平面上に存する二直線は、交わるか平行かのいずれかである。
 それに対し、例えば直線ABと直線FGは同一平面上になく、交わらず平行でもない。この二直線の関係を「ねじれの位置」という。中学1年生が数学の空間図形の章で学ぶ語である。昔も今も同じ学習事項である。

 人々の考えや主張に合意が見出せない場合、異なる意見が同一平面上でぶつかって(交わって)火花を散らすこともあれば、同一平面上で平行のまま収束しないこともある。
 例えば、財政再建を重視し増税と政府支出の緊縮を推進しようとする人々と、経済成長を重視し金融緩和と必要に応じた積極財政を主張する人々の意見は平行のままで収束はしないが、少なくとも近未来に向けて採るべき経済政策はいかにあるべきかという問題意識で同一平面上には立っているのである。
 他方、一見同一テーマについて考えているようでありながら、基本的な問題意識で同一平面に立ってないために他者と思考がすれちがっている場合がある。
 例えば、核廃絶を訴える人々と核抑止力の必要性を説く人々との意見のすれちがいは、二者の考えの関係がねじれの位置にあるがためであろう。図の直線ABと直線FGのように。

 

【例えば核兵器廃絶論と核兵器抑止力必要論とのすれちがい】
 かつて広島、長崎の無辜の人々が受けた原爆被害の惨状は筆舌に尽くしがたいものがある。「原爆は即死が一番いい」(林京子祭りの場』・1975年)というこの世の地獄、大やけどを負って苦悶する老若男女、「肉のつららを全身にたれさげて」立っている被爆者の姿(同書)、「いたかばい。ああいたかばい」と呟く中学生(同書)、どろどろに溶ける赤ん坊・・・  核廃絶を訴える人々は、人類はこのような惨禍を二度と繰り返してはならぬと言う。至極もっともな強い思いである。
 核兵器保有国は増加の傾向にあり、またその破壊力の規模の大きさは72年前の比ではない。だからこそ核兵器廃絶を訴える人々の願いは切実なものである。私もその願い自体に何の異論もない。それどころか尊いとも思う。
 他方現実の国際政治のありようを重視する人々は、核兵器の抑止力によって平和が維持されてきたと主張する。第二次世界大戦後、大国間での戦争がなかったのは核兵器の抑止力がもたらした結果だと。
 核抑止には二つの顔がある。ひとつは自国に対する核攻撃を抑止する基本抑止で、加えて同盟国(あるいは第三国)への核攻撃を抑止する拡大抑止(いわゆる「核の傘」)という二つの顔である。この拡大抑止の有効性については古くから疑問が投げかけられてきたが、特に冷戦終結後の現代では信頼性がかなり揺らいでいる。にもかかわらず、日本が冷戦下で安全を保障されてきたのは、アメリカの核の傘に負うところが大きく、たとえ幻の傘であったとしても幻なりに仮想敵国へそれなりの抑止効果を持っていたのである。冷戦終結後もその効果の残響はなお生きており、それがなければ日本はとうに中国から侵略を受けていただろう。
 残響がいつまでも続くわけはない。日本はいずれ有効な自衛策をとらねばならない。しかもそれは喫緊の課題であるといっても過言ではない。だが一部の論者が言うような対米自立、重武装中立論は眼前の危機に対処する策としては飛躍であり、その心意気は善しとするも、喫緊の対応策としては空理空論にしかならない。今必要な第一歩は非核三原則の見直しであり、アメリカの核持ち込みを公に認めることである。その次の段階として、可否は別としても核シェアリングの議論があろう。それをアメリカ従属と非難する意見もあろうが、重武装中立政策が目前の近未来に採れるわけもなかろう。対米自立、重武装中立論は思想の問題としては有効だが、喫緊の政策問題としては論ずるに値しない。
 だが非核三原則の見直しについては世論の猛反発が予想される。マスコミが煽動し、冷静な議論がないまま、それを提起した内閣はすっ飛ぶかもしれない。
 核兵器廃絶を訴える人々は、核抑止の有効性について疑問を投げかける。アメリカのシュルツ元国務長官は「核兵器はもはや使えない兵器だ。使えなければ抑止力にはならない」と言う。シュルツ、キッシンジャーらアメリカの外交と国防の要職にあった4人の元高官は2008年にウォール・ストリート・ジャーナル紙に共同で文章を発表した。彼らは核拡散の危険性と核抑止力の無効性を指摘し、「核兵器のない世界」の実現を訴えた。日本で反核運動を展開している人々もこの呼びかけを歓迎し、運動のプロパガンダに利用した。
 たしかに、核抑止論は大国間で成立しても、拡大抑止論の有効性はあやしい。あるいはテロリスト集団が小型核兵器を入手し使用する能力を高めれば、近未来において核攻撃を実行する悪夢が現実のものとなるかもしれない。破滅の淵に追い込まれた国家の独裁者が、死なばもろともと核ミサイルを発射するかもしれない。
 これらの悪夢のような可能性に対して核抑止論は無効である。のみならず核廃絶論もまたこの悪夢には無効である。仮に全世界のほとんどが核兵器を廃棄しようとしたとする。その瞬間、ある国もしくは集団がひとり核兵器保有すれば、彼らが全世界を支配することになるだろう。
 政治とは相対性の問題である。諸問題を相対的に扱う技術である。危険性や綻びがあることを承知のうえで、その危険回避の方策を諸国家の協力で追及しつつ、あえて核抑止の力で自国の安全を求めていくしかないと考えるのが政治の立場だ。
 核廃絶を訴える人々は、上に延べたように核抑止力の無効性を主張し、被爆がどれほどに理不尽で残虐なものかを訴える。そして平和とは人類の愛と信義によってもたらされるものだとうたう。それは問題の相対性を踏まえた認識ではなく、絶対的な主張である。
 私の立場はといえば、政治の問題には政治の論理で取り組むべきだと考える者であるが、異なる主張のいずれかに軍配を上げることがこの項の目的ではない。核兵器廃絶を訴える人々と、核兵器による抑止力の必要性を主張する人々の意見はけっして交わらない。平行ですらない。それらは共通の平面に立たず、直線ABと直線FGのようにねじれの位置にあることを確認しておきたい。この問題についてはまた後述する。

 

佐伯啓思著『経済成長主義への訣別』を読んで】
 佐伯啓思氏は東京大学で経済学専攻の大学院生であった頃から経済学への批判を強く抱き続けてきた学者である。滋賀大学経済学部教授を経て京都大学大学院人間・環境学研究科教授の職を勤め上げ、名誉教授の現在は同大学こころの未来研究センター特任教授として活躍中である。自称する肩書は社会思想家である。
 その佐伯氏の近著『経済成長主義への訣別』(2017年5月)は、氏のこれまでの経済学批判の集大成ともいえる書である。
 経済学者たちは、経済学は資源の効率的配分を目的とする客観科学だと自認する。だが佐伯氏は、「効率性の追求」はひとつの価値判断である、と言う。例えば効率性よりも公平性や自然環境の保全を重視するという判断もあり得よう。だが経済学では「効率性の追求」が科学の装いのもとでアプリオリに前提とされていて、その結果我々は「効率性の追求」という価値を疑問の余地なく強制されているのだ、という考え方が氏の経済学批判の肝である。
 効率性の追求とは、資源の稀少性のもとで生産や人々の物的満足の最大化を図ることである。物的満足の最大化を追い求めて、経済は成長してきた。経済成長とはGDP(国内総生産(注)が増加することである。
 (注)国の実体経済を表す指標として、以前はGNP(国民総生産)が用いられていたが、1980年代頃よりGDPに依ることが多くなった。なおGNPは現在ではGNI(国民総所得)に置き換えられている。

 資源の稀少性の条件のもとで、市場経済はホモ・エコノミカス(経済人)の合理的行動によって均衡に向かう。市場経済と資本主義の関係は佐伯氏によって次のように説明される。
 人々は欲望(効用)を満たすため市場で生産物を購入するが、限界効用(注)は逓減する。だがイノベーションによって新たな効用が次々に生み出されるので、欲望は飽和せず、限界効用の逓減は先送りされる。市場は均衡状態に向かうが、新たな効用の出現により均衡は崩れ、再び稀少性の原理に支配される。


(注)「限界」は経済学入門でおなじみの概念である。追加1単位に対する増分というほどの意味である。限界効用逓減の卑近な例をいえば、汗をかいたあとの1杯目のビールは旨いが、2杯、3杯と追加していくと、旨いと思う快感(効用)が次第に減るという現象が分かりやすいか。限界効用は逓減し、限界費用は逓増する。


 稀少性の条件のもとで市場経済は均衡に向かうが、イノベーションによってその均衡は崩れ、市場経済は新たな稀少性をもたらす。この繰返しによって経済は成長する。経済成長の過程で資本は投資によって利潤を得、資本が拡大する。これが市場経済と資本主義それぞれの概念の区別と連関である。
 佐伯氏の前掲書をレヴューしつつ、経済学入門のおさらいも加えておこう。
 投資は社会の貯蓄からくる。貯蓄は国民所得から消費にあてられなかった残余である。投資は総所得のうちの過剰な部分によってなされる経済行動であり、この過剰性がイノベーションを可能とする。経済循環に伴う過剰性によって上に延べた新たな稀少性がもたらされるのであり、経済は成長していくのである。
 ところが貯蓄という過剰性が充分に投資に向けられないとき、GDPの増加率は縮小する。近年先進国の多くの成長率が低下してきたのは周知のとおりである(注)。
(注)ただしアメリカの経済は好調である。リーマンショック後のFRBの金融緩和政策とアメリカに顕著なレヴァレッジ経済(借金の活用)がうまく噛み合ったこと、イノベーションの活発な進展等がその理由であろう。

 日本の場合は、リーマンショックで世界経済が後退した2008~09年にマイナス成長に転落し、2010年にV字回復をしたが、その後は微増の状態が続き、実質、名目ともに年次成長率は0~2%の間で推移している。2016年度の年次成長率は実質で1.3%、名目で1.1%である(内閣府発表)。
 第二次世界大戦後1950年代から70年代前半まで世界経済は大きく成長した。とりわけ戦後の日本経済の高度成長の勢いはめざましく、1956年から1973年までの日本の年次平均経済成長率は9.1%であった。そして二度のオイルショックを経て、高度成長から4%台の低成長率の時代へと移行していったのである。
 1970年代以降の先進諸国の成長率鈍化の現象は、大量生産と大量消費に牽引された工業化社会の進展が限界に近づいたためである。上に延べた「過剰性」が行き場を失い、投資意欲が減退した。
 佐伯氏は大学院生であった70年代に、この行き場を失った過剰性の処理を、市場の効率主義や競争主義にゆだねるのではなく、公正や公平を軸にした「善き社会」のための公共計画に向けられることを期待した。だがその期待は外れた。過剰性にあふれた資金は金融市場で猛威をふるい、あるいはまた新たなイノベーションに向けて利潤の道を追求している。その姿に佐伯氏は失望を隠さないのである。
 前掲書はこの後、成長主義を至上命題とする経済行動がもたらす様々な負の効果に考えを巡らす。その指摘自体はけっして目新しいものではない。1970年5月に始まる朝日新聞の連載記事『くたばれGNP ― 高度経済成長の内幕』は公害問題を軸にして成長主義に疑問を投げかけた。以後今日にいたるまで、経済成長主義に伴う弊害は折につけ論じられてきた。佐伯氏の論考はそれらの負の側面への認識をふまえて、経済成長主義に対する哲学的考察へと進む。
 佐伯氏は論ずる。経済成長主義が不気味なのは、それが目的を持たない無限の「過程」であり、人間を人間たらしめる条件である死生観、自然観、世界観、歴史観、宗教意識といった価値観とまったく交わろうとしないからである、と。これらの「人間の条件」に関る価値観と経済成長主義が永遠に交わらないのは二者が平行であるからではなく、同一平面上に立っていない、すなわち「ねじれの位置」の関係にあるからだろう。
 さらにこの書では「経済成長を哲学する」という章を設けて、経済成長によって得られるものと失われるものについての価値判断の問題等について語られる。「経済成長はなぜ望ましいのか」と疑問を投げかける佐伯氏の問題意識と、価値判断をおかずに経済成長を当然の前提とする経済学や経済政策は、それぞれ別々の平面上にあり、交差せず、平行ですらない位置関係にあることを指摘しておきたい。
 ではこのねじれの位置関係に佐伯氏はどのように対処しようとしているのか、それについてはまた後ほど考えてみたい。

 

村上春樹作品で描かれる異界】
 核兵器廃絶論と核抑止必要論、経済成長主義批判と経済成長政策、ここまで二つの例をあげて両論がねじれの位置にあることを指摘してきた。ねじれているのは、人間存在の根源に関る思考と現実思考の二者の位置関係である。
 このような例をあげていけば枚挙にいとまがない。
 例えば村上春樹氏の文学に目を向けてみよう。村上氏の小説作品には、現実の日常生活のすぐ隣に異界が存在していることが多い。両者はシームレスにつながっていて、異界ではしばしば時間の感覚が失われ、空間も超越する。
 そのような作品を生み出す村上氏自身は、自己の孤独な心を徹底的に探究してきた人であろう。小説、エッセイ等村上氏の膨大な作品を読んできて、氏の孤独な魂の遍歴に思いをめぐらさざるを得ない。
 もちろん現実の村上春樹氏の生活は、善き伴侶と友人、そして多くの読者と名声に囲まれていて、そういう意味では「孤独」と程遠い位置にある。作家になる前の職業生活でも、タフな実生活者であったことはエッセイで明らかである。
 にもかかわらず、村上春樹氏の文学の根底で息づいている心は、孤独な魂の内閉的な世界で織りなされる模様で彩られている。村上作品の登場人物は、「穴」や「井戸」のメタファーで表現されるように、孤に徹する。辿り着く先は「地底界」であったり、「世界の終り」であったりする。そして孤に徹しぬくことで「壁抜け」を果たす。この孤の徹底と壁抜けによって、作品の心は孤を止揚し他者の心につながる。このつながりは多くの読者の心にも届く。作品が読者の心に共鳴するのだ。
 異界では時間が失われる。『ねじまき鳥クロニクル』では、1990年代の世田谷の古井戸の底が1939年のノモンハンに通じているようでもある。『騎士団長殺し』の地底行の場面では、次第に時間の流れが失われていく感覚が描写されている。また空間も超越している。伊豆の病室の穴から地底の世界に入った「私」は、小田原の雑木林の穴の底へ脱出する。

 

 現実の世界はニュートン物理学の法則に従って動いているように私たちは実感している。それが私たちの現実感覚である。
 実在感を持った「物質」の世界の究極の粒子は原子である。原子は原子核と電子からできている。原子核は陽子と中性子で構成されている。原子核の周りを回っている電子はもはや単なる「物質」ではなく、「状態」の性質(波動性)を持つ存在である。「粒子」の性質はあるが「状態」の性質をも併せ持つ存在が量子と呼ばれている。電子は量子の代表選手である。電子はときに「粒子」であるかのような振舞を見せるかと思えば、また局面が異なれば「状態(波)」になってしまう。電子が原子核の周りを回っているといっても、太陽系の惑星のように規則正しい軌道を描くわけではない。空間を無視して別の軌道に移ったりする。さらに軌道自体が明確ではなく、軌跡が幅広く面になっていることもある。電子の「波動」としての性質からくる現象である。
 原子の内と外では世界観がまったく異なって見える。原子の内側では、私たちの日常生活での物理法則の感覚が通用しない。原子の内側の、法則ではなく、波動性を探求する学問が量子力学あるいは量子論である。
 ニュートンに代表される近代科学は、現象の因果関係に関心を向ける。原因と結果の間にある法則を究明しようとする。物理学にかぎらない。医学も社会科学も同様である。そして原因と結果の間には時間の流れがある。
 量子の世界には因果関係がない。原因(入力)と結果(出力)が一致する「固有状態」が量子の世界である。
 量子論では時間が存在しない。時間は流れるものではないと理解されている。時間とはビッグバンとエントロピーの極大化を両端に持つ概念である。その中で、時刻tに対してt+1やt-1の時刻がある。時刻が異なる世界が多数存在しているのであり、この複数ある世界から世界への移動を私たちは「時間の流れ」と実感しているのだ。
 「量子テレポーテーション」のような不思議な現象も確認されている。「量子テレポーテーション」とは、ペアの状態にある2つの量子が、何光年離れていようが、上向き・下向きのコンビネーションが完璧に同時になされるという現象のことである。旧来の時空概念を超越している。
 私たちは日常生活の実感で感じとれる経験だけでリアリズムの世界を考えがちであるが、その常識から大きく離れた量子の世界の光景もまたまぎれもなくリアリズムの実在世界なのである。それは世界の存在の根源に厳として実在している。原子の壁の向こうに実在し、私たちが実感する日常世界を支えている。なにも量子コンピュータの実用化成功を持ち出すまでもなく、このPCを動かしているエレクトロニクスもまた量子の働きによるものである。私たちの常識が通用しない量子の世界は、日常生活とシームレスにつながっている。

 

 村上春樹の小説作品を、ふざけたオカルトとして蔑む人がときどきいる。しかし諸作品で描かれている異界は、村上氏の心のリアリズムなのだ。「量子テレポーテーション」がリアルな現象であるのと同じようにである。原子の壁の内の量子の世界が私たちの日常生活の基底に実在するように、村上氏が描く時空を超越した異界が私たちの日常の心模様の深層に息づいているのだ。言語の壁を超えて世界の多くの読者の共感を呼ぶ所以はそこにある。オカルトの面白さで喜んでいるのではない。
 私たちの日常感覚と村上作品で描かれる異界での感覚は同一平面上にはない。同一平面上になくともつながりはあり、反響し合う。ねじれの位置にある二者は、どちらもひとつの立体図形の中にあるからだ。

 

【ねじれは悪いことか】
 著述のなかで「ねじれ」という言葉をよく使う論者がいる。例えば文芸評論家の加藤典洋氏がその一人だ。
 氏の評判作『敗戦後論』(1997年・雑誌初出は95年)にもこの語が何度も登場する。『敗戦後論』で加藤氏は、日本における先の戦争(第二次世界大戦)を義のない侵略戦争と捉える。戦後民主主義による日本人の価値観は、日本の自存自衛とアジア解放という義を信じた兵士の死とねじれの関係をもたらす、と加藤氏は語る。単なるねじれではなく、戦後の日本人にねじれの自覚がないぶん、二重の転倒となっている。だからまずねじれを指摘することから論議を始めねばならいのだと、加藤氏は嘆息する。そしていわゆる護憲派憲法観を例に挙げ、彼らにねじれの自覚がないことを指摘する。
 加藤氏は、「平和憲法」を称える文学者の声明(湾岸戦争時)を見て、この憲法は日本人の自発的な選択だったのだという彼らの無邪気な主張を批判する。加藤氏自身は「平和憲法」の理念を高く評価するのだが、それが戦勝国アメリカからの押しつけであったという史実を直視する。押しつけられた憲法が日本人の価値観からして否定されるべき代物だったとしたらねじれは軽症だが、加藤氏にとって、いや、加藤氏の考える戦後日本人にとって、「平和憲法」の理念は肯定すべき価値観に基づいているから、ねじれは深刻であると考えられているのだ。
 いまだに、現行憲法は押しつけではなかった、当時の日本人が自発的に草案を作り、正当な手続きを経て選択したのだという単純な主張をする護憲派の人々が少なくない。そこそこ人気がある中堅作家が、そんな主張を、近年にいたってもなお朝日新聞に寄稿していたりする。思考が薄っぺらなまま凍結している。
 加藤氏は占領軍に押しつけられた憲法だという事実を直視している点で、凡俗の護憲派論者とは一線を画している。凡俗の護憲派論者には、戦後の日本人が背負っている(加藤氏が言うところの)「ねじれの自覚」がないのだ。
 「ねじれの自覚」の欠落の指摘は、護憲派だけでなく改憲派にも向けられている。改憲派の多くは戦前日本の価値観をかならずしも否定しないから、やはり戦後の価値観とねじれていると加藤氏は言う。
 加藤氏はこの憲法のねじれに立脚したうえでの主張として、「平和憲法」の価値を積極的に認めるがゆえに、「強制されたものを、いま、自発的に、もう一度「選び直す」」(前掲書)という方法を提起するのである。
 私は加藤氏の歴史観にまったく同意しない。現行憲法には国家主権の剥奪という致命的な欠陥があると考えているから、加藤氏の言うような「この憲法を選び直す」という価値観はまったく持っていない。しかし加藤氏の歴史観憲法観を批判することが本稿の目的ではないので、それは措く。

 本稿で関心があるのは加藤氏の「ねじれ」観である。私が前項までに述べてきた「ねじれ」とは、人間存在の根源に関わる思考と現実思考の二者の位置関係を指して言った言葉だった。立体図形が当然に内包している位置関係であり、それが良いとか悪いと言っているのではない。それに対し加藤氏が使う「ねじれ」という言葉には、正しかるべき形状がねじれてしまったというニュアンスが含まれている。
 

f:id:y_tamarisk:20180103150341j:plain 加藤氏がイメージする「ねじれ」その(1)

 

 さらに加藤氏は、戦後日本人にはねじれの自覚がなく、そのため二重の転倒が生じていると述べる。「ねじりドーナツ」のようなものだろう。

 

 f:id:y_tamarisk:20180103150650j:plain 加藤氏がイメージする「ねじれ」その(2)

 

 私が立体図形の中の二者の位置関係について「ねじれ」を考えているのに対し、加藤氏は立体そのものが何らかの力学作用を受けて「ねじれ」たと言っているのだ。同じ言葉を使っていても、定義が異なっている。
 加藤氏の定義に従ってあらためて見ていくと、「ねじれ」に立ち向かう方法として上記の「選び直し」論が提起されているのであり、それはけっして「ねじれ」の矯正を意味しているわけではない。「ねじれ」をそのままに受け止めよと言っているのである。
 この『敗戦後論』の終盤で加藤氏は、1971年芸術院会員の推輓を受けたときそれを辞退した大岡昇平の態度に共感を寄せている。大岡は戦時中捕虜になったという「恥ずべき汚点」(大岡の言葉)を辞退の理由にあげた。『敗戦後論』は次の文章で論考を締め括っている。

 

 大岡は、戦後というサッカー場の最も身体の軸のしっかりしたゴールキーパーだった。
 一九四五年八月、負け点を引き受け、長い戦後を、敗者として生きた。
 きっと、「ねじれ」からの回復とは、「ねじれ」を最後までもちこたえる、ということである。
 そのことのほうが、回復それ自体より、経験としては大きい。

 

 加藤氏にばかり焦点をあてたが、「ねじれ」という言葉を著述の中でよく使う論者は他にもいる。ちょっと前まで「衆参ねじれ国会」という言葉も報道でよく使われていた。私もまた別の稿で「憲法と現実のねじれ」という言葉を使ったことがある。「ねじれ」という言葉は、たいていの場合、困った状態というニュアンスで用いられている。ねじりドーナツに猛省を促しているようでもある。
 加藤氏は「ねじれ」を直視し、それをもちこたえよと言っているのである。
 私もまた、「ねじれ」の定義は若干異なるものの、前項までに述べた二者の位置関係を困った状態だと考えているわけではない。今いる部屋を見渡すと、東西にのびる鴨居と南北に走る敷居はねじれの位置にある。別に彼らに猛省を促すつもりはない。三次元空間とはそういうものだから。

 

【ねじれをもちこたえよ】
 論壇等で見聞きする論考には左やら右やらその他あまたあるが、玉石混交であり、あまりにも単調な主張に出くわして辟易とすることもある。論者の思考の内に「ねじれ」がもたらす発酵が感じ取れないからである。

 核兵器廃絶を訴える人たちは、核抑止必要論に単に反対するだけではなく、その論をほとんど軽蔑しているといっても過言ではない。自分たちの主張は絶対的な善であるという確信を彼らは持っている。問題を相対的に考える政治の言葉は彼らに通じない。絶対的な善なのだ。人類滅亡の危険性を前にしているのに相対的な問題だとはいったい何を言ってるのか! と彼らは怒る。自分の主張とねじれの位置にある政治の言葉にも考えをめぐらしてみようという発想自体がない。
 では彼らの言葉に政治性はないのか。ある。彼らの「善」が党派性に絡めとられていることに自覚がないだけだ。党派性とは、彼らの反核感情を吸い上げて勢力拡大に利用しようとする○○党や△△党あるいは××国のことだけを言っているのではない。彼らの「絶対的善」自体がファシズムという党派性を帯びているのだ。
 1982年1月、中野孝次小田切秀雄、西田勝、小田実らが発起人となって『核戦争の危機を訴える文学者の声明』が発せられた。36年も前の声明であるが、ここに孕まれている反核運動の問題点は2017~18年の現在にそのままつながっている。現在の反核運動もまったく同じ危険性を持っているのだ。何ひとつ克服されていない。だからここで取り上げる。この声明の全文は本稿末尾の【参考】の項に掲げるが、核心部だけここに引用しておこう。

 

人類の生存のために、私たちはここに、すべての国家、人類、社会体制の違い、あらゆる思想信条の相違をこえて、核兵器の廃絶をめざし、この新たな軍拡競争をただちに中止せよ、と各国の指導者、責任者に求める。同時に、非核三原則の厳守を日本政府に要求する。「ヒロシマ」、「ナガサキ」を体験した私たちは、地球がふたたび新たな、しかも最後の核戦争の戦場となることを防ぐために全力をつくすことが人類への義務と考えるものです。

 

 この声明への賛同の『署名についてのお願い』という文章が中野孝次らによって雑誌(『文藝』1982年3月号)に発表された。その文章では、アメリカでレーガン政権が発足して以来軍備増強論が高まり核戦争の脅威が迫っていると警鐘を鳴らし、彼らの危機感を訴えている。
 この『声明』と『お願い』に吉本隆明は激しく怒った。『停滞論』(雑誌初出1982年、『マス・イメージ論』・84年に所収)や『「反核」異論』(84年)などの著述である。
 吉本の第一の指摘は、『お願い』がアメリカの核戦略のみを非難しているという党派性に向けられる。『声明』や『お願い』が発表されたのは、米ソ両大国のヨーロッパでの核兵器配備をめぐり緊張が高まった時期(いわゆる第2次冷戦)である。アメリカの核兵器配備に対し、西ドイツを発祥地とする反核平和運動のうねりが各地に広がってソ連を利した。ソ連はそれを隠れ蓑として、当時ポーランドで高まっていた民主化運動を弾圧した。『声明』はこの反核平和運動の流れに乗るものであり、「すべての国家、人類、社会体制の違い、あらゆる思想信条の相違をこえて」と一見普遍性をうたいながら、その実は反米運動なのである。吉本はこれを「ソフト・スターリン主義」と呼んで、その党派性を批判した。
 吉本の第二の指摘はより重要で、21世紀の今日もそのままにある問題なのだ。吉本は反核運動に対して、「誰からも非難や批判を受けなくてすむ正義を独占した言語にかくれて」現実の政治の論理から安易に目をそむけているだけの「倫理的な言語の仮面をかぶった退廃、かぎりない停滞以外の何ものでもない」と批判した。その結果吉本は、文壇や論壇で非難の集中砲火を浴び、孤立無援の状態に陥った。
 正義を独占した人たちは暴走する。『声明』発起人の一人である詩人・栗原貞子中上健次の小説作品「鴉」を槍玉にあげ、原爆被害者を侮辱するものだと断罪する。そしてその作品を掲載した雑誌「群像」に謝罪を要求するありさまだ。まるで紅衛兵の文学者吊し上げだ。中上健次はこのような妄動を「原爆ファシズム」と呼んだ。
 吉本は反核運動の倫理的退廃を指摘したことで、原爆賛成派のレッテルを貼られ、四方八方から石を投げつけられた。江藤淳など、『声明』に賛成の署名をしなかっただけで、やはり原爆賛成派と決めつけられた。吉本はこのような情況を「社会ファシズム」と呼んだ。
 この『声明』には500名を超える文学者が賛同の署名をし、一般からは2千万人の賛同署名が集まった。さらに翌年の反核集会では35万人が参加し、一斉に横たわって死んだ真似をするダイ・インというパフォーマンスが話題になったりした。
 賛同署名者2千万人である! 恐ろしいことだ。確信的に署名をした人がいる一方、何となく気軽に署名をした人も多いのだろう。戦争はいやだ、原爆などなくなればいいに決まっている、という程度の気軽な署名だ。吉本は「“核廃絶”に難しい理屈は必要ありません」という新聞の読者投稿を紹介している。
 吉本隆明は長年の言論活動で大衆論を大きなテーマとのひとつとして思索し続けた思想家である。吉本はこの2千万人に対して「さし当たってぼくは言うことはない」と評価を避けつつも、「どこかでこの2千万人を超える道を探したいっていう気がするんです」と大衆に対する複雑な思いを吐露している。
 私はこの2千万人に対しても批判的にならざるを得ない。2千万人の後ろに同種の人たちがその何倍もいるにちがいない。30数年前の妄動ではなく、今のことを言ってるのだ。この幾千万人の人たちが、その素朴な情緒で自覚なく政治の営為の手を縛り、今日の日本を亡国の淵に追いつめてきたのだ。
 2015年平和安全法制への反対世論がピークに達していた頃、その年の8月9日のNHKニュース7を思い出す。当時の拙ブログから引用しておこう。

 

 8月9日のNHKTV午後7時のニュース、長崎市の平和祈念式典のニュースを伝えたあと、画面は市内の繁華街で核廃絶の署名活動をしている人たちの映像に変わった。それを伝えるアナウンサーが「なかには署名せずに通り過ぎる人もいました」と言った。アナウンサーの表情や口調には「なさけない、残念なことだ」というニュアンスがありありで、無関心な人々が増えていることを嘆いているようであった。もし私がその場にいたなら、必ず署名を拒んだだろう。なぜなら「核廃絶」というポエムがもたらしている“空気”としての反核運動に反対だから。全員が署名すべきだと言わんばかりのNHKの報道姿勢は、反核全体主義に陥っている。(拙ブログ『平和安全法制をめぐる大衆世論の危うさ(1).2015年8月26日』より)

 

 『声明』発起人の煽動者から2千万人の追随者にいたるまで、自分たちの正義が属する同一平面でしかものが見えていないのである。ねじれの位置にある思考を含む立体像など想像だに及んでいないのだ。

 

 冒頭の立体見取図を再掲する。

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 直線FGの位置にある思考を直線ABと同一平面上にあるかのように直結する愚かさは、村上春樹氏の社会的発言にも顕著である。本稿第4項で述べたように、村上氏の根源的思考は時空を超越した心の深層に及ぶ。人類の暴力の歴史は集合的無意識層に潜む事象として認識される。そこでは時系列の因果関係は消えている。物理学の根源にある量子論に因果関係がないようにである。
 そして村上氏は、この時間軸を持たない歴史観という不思議な認識で現実の政治の諸問題を語るのである。だから日本国憲法の「平和主義」は単に人道的見地からのみ擁護される。19世紀後半から20世紀半ばに至る日本と東アジアの関係については、彼らがもういいと言うまで今後も日本が謝罪を続けなければいけない問題だと、毎日新聞共同通信を通じて繰返し主張している。歴史を縦の時間軸と世界の水平軸との関係で捉えて「今」を考えることができないからである。直線ABと直線FGを同一平面上で捉えられると思い違いをしているのである。愚かである。

 

 

 経済成長主義への批判を展開する佐伯啓思氏もまた、人類にとって「経済」とは何かという問題を根源的に投げかけている。佐伯氏の旧著『経済学の犯罪』(2012年)では文化人類学の知見を援用して、貨幣を人間の象徴作用の過剰性の産物として捉える。過剰性を処理するには「浪費」と「貯蓄→移転→成長」という二つの選択肢しかない。そして「富の破壊(浪費)」が否定された時代に経済成長の追求が始まった。これが佐伯氏の経済成長という現象への基本理解である。
 そして近代以降の理性主義と科学・技術の発展による変革を通じて、社会は外延的拡張の道をたどり、グローバリズムや情報ネットワークのめざましい発展をもたらした。さらに生命科学の研究の深化は、人間の生への意識をも外延的拡張の方向に導いている。
 経済成長を至上命題としてきた近代以降の社会では、外延的拡張の趨勢のもと、内向的凝縮のモーメントがおろそかにされてきた。内向的凝縮のモーメントとは、家族や親密的な共同体での生活を重視すること、死を前提とした生命観、理性主義や科学技術の偏重に対する宗教や哲学観の尊重等々のことである。
 佐伯氏は、経済成長主義のもとで見失われてきた人間の条件、すなわち「生命」「自然」「世界」「精神」の大切さを、ソクラテスの説くコスモスの秩序原理から考察する。あるいはまた、アリストテレスの説く「善き生」から内向的凝縮のモーメントを考察する。
 これらの思考は、太古の昔の貨幣の発生起源(前掲旧著)から、近代以降の市場経済と資本主義の進展を経て、今日のグローバルな金融資本主義にいたるまでの、経済成長の根源に横たわる問題を、巨視的に歴史を見る視点から捉えようとしたものである。
 そして佐伯氏の経済成長主義批判のもうひとつのモチーフは、経済成長はもう限界が近づいているという問題意識である。先進諸国は概ね低成長であり、日本は既に生産労働人口が減少する段階に入っている。AIやロボット等のイノベーション労働生産性を高めることはできるが、中長期的に見れば、このイノベーションは雇用の減少をもたらす。格差が拡大し、消費は伸び悩む。需要の減退が経済成長のブレーキとなる。このへんの考察は佐伯氏の最近の雑誌論文『AIに奪われる成長』(「Voice」2018年1月号)に詳しい。
 日本の目先の経済指標を見れば、企業業績は好調で、失業率は低下し有効求人倍率は上昇している。実質GDPは7四半期連続でプラス成長を維持している。しかし実質賃金は上がらない。需要に牽引される形での物価水準上昇も見られない。世界的に見ても目先の景気は堅調であるが、ここ四半世紀のスパンで見れば、イノベーションが進展したにもかかわらず、国民所得全体は微増にとどまっている。富が少数の勝者に集中し、格差が拡大している。
 佐伯氏の論点は二つである。経済成長主義への哲学的見地からの批判と、この四半世紀ほどの間に顕在化してきた経済成長の限界についての指摘である。『経済成長主義への訣別』ではこの二つの論点が織り合わされている。
 もちろんこの二つに関連性はあるのだが、とりあえず便宜的に二つにわけて考えてみよう。前者は人類にとって経済成長とは何だったのかという根源的な問いであり、後者は今日の経済政策上の問題である。
 前者について考えるならば、経済成長が良いとか悪いとかの判断を下す以前に、人類は悠久の歴史の中でその道を辿ってきてしまったのである。近代以降に限定しても、科学技術の進歩とともに市場経済は拡大を続け、資本主義が巨大化してきたのだ。吉本隆明が繰返し用いていた言葉を借りれば、歴史の無意識が資本主義を生み出したのである。21世紀前半の今、市場経済と資本主義は私たちにとって巨大な宿命である。この宿命を相対化してその意味を探ろうとする営みは知識人の大きな役割である。佐伯氏の長年にわたる経済への哲学的考察については、私も学ぶところ大で大変尊敬している。
 現代資本主義は、テクノロジーの発達にも促進され、グローバルな金融市場を膨張させた。経済は高度に抽象化され、少数の勝者が巨利を獲得する一方、その金融資本主義が社会の安定を脅かすマモンと化しつつある。
 佐伯氏あるいはその他の少数の論者は、経済成長はもう行き詰まるだろうと言う。資本主義の終焉を語る論者もいる。それは予測の問題である。過去から現在に至る歴史の分析がいかに的確であったとしても、予測を断定できる者はいない。佐伯氏も書いているではないか。「いずれ、これは将来予想にかかわることで、実際には誰も将来のことなどわかりはしない」と(前掲書371頁)。
 成長の鈍化あるいは行き詰まり、グローバリズムによるリージョナルな文化の破壊、社会の不安定化等々の問題にどのように対処するかは政策上の問題である。しかるに佐伯氏もまた、経済への根源的思考(直線FG)を現実の政策の問題(直線AB)に直結しようとはしていないか・・・ いやそんなことはないのか、微妙なところがある。
 佐伯氏は前掲書の末尾近くで、脱成長についての方法や政策についての具体的な提案はない、それは本書の関心外である、という趣旨の文章を書いている(375頁)。つまり直線FGからの問題提起であり、直線ABは同一平面上にはなくまた別問題だと言っているのである。
 前記の「人間の条件」や「内向的凝縮のモーメント」等の価値観を経済成長主義に対置する佐伯氏の論は、根源的思考から発せられる主張である。その主張が現実の政策と響き合うことへの期待は思考が立体的であることの証左だろう。ならば「ねじれをもちこたえている」のである。
 だがこの主張がさらに歩を進めて、いわゆる「定常型社会」(広井良典氏)への共感を述べるに至るくだりはどうだろう。定常型社会とは自然エネルギーを活用したローカルな地域コミュニティを軸とする経済社会の構想である。なるほど佐伯氏はその構想を提案しているわけではないが、共感を表明しているのである(前掲書363~364頁)。これは知識人が夢想するユートピアだ。
 そのようなユートピア思想で現実の経済政策を批判すればどういうことになるのか。経済成長が停止しあるいは経済が縮小していくと、失業者が増加し、社会はきわめて不安定な状態に陥るだろう。日本企業の生産力は質、量ともに低下し、外国資本にとっても海外市場にとっても日本企業はもう出がらしのようなものになってしまうだろう。そして何よりも、経済が縮小すれば日本の国防はもう絶望的な状態になってしまう。近年の中国の軍事力の飛躍的な強大化は経済成長とともにあったことを忘れてはならない。
 経済成長の困難性という問題が不可避な時代ではあるが、政策に関わる者は叡智を結集して、何とかこの困難な経済をマネージしていかねばならないのである。それは、1万年前に定住生活を始めた人類が背負っている業(ごう)、戦争の歴史のなかでついには核兵器を所持してしまったという人類の業(ごう)から、ポエムで逃れようとするのではなく、それをマネージする叡智に期待するしかないのと同じことである。

 

 人間にとっての経済という大問題に1970年代以来取り組んでこられた佐伯啓思氏の近著『経済成長主義への訣別』が、そのテーマでの集大成の書であるのなら、終章がいささか寂しかった。
 ねじれをもちこたえてほしかったのである。
(了)

 

【参考】
 www.recna.nagasaki-u.ac.jp

 

☆☆
1982年1月20日
            核戦争の危機を訴える文学者の声明
 地球上には現在、全生物をくりかえし何度も殺戮するに足る核兵器が蓄えられています。ひとたび核戦争が起これば、それはもはや一国、一地域、一大陸の破壊にとどまらず地球そのもの破滅を意味します。にもかかわらず、最近、中性子爆弾、新型ロケット、巡航ミサイルなどの開発によって、限定核戦争は可能であるという恐るべき考えが公然と発表され、実行されようとしています。
 私たちはかかる考えと動きに反対する。核兵器による限定戦争などはありえないのです。核兵器がひとたび使用されれば、それはただちにエスカレートして全面核戦争に発展し、全世界を破滅せしめるにいたることはあまりにも明らかです。
 人類の生存のために、私たちはここに、すべての国家、人類、社会体制の違い、あらゆる思想信条の相違をこえて、核兵器の廃絶をめざし、この新たな軍拡競争をただちに中止せよ、と各国の指導者、責任者に求める。同時に、非核三原則の厳守を日本政府に要求する。「ヒロシマ」、「ナガサキ」を体験した私たちは、地球がふたたび新たな、しかも最後の核戦争の戦場となることを防ぐために全力をつくすことが人類への義務と考えるものです。私たちはこの地球上のすべての人々にむかって、ただちに平和のために行動するよう訴えます。決して断念することなく、いっそう力をこめて。

「核戦争の危機を訴える文学者の声明」世話人一同
井伏鱒二井上清井上ひさし生島治郎巌谷大四尾崎一雄大江健三郎小野十三郎小田切秀雄小田実木下順二栗原貞子、古浦千穂子、小中陽太郎草野心平黒古一夫住井すゑ高橋健二高野庸一夏堀正元中里喜昭中野孝次中村武志、南坊義道、西田勝、埴谷雄高林京子藤枝静男堀田善衛本多秋五星野光徳真継伸彦三好徹安岡章太郎吉行淳之介伊藤成彦

 

 

☆☆☆ 村上春樹作品の各論については過去ブログの拙文を参照されたい。

 

y-tamarisk.hatenablog.com

 

y-tamarisk.hatenablog.com

 

岩田温・考 ――「リベラルな保守」って何?

***** 目 次 *****

【若き政治哲学者】

【SNS等での発言】

【「リベラルな保守」って何?】

***************

 

【若き政治哲学者】

 政治哲学者・岩田温氏の名を初めて知ったのは2012年に産経新聞の新刊書広告を見たときだった。小さな出版社としては珍しく比較的大きなスペースを割いて、岩田氏の写真とその新著『政治とはなにか』を紹介していた。興味が惹かれて早速購入した。書き下ろしの序論以外は200711年に発表された評論文や講演録の寄せ集めで、若干の玉石混交という部分もあるものの、総じて期待にたがわず、読んで感銘を受けた書だった。

 読了後著者の言説に興味をもって、すぐに前著『逆説の政治哲学 正義が人を殺すとき』(2011年.書き下ろし)を読んだ。一層の感銘を受けた。そしてさらに氏の処女作『日本人の歴史哲学 ―なぜ彼らは立ち上がったのか―』(2005年.書き下ろし)を読みたくなった。あいにく絶版だったが、古本で入手することができた。立て続けに3冊読んだわけだ。

 以上の3冊はいずれも、1983年生れの岩田氏が20代のときに著した書である。この若さでよくもこれだけの学識を積み重ね、政治と人間というテーマで深い考察が展開できるものだと感心した。

ときに非合理的な行動をとる人間には、政治科学という学問ではつかみ取れない面がある。岩田氏はそのような人間と政治の関係について、歴史上の様々な政治現象に考えを巡らせ、また現下の政治風景や経済思想にも目を配り、政治とは何か、そして否応もなく政治の中で生きる人間とは何か、について縦横に論じている。

 『政治とはなにか』と『逆説の政治哲学』の2冊は、政治や政治思想に関心を持ち始めた初学者にとってはうってつけの入門書であると同時に、それらのテーマの本をある程度読んできた者があらためて考えなおすためにも有為である。特に『逆説の政治哲学』は平易な記述が豊富な学識に裏づけられているから、初学者にもそうでない者にも、どちらにとっても価値ある1冊である。

 優れた作家は、長期にわたる創作活動での核心的本質を処女作のなかで露わにしていることがしばしばある。分野は違うが、岩田氏の処女作『日本人の歴史哲学』にもそういうところがある。この著の執筆時点での氏の年齢は21歳である。日本の先人たちの精神の燃焼を歴史のなかから読み取り、現代日本を捉えなおそうという大きな問題意識を持った書である。巻頭で哲学者の長谷川三千子氏(当時埼玉大学教授)が3ページにわたる推薦の辞を寄せていて、岩田氏のこの大きな問題意識と各章におけるその展開を称賛している。長谷川氏のこの推薦の辞はけして仲間褒めや社交辞令の類いのものではなく、若き俊才への尊敬と愛情が滲み出ている良い文章である。

 何年前だったか、私はツイッターで『日本人の歴史哲学』について触れ、このような良書はぜひ復刻して多くの人に読んでもらいたいものだと呟いたことがあった。岩田氏から応答があり、謝辞を述べられたあとで、若い頃の未熟な書ですと述べられていた(具体的な言葉は忘れたので、大意である)。その後何年も研鑽を積まれた今の時点から振り返れば、自身の基準で未熟にも見えるのだろうが、にもかかわらず、読者の立場で言えば、岩田氏の思索の核心部になまに触れられる貴重な書なのである。核心部分とは、歴史の水脈に流れる日本の先人たちの精神を描き出し、そして現代日本人を考えようという氏の問題意識のことである。

 村上春樹氏もまた処女作『風の歌を聴け』を若書きの習作としてあまり触れたくないようすであり、海外での翻訳出版を許してこなかった(今どうなのかは知らない)。村上氏の大成して後の基準では未熟な習作なのだろうが、読者の目から見れば春樹文学の核心に関わる心が表現されている名作なのだ。

 岩田氏にとっての『日本人の歴史哲学』も同じことかもしれない。

 私はこれらの3冊を読んで、岩田氏の思索者としての質の高さと豊かさに尊敬の念を持った。

 

【SNS等での発言】

その後現在まで岩田氏が上梓した本は――私の記憶違いでなければ――5冊(共著1冊を含む)である。いずれも読んだが、あまり印象に残っていない。政治哲学に関する本はこの5冊のなかにはない。今後のことは知らない。

近年はネット上の言論サイトやブログ、フェイスブックツイッター上での岩田氏の発言を目にすることが多くなった。また保守系論壇誌での記事もときどき見かける(たまにしか購入しないが、広告でわかる)。私はこれらでの氏の発言にしばしば失望することがある。

ブログ(「岩田温の備忘録」)、言論サイト(「アゴラ」「BLOGOS」「iRONNA」等)での記事の多くは時事問題への発言である。なかに良い文章もあるが、大半は居酒屋談義レベルでの発言である。時事問題についてもおおいに発言すればいいが、それならそれでプロの論客としての掘り下げはないのか、と思うのである。「アゴラ」「BLOGOS」「iRONNA」から岩田氏執筆の記事を任意に3本選んで読んでみよ。3本とも良い記事だと感想を持てるのなら、あなたはかなりクジ運が強い人である。

それらをここでいちいち引用しないが、最近の「iRONNA」からひとつだけ拾ってみよう。『「秘書いじめ」豊田真由子議員だけが悪いのか』と題する岩田氏の論考である。秘書を激しく罵ったり暴力を振るったりする豊田議員も悪いが、秘書も議員を諫めればいいではないかという、それだけの結論である。孫子を例として持ち出している部分は本題と不釣り合いである。そのへんでたむろして世間話をしているおっさんおばはんのおしゃべりとどこが違うのか。いや、おっさんおばはんの世間話の方がもうちょっと面白いかもしれない。プロの論客たちが集う言論サイトで恥ずかしいだろ。

同じ話題に関連した文章なら、ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さん(そのへんのおばはんではありません、念の為)のブログの方がよほど面白い。

 

そして国会議員さんのおどろくべき

ニュースも飛び込んで来て、私は朝から完全にもらい事故。

「次はあなたよ」と母から電話があったり

「マネージャーの松田君が録音してないか確かめてから怒鳴るように」など、不必要なアドバイスまであったり。

人のふり見て我がふり直せですね。

 (高嶋ちさ子オフィシャルブログ6/25より一部引用)

 

 岩田氏のツイッターとなると、読むに堪えないこともときどきある。ひとつには政治学者・山口二郎氏の2年前のアジ演説の一部を切り取って何度も何度も執拗に引用し揶揄し続けること。2年間にわたるその執拗さには辟易とする。

あるいは意味不明の罵倒もある。岩田氏が学生時代を過ごした大学での私怨から発しているとしか思えないのだが、某教授の実名をあげて人格攻撃と罵倒を繰り返す。批判ならよい。言論人としての批判はおおいに展開すればよい。岩田氏が5月から6月にかけて3回繰り返したこの罵倒ツイートにはどこにも批判の手がかりがない。きっかけはこの教授が新著を上梓したということであるらしい。岩田氏は自分の嫌いな人間が本を出版することも許さないのか。それでよく「僕はリベラルな保守」と言えるな。岩田氏は書く。「ゴミ」「家に置いておくだけで恥ずかしい」「白紙の方がずっと有益」・・・もっとあるが、本の内容については一言もない。従って批判の視点がどこにもなく、ただ悪罵の羅列があるだけだ。それだけでは憤怒が収まらず、日を改めて罵倒を繰り返す。「言論弾圧マニア」「早稲田大学の恥辱」等々、3週間で計3回、そのつど実名をフルネームであげて、不特定多数が見ているツイッターで人格攻撃と侮辱を加える。刑法上も民法上も不法行為だろう。さっさと削除したほうがよいと思う。

 

どのような事情があるのか知らないが、どのような事情があるにせよ、他者に対して守らなければならない規範があるはずだ。他者とは、仲間内の人間以外の人という意味である。規範意識は他者を尊重する心から生まれる。そして「他者の発見」はリベラリズムのひとつの要件ではないのか。岩田温氏は「リベラルな保守」を自認しているのではなかったか。リベラリズムは真に氏の血肉から発する思想か。知識によって得た衣装ではないのか。

 

 岩田氏のツイッターで見かけるこの種の乱暴さは頻繁にあるわけではない(たまにある)。私がもう氏のツイートをフォローするのをやめようと思ったのは、平常のツイートにも私の心と何か波長が合わない香りが漂っていて、うんざりしたからである。フォローしていると、氏の呟きがそのつど私のPC上に流れてくる。いったん打ち切って、気が向いたときだけ氏のアカウントを覗けばいいのだと考えて、今年の春先に岩田氏へのフォローを解除した。1か月ぐらいしてから岩田氏も私へのフォローを解除した。気が向いて氏のアカウントを閲覧することはもうたまにしかない。今後ブロックされればそれまで、一向にかまわない。

 一般にツイッターでの発言はその人の普段着での呟きであり、ある一つのツイートだけを取り出して批判の対象とするような振舞は大人げないとも思う。だが同趣旨の発言を日を改めて繰返し強調している場合、あるいはその人の年来の主張に即しての発言である場合には、その流れを踏まえて批判することは“あり”だと思う。

 そのような観点から私は今年2月の当ブログで岩田氏のツイートを強く批判したことがある。岩田氏が遠藤周作の小説『沈黙』への嫌悪感をツイッターで、1か月の間をおいて2度発信したときである。今年2月の当ブログ「『沈黙』――小説と映画」に「付記」という項を添えて、岩田氏の年来の文学観を批判したのだ。かなりきつい言葉を連ねて、文学は政治の具ではない、と主張した。今その「付記」は削除している。ブログ本文の主旨は『沈黙』の小説と映画を比較しての感想であり、それだけでもかなりの長文だ。当該「付記」も長い。本論のテーマに直接関係しない「付記」が全体のバランスを崩すことを危惧しつつ、それでも岩田氏の発言を見過ごすこともできず、1か月の期間限定のつもりで「付記」を掲載することにした。そして1か月半後に当該「付記」を削除した。私自身の不都合に起因する削除ではない。原稿はPCに保管しているので、必要あればいつでも簡単に復活できる。たぶん必要はないと思うが。

 岩田氏が執筆した雑誌記事を手厳しく批判したこともある。20164月発売の「正論SP(スペシャル)」に掲載された『憲法マップ』とそれに関連した岩田氏の解説文『政治家と知識人』についてである。当ブログ201671日付の拙文『オープンマインドな憲法論議を ――「憲法マップ」への疑問』でその記事のお粗末さを批判した。これは削除していない。当ブログ右欄の2016アーカイブの中に保存されている。

 

 さて、ここまで延べたような岩田氏の思索者としての質の高さや豊かさと、氏のネット上等での発言の凡庸さや愚劣さとの間にはすごい落差がある。なぜなのか? と考えても仕方がない。そんな「なぜ?」には関心がない。落差があるな、と思うだけである。

 

【「リベラルな保守」って何?】

 岩田氏はSNS等で「リベラルな保守」という言葉で自己を規定していることがよくある。近年なし崩し的に使う頻度が増えているようだが、「リベラルな保守」とはどのような思想であるのか、それについての氏のまとまった論考を、今の時点で私の知る範囲では読んだり聞いたりしていない。本稿冒頭で掲げた3冊の本の中にもない。氏が近年よく使うようになった言葉である。

 たとえばどのようなときに使っているか。

 自分は意見が違う人とも仲良くできる、だからリベラルな精神の持主なのだというニュアンスで自賛しているのを何度か見かけた。ただそのとき、その人と意見の違いについて議論をしている姿を見たことは一度もない。「意見は違うが・・・」と呟きはするが、その人と真剣に議論をするのは避ける。

たとえば民主党(現・民進党)の参議院議員小西洋之氏に対して、あれほど嫌悪感を剥き出しにしてツイッターで繰返し批判していたのに、いざ「朝まで生テレビ」の楽屋で仲良くなると、「意見は違うが、いい人だ」となって、そのリベラル(?)な態度をツイッターなどで自賛する。討論番組なのだから激論を交わして、そのうえで肝胆相照らしたのなら立派なのだが。 私は岩田氏の小西氏への嫌悪感をこめたツイートを見ていたから、番組が始まると、議論が白熱し、ついには岩田氏が隠し持ったフライパンを取り出して小西氏の顔面をひっぱたくのではないかと、はらはらして見ていた。手に汗を握っていた。そんなことは全然なく、和やかに番組は終わった。「意見の違い」を激しく戦わせる場面もなかった。

 意見の違う「他者」との真摯な議論は、リベラリストを標榜する知識人の役目ではないのか。

 岩田氏が議論をする姿を見たことがないと上に書いたが、NHKの番組で半藤一利氏や鳥越俊太郎氏と議論をしたことはあった。ただこれらは、左の論客氏が紋切り型の発言をし、それに対し岩田氏が保守の立場のおなじみの意見を述べただけのことであった。それは岩田氏の責任ではない。NHKの討論番組とはそういうものだから。

 

(補記)最近チャンネル桜の番組で、岩田氏と佐藤健志氏の意見が対立している場面を見かけた。短時間見ただけなので、議論に発展したのかどうかは分からない。いずれ番組全体を視聴しようとは思っている。

 

 私がここでいう議論とは、知識人どうしの真剣勝負のことである。対立する意見が収束しなくともよい。活字のうえでの議論の応酬なら、質の高い議論の場合には、そこから読者がどれだけ啓発されることか。それが知識人のもたらす功徳である。英語学者渡部昇一参議院議員平泉渉との英語教育大論争(1975年)、あるいは二人の国際政治学坂本義和高坂正尭との平和論を巡る論争(195963年)などは収束しなかったが、歴史に残る名論争だった(いずれも故人なので「氏」の敬称は添えない)。名論争はほかにも色々ある。それほどの名論争ではなくても、真剣な議論は論壇に出る――出ない生き方もあるが――知識人の役目ではないか。あとになって「意見は違うけど」と申し訳をするのではなく。

 いったい岩田氏にとって「リベラル」とはどういう意味を持っているのだろう。今後それについてまとまった論考の発表があるのかもしれないが、いつになるのやら分からないので、今の時点での岩田氏の発言を捉えて考えるしかない。

 ツイッター上での断片的な「リベラル」発言ではなく、多少なりともまとまった発言は月刊誌正論20175月号に掲載された記事でやっと読むことができる。湯浅博著『全体主義と闘った男 河合栄治郎』の書評である。この記事は雑誌販売終了後に岩田氏のブログに転載され、翌日に言論サイト「アゴラ」(前記)に再転載された。私は「アゴラ」で読んだ。記事のタイトルは『リベラリズムの可能性 今、河合栄治郎を読み返す』である。

 記事中で「社会的弱者への愛情、左右の全体主義と闘う気概、幅広い読書に裏打ちされた論理、そして、祖国への燃え上がるような愛国心こそが栄治郎の真髄であり、リベラリストの条件に他ならないであろう」と、リベラリストの諸条件を列挙している。これは必要条件だろうか、十分条件だろうか。十分条件ではあるまい。リベラリズムの肝ともいうべき「寛容の精神」が挙げられていないからである。

 ヨーロッパ全土を血で洗った長い宗教戦争を経て、ウエストファリア条約(1648年)による主権国家体制の時代が始まった。寛容の精神をもって、異なる宗教、価値観を持つ他者の存在を尊重するという思想が芽生えた。17世紀から18世紀にかけて普及した啓蒙思想とともに、この寛容の精神がリベラリズムの源泉となった。

 リベラリストの条件として岩田氏が列挙したうちのひとつに「社会的弱者への愛情」がある。自由放任を基本原理とした古典的自由主義が結果的に社会的弱者への迫害をもたらしたことへの反省から、近代自由主義では「社会的公正」の概念が取り入れられた。この公正論をリベラリズム思想の核に置いたのが、20世紀の哲学者ジョン・ロールズである。

岩田氏は前掲の記事の冒頭で「ジョン・ロールズが『正義論』を執筆して以来、「リベラル」の意味が変容してしまったが、ロールズ以前のリベラリズムを再評価すべきではないかと思うのだ」と書いている。岩田氏がロールズリベラリズムについて言及しているのは、(今のところ私の知る範囲では)これがすべてである。きっと岩田氏の頭の中に色々な考えがあるのだろうが、それを私なりに推測すると、ロールズの社会的公正の考え方がリベラリズム社会民主主義への親和性をもたらしたという点に批判の眼を向けているのかもしれない。特に現代日本では、「リベラル」という言葉は通俗的に「左翼」の代名詞となっているのだから。

そして現代日本で流通している「リベラル」という言葉は、「個人の国家からの自由」を含意し、反ナショナリズム意識にも通じているのである。

岩田氏は、このような社会民主主義と反ナショナリズムが合体した「リベラル」に反発し、本来リベラリズムは祖国愛の精神を含み、かつ左右の全体主義に反対する立場であると主張しているものと思われる。なにしろ現代日本の「リベラル」は左翼全体主義への親和性を日増しに色濃くしつつあるのだ。

 左右の全体主義は、共同体の統治者が共同体共通の「善」であるとみなす価値観で個人の思想の自由を奪うシステムである。何を「善」と考えるかは人それぞれであり、それら複数の価値観が互いに相容れない場合もある。リベラリズムによる統治の目的は、共同体の「共通善」を見出すことではなく、それら複数の価値観の上に立つ「公正」さを求めることである。ロールズリベラリズムの基本にある「善に対する正義の優位」という概念はそういう意味である。 

 岩田氏は、ロールズ以前のリベラリズムに戻ることを主張しているようだ。それは共同体の「共通善」への郷愁だろうか。いや、岩田氏自身が何も語ってない段階で、推測を重ねるのは失礼というものだ。このへんでやめておこう。

 ロールズリベラリズムを批判する有力な思潮に、20世紀後半より台頭してきたコミュニタリアニズムがある。コミュニタリアニズムとは、共同体には歴史的に培われてきた固有の共通の価値観があり、その共同体で生きる個人はその「共通善」によってアイデンティティを形成しているのだ、という考え方である。コミュニタリアニズムは「善に対する正義の優位」を主張するリベラリズムを批判し、共同体の「共通善」に重きを置く。

 このリベラリズムコミュニタリアニズムの対立は、国境を超えた普遍的な正義を追求するグローバリズムと、各国に顕在化してきているナショナリズムとが併存している現代世界の構造を反映している。

 さらにリバタリアニズムの思潮も無視できないが、本稿のテーマから離れてしまうので、ここまでとしておく。

 

 岩田氏が言う「リベラルな保守」の意味が、私にはまだほとんど分からない。21世紀の世界にリベラリズムは有効か、コミュニタリアニズムは有効かという問題意識をも含めて、今後縦横に論じていただきたいと期待している。

(了)

 

 

村上春樹『騎士団長殺し』 ―そして父になる

******** 目  次 ********
【おや?】
【回収されない謎】
【再びの地底行と壁抜けの方向】
【メタファー論の提起】
【「南京戦」の挿入―村上氏の社会的責任】
そして父になるが・・・】
【失われた時間軸の行方は?】

 

  ※ ネタバレ有ります。
  ※ 引用文中で下線を付した部分は原文では傍点です。

 

**************************

 

【おや?】
 『騎士団長殺し』第13章の冒頭近くで、免色渉が「私」に尋ねる場面がある。

 

 最初はあてもない世間話のようなものだったが、沈黙がひとしきり二人のあいだに降りたあと、免色はいくぶん遠慮がちに、しかし妙にきっぱりした声で私に尋ねた。
「あなたには子供がいますか?」
 私はそれを聞いて少しばかり驚いた。彼は人に――まだそれほど親密とは言えない相手に――そういう質問をする人物には見えなかったからだ。どう見ても「君の私生活には首を突っ込まないから、そのかわりこちらの私生活にも首を突っ込まないでくれ」というタイプだ。少なくとも私はそのように理解していた。しかし顔を上げて免色の真剣な目を見ると、それがその場でふと思いつかれた気まぐれな質問でないことがわかった。彼は前からずっと、そのことを私に尋ねたいと思っていたようだった。
 私は答えた。「六年ばかり結婚していましたが、子供はいません」
「作りたくなかったのですか?」
「ぼくはどちらでもよかった。でも妻が望まなかったのです」と私は言った。(第1部206~207頁)

 

 そして第39章で同じような問答が繰り返される。

 

 それからしばらく沈黙の時間があった。
「少し個人的な質問をしてもかまいませんか?」と免色は尋ねた。「気を悪くされないといいのですが」
「ぼくに答えられることならお答えします。気を悪くしたりはしません」
「あなたはたしか結婚しておられたのですね?」
 私は肯いた。「していました。実を言うと、ついこのあいだ離婚届に署名捺印して送り返したばかりです。だから今現在、正式にはどういう状態になっているのかよくわかりません。でもとにかく結婚はしていました。六年ほどですが」
「お子さんは?」
「子供はいません」と私は言った。
「作ろうと考えたことはありますか?」
「ぼくは考えたんですが、妻の方がその気になれなかったものですから、延ばし延ばしになっていた。そのうちに結婚生活自体がうまくいかなくなりました」(第2部139~140頁)

 

 ここまで読んで私は「おや?」と思った。何なのだ、この繰返しは。
 日付は明記されていないが、自然描写から判断して、第13章が仲秋の頃で第39章は晩秋である。わずか数週間のうちになぜ同趣旨の会話が繰り返されたのだろうか。免色はまるでボケ老人のように同じ質問を繰り返している。
 重要登場人物の一人である免色渉は54歳で、会話に無駄がなく極めて頭脳明晰な紳士としてのキャラクターが与えられている。しかも第13章の上の会話で、免色は「その場でふと思いついた気まぐれな質問」ではなく、相当に強い関心をもって「私」に、子供の有無そして作る意思の有無を尋ねているのである。わずか数週間のうちに忘れてしまうわけがない。
 免色渉は、昔付き合っていた女が生んだ子供は実は自分の子ではないかと思っている。確信ではないが、その女の妊娠に至る経緯を振り返って、自分の子である可能性が高いと考えている。だから彼は、付き合い始めた「私」が結婚しているのかどうかということよりも、「私」にも子供がいるのかどうかいう点に強い関心を寄せているのだ。なのに、上に引用した第39章の文章では、「私」が結婚していたことは覚えていたのに、子供については数週間前に質問したことすらきれいに忘れているのである。不自然である。
 この繰返しは作者が仕掛けた何かの伏線なのだろうかと私は思った。たとえば免色渉を名乗る人物が実は二人いて、読者を驚かせるような展開がずっと後になって出現するのかもしれないと。
 最後まで読んでも、そのようなオチはなかった。だから単にボケ老人のような質問の繰返しだったとしか考えられない。上に書いたように免色はボケてはいない。では物忘れをして同じ問答を繰り返してしまったのは誰なのだろう?
 第13章はともかく、村上春樹が第39章にこの会話を置いたのは、第42~43章の前奏曲をここで奏でておきたかったからだろう。
 第42章で「私」は別れた妻ユズの妊娠を友人から知らされる。ユズからの伝言であるとして。ユズは妊娠七ヶ月である。「私」は八ヶ月前にユズと暮らした家を出ているから、客観的に見て「私」の子であるわけはない。ユズの新しいパートナー(「私」と別れる少し前から付き合っていた)の子だ。にもかかわらず、ここまで読んできた私は、この子の父親は「私」だと確信した。案の定第43章で、ユズの受胎日とおぼしき頃に「私」がユズとの濃密な性交渉の夢を見たことが思い出される。きわめてリアルな夢だ。村上春樹1Q84BOOK3』(2010年)で描かれた「青豆」の妊娠(「天吾」の子)と同じように、異次元の通路を介しての受胎である。作者の手の内がわかっているのでちょっとしらけてしまう。
 客観的な確証はないものの、主観的に自分の子だと思える子供が存在しているという問題を免色と「私」が共有していること、その前奏を村上春樹は第39章で読者に提示しておきたかったのだろう。免色が数週間前の自分の質問をきれいに忘れてしまって、ボケ老人のような発言をするという不自然さにおかまいなくだ。くどい年寄りは誰なのだろう?
 断言はできない。先述したような何かの伏線かもしれないという疑念はまだわずかに残る。村上春樹は粗製乱造の作家ではない。特に長編小説の場合、初稿を書き終えてから最終稿を脱稿するまでにかなりの日数をかけるのが常である。原稿を寝かせておく期間を経て、入念に推敲を重ねる。編集者もプロの目で原稿を読み込む。そういう背景を考えると、第13章と第39条の繰返しを、村上春樹の筆の誤りだと断定することにも躊躇するのだ。『ねじまき鳥クロニクル』や『1Q84』は後日に第3部が公刊されたが、『騎士団長殺し』にも近い将来に第3部が書かれるのかもしれない。

 

【回収されない謎】
 上に述べた免色らしからぬ繰返し発言を仮に何かの伏線であると考えるのなら、その回収先のヒントは第61章にあるのかもしれない。
 免色は13歳の少女秋川まりえを自分の子である可能性が高いと考えている。第61章では、そのまりえが免色の豪邸に忍び込んでクローゼットに身を隠す。豪邸には今彼女と免色以外には誰もいない。だからクローゼットの前までやって来てじっと気配を窺っている男は免色以外の誰でもない。まりえは恐怖心で震えながら、クローゼットのべネシアン・ブラインド越しにその男の足元を見ている。

 

この男は免色ではないのかもしれない、そういう思いが一瞬彼女の頭に浮かんだ。じゃあそれは誰なのだ?(第2部481頁)

 

 その後窮地を脱したまりえは「騎士団長」と言葉を交わす。「騎士団長」はイデア(観念)が形体化した人物で、異界から顕れた存在である。

 

「免色さんは危険な人なのですか?」
「それは説明のむずかしい問題だ」と騎士団長は言った。そしていかにもむずかしそうな顔をした。「免色くん自身はべつに邪悪な人間というわけではあらない。むしろ人より高い能力を持つ、まっとうな人間といってもよろしい。そこには高潔な部分さえうかがえなくはない。しかしそれと同時に、彼の心の中にはとくべつなスペースのようなものがあって、それが結果的に、普通ではないもの、危険なものを呼び込む可能性を持っている。それが問題になる」
 それがどういうことを意味するのか、まりえにはもちろん理解できなかった。普通ではないもの
 彼女は尋ねた。「さっきクローゼットの前にじっと立っていた人は、免色さんだったのですか?」
「それは免色くんであると同時に、免色くんではないものだ」
「免色さん自身はそのことに気づいているのですか?」
「おそらく」と騎士団長は言った。「おそらくは。しかし彼にもそれはいかんともしがたいことであるのだ」(第2部485頁)

 

 だから第13章と第39章の免色のどちらか一方が「免色くんであると同時に、免色くんではないもの」だったと解釈できなくはない。
 だがそのような解釈にはやはり無理がある。そこに作者の仕掛けが隠されていたとするのなら、第13章もしくは第39章のどこかにその不協和音がもたらす緊張感があってもよさそうなものだが、それはない。「私」も数週間前の免色の質問などまるっきり忘れたかのように、同じような問答をのんきに繰り返しているだけである。
 やはり作者の筆の誤りもしくは不必要なくどさ(作者の老婆心)だと思わざるを得ない。断言はできないので、謎のままにしておこう。

 回収されていない謎はほかにもある。「白いスバル・フォレスターの男」とは何者か? それは何のメタファーなのか。免色の心の中にあると「騎士団長」が指摘した「とくべつなスペースのようなもの」に照応するのか。
 あるいは「私」が地底の川の渡し場で出会う「顔のない男」は、「私」の心の深層に潜む何を暗に喩えているのか。
 そういえば「白いスバル・フォレスターの男」にも顔があるようなないような、曖昧である。「私」が東北地方のファミリーレストランで出会って強烈な印象を受けたその男にはもちろん顔があったが、後日その肖像画を描こうとして顔の制作途上にあったときこれ以上なにも触るな、と男は画面の奥から私に語りかけていた。あるいは命じていた。このまま何ひとつ加えるんじゃない」(第1部441頁)と、未完成の肖像画から強い思念を受け取る。「私」は顔の部分を三色の絵の具で荒々しく塗りたくったままでその肖像画を完結する。「私」には騙し絵のように顔が浮かび上がって見えるが、他の人には顔だと判別できない。ただ一人秋川まりえにはその顔が見える。彼女は怯えながら「塗られた絵の具の奥にその人がいるのが見える。そこに立ってわたしのことを見ている。黒い帽子をかぶって」(第2部444頁)と言う。
 この「白いスバル・フォレスターの男」は、「私」の心の深い暗闇に潜んでいる危険な生き物であるらしいことが後の章で説明されている(第2部376頁)が、どうやら東日本大震災とも関係がありそうな気配を暗示している(第64章)だけで、依然として謎のまま放置される。
 あるいはまた、「白いスバル・フォレスターの男」と関連して登場し、「私」と一夜だけの関係を持つ若い女は何のメタファーか。「私」の心の内奥に潜む危険な(たとえば殺人のような)情念を「私」に自覚させる触媒の役目を負っているのだろうか。
 この小説の現在時点は東日本大震災の直後に設定され、物語はそれより数年前の回想として「私」によって語られる。数年前の物語の中に登場した地底の川の渡し場に佇む「顔のない男」は、この小説の冒頭プロローグ(現在時点である)にいきなり現れ、地底で「私」と約束した肖像画の制作を要求する。「私」はまだ顔を持たない人の肖像を描く力がないので戸惑う。「いつかは無の肖像を描くことができるようになるかもしれない」(第1部12頁)という希望の言葉とともにプロローグは閉じられ、本編の幕が開く。
 空中に(あるいは地底に)漂う謎は残されたままだが、急いで回収することもあるまい。物語は一応大団円を迎えて終わっているのだ。出版社の営業戦略としては、いずれ第3部をとなるのだろうが。

 

【再びの地底行と壁抜けの方向】
 穴、地底ツアー、壁抜け、異界の人物、近代史上の出来事(とりわけ日中関係)、美少女、猫(に似たミミズク)、車、LPレコード(やカセットテープ)と音楽、料理、近しい人間の失踪もしくは別離、シークアンドファインド、凄惨な暴力、濃密な性描写と淡白な人間関係の並存等々、『騎士団長殺し』には村上春樹グッズがてんこ盛りである。だからだろう、文芸評論家の斎藤美奈子氏はこの作品を村上春樹入門の最初の一冊にぴったりだと推奨している(朝日新聞3月5日)。
 春樹グッズがちりばめられているから入門書としてふさわしいとは、私には思えない。もし若者が村上春樹を読み始めたいと思うのなら、やはり初期の作品を手に取ってみるのがよいと思う。最初の一冊として例えば短編集『中国行きのスロウ・ボート』(1983年.雑誌初出は80~82年)などはどうだろう。収録されている『中国行きのスロウ・ボート』や『貧乏な叔母さんの話』を読んで村上春樹の心模様に共鳴する人はさらに二冊目に進めばよい。共鳴が得られない人や腹を立てる人は、他の村上春樹作品を読んでも面白くないと思う。どちらがいいということではない。どちらでもいいが、世の中には自分と異なる感性を持った他者がたくさんいるということを受け容れ、たがいに尊重しあいたいものである。軽蔑したり罵倒したりせずに。
 『騎士団長殺し』にてんこ盛りの村上春樹グッズを総覧していると、年末のTV特番で放送されるドラマの総集編を連想してしまう。一年を通してそのドラマを楽しんだ者が、ある種の懐かしさとともに総集編を観るのもその人にとっては一興かもしれない(私はそのような総集編を観たことがないので想像である)。だが本編を観ず単に総集編のダイジェストだけを観ても、ドラマの醍醐味は味わえないだろうと思う。
 『騎士団長殺し』には村上春樹の他作品での既視感が甦る場面が色々ある。異次元の通路を介しての受胎という二番煎じについては先に触れた。ほかにもみてみよう。
 「私」が伊豆の病院の床の穴から地底へ入り込んでしまって闇の中での前進を余儀なくさせられる場面では、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)の「ハードボイルド・ワンダーランド」の部分で描かれた地底の世界が甦ってくる。地底に棲息する邪悪な「やみくろ」との戦いを描いた「ハードボイルド・ワンダーランド」に対して、『騎士団長殺し』で「私」が地底の世界を前進するのは、失踪した少女秋川まりえを取り戻すためである。
 危険の匂いは濃厚に漂っている。やくざで危険な生き物が奥の暗闇に潜んでいることが警告されている。とりたてて邪悪なるものは表面化していないが、地底からの脱出直前にちょっと出てくる。
 四十数頁にわたって長々と書かれている『騎士団長殺し』の地底行の風景は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」で描かれる壁の中の風景にも似ている。『騎士団長殺し』の地底世界と同じように内閉的な世界で、どちらにも意味深な川が流れている。時間がない世界である。
 ただ過去の作品の繰返しではなく、新たな視点もあり、そこで展開されるメタファー論には興味深いものがあった。これについては後述する。
 『ねじまき鳥クロニクル』(1994~95年)では、「僕」は井戸の底で壁抜けをして異世界に通じる。井戸の底で壁にもたれて、夢を見るあるいは意識を集中して無意識の世界に入るという手法で壁抜けを成し遂げるのだ。
 壁抜けの詳細な実況中継があるのが、今回の作品の目新しさである。危険の気配が漂う地底の世界の森を抜け、「私」は洞窟の壁にあいている横穴に潜り込むことを余儀なくされる。ほかに選択肢はない。横穴の中を這って進むが、穴は次第に狭まり、やがて体よりも小さな穴になってしまう。物理学の原理には反するが、私は無理やり体をねじ込み、全身に苦痛を覚えながらくぐり抜け、ようやく広い場所に出る。
 これが今回の壁抜けで、抜け出た場所は小田原の「私」の住まいの裏手、雑木林にある深さ3メートルほどの謎の穴の底だった。穴の壁には人工的に石がびっしりと埋め込まれているから、自力で登る手がかりがない。かなりの時間が経過してから「私」は免色に救い出され、命をつなぐ。「私」の壁抜けに照応して、行方不明だった秋川まりえも無事に姿を現す。
 『ねじまき鳥クロニクル』での壁抜けは現実世界から異世界へと抜けるものだが、『騎士団長殺し』でのそれは地底(心の深層)から現実世界へという方向になっている。逆である。深層の闇から現実へ戻ってくるには激しい苦痛を伴うということなのか。そして失われたもの(「私」にとってのまりえ)を回復するには、この方向での壁抜けが必要だということなのか。さらにいえば、「私」が体よりも狭い横穴をくぐり抜けてくるようすは、母体の産道を通って生れてくる新生児の姿を思い起こさせる。

 

【メタファー論の提起】
 村上春樹の文章のうまさは卓越している。毎度のことながら、今作でも感心してしまう。巧みな文章の中にはいつも、気の利いた比喩が織り込まれている。今作でもそれは同じなのだが、若い頃の作品に比べて比喩の頻度は少なくなっている。
 並の作家が使う比喩に比べれば、今作の比喩も格段に気が利いてはいるものの、村上春樹自身の過去の作品に比べればややキレが鈍い感じがする。
 例えば、

 

私たちが直面しているのは、関数ばかり多くて、具体的な数字がほとんど与えられていない方程式のようなものだ。何よりもひとつでも多くの数字を見つけ出さなくてはならない。(第2部263頁)

 

 関数方程式? 複数の謎の相互関連という見地に立って、状況を高度な関数方程式に喩えたのかもしれない。だがここで「私」はそんな高度の関連性にまで思いを及ぼしているのだろうか。「関数」ではなく、「変数」ばかりが多い多元方程式という意味合いでこの比喩を用いたのかもしれない。いや、やっぱり関数方程式かな。――というように、ちょっと立ち止まって頭を捻ってしまうのである。読み手に頭を捻らすような比喩はうまいとはいえないと思う。単に私の頭が悪いだけのことかもしれないが。
 以前の作品に見られた比喩は、もっと軽快で、釣り上げられて陽光を反射しているぴちぴちした魚のような趣きがあった。

 

「元気?」
「元気だよ。春先のモルダウ河みたいに」
    (『スプートニクの恋人』1999年)

 

 『騎士団長殺し』に戻ろう。

 

 私は手に持った受話器をしばらくじっと眺めていた。私はこれからユズに会おうとしている。まもなくほかの男の子供を産もうとしている別れた妻に。待ち合せの場所と時刻も決まった。問題は何もない。でも自分が正しいことをしたのかどうか、今ひとつ自信が持てなかった。受話器は相変わらずひどく重く感じられた。まるで石器時代に作られた受話器のように。(第2部427頁)

 

 ユーモラスな比喩である。
 『騎士団長殺し』には随所にユーモアがちりばめられている。文章が連なる紙面の奥に、楽しんで書いている好々爺のような村上春樹の姿が浮かんで見えてくる。体長60センチほどの「騎士団長」の立ち居振舞いや語り口もユーモラスだ。異界から顕れた「顔なが」と「私」の会話など、ボケとツッコミの漫才である(第2部335~336頁)。
 「顔なが」は異界に潜む「しがない下級のメタファー」が形体化した存在である。自称メタファーなのに暗喩と明喩の違いがわからず混乱しているようで、それを「私」に突っ込まれると、「すみません。わたくしはまだ見習いのようなものです。気の利いた比喩は思いつけないのです。許しておくれ。でも偽りなく、正真正銘のメタファーであります」(第2部336頁)と怯えながら答える。
 しかし「顔なが」は恐怖でぶるぶる震えながらも、暗喩は「ものとものをつなげるだけのものであります」と自己紹介している。情けない生き物だが、この一言は核心をついている。
 村上春樹は、比喩の頻度が減った埋め合わせというわけでもないのだろうが、この作品でメタファー論を提起している。何しろ第2部のタイトルが「遷ろうメタファー編」なのだ。
 「私」は「顔なが」が顕れ出た病室の穴の中に入り、「顔なが」の言う「メタファー通路」の真暗闇を経て、少し明るい地底世界へと辿り着く。上に引用した「顔なが」の核心的一言(暗喩はものとものをつなげる)は、「私」によって「ここは(顔ながの言うところによれば)事象と表現の関連性によって成り立っている土地なのだ」(第2部350頁)と言い換えられる。メタファー(暗喩)の定義といってよかろう。
 「私」が洞窟の中で出会ったドンナ・アンナは、メタファーの積極的意義について語る。ドンナ・アンナは「騎士団長」や「顔なが」と同じく一枚の絵画(後述)から出てきた人物である。

 

「あの川は無と有の狭間を流れています。そして優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます。優れた詩人がひとつの光景の中に、もうひとつの別の新たな光景を鮮やかに浮かび上がらせるのと同じように。言うまでもないことですが、最良のメタファーは最良の詩になります。あなたはその別の新たな光景から目を逸らさないようにしなくてはなりません」(第2部373頁)

 

 わかりやすくするために、ささやかな例をあげてみよう。「人生は旅だ」という表現はメタファーである。「人生」「旅」というそれぞれ別々のイデアに属する言葉をメタファーでつなげることによって、新たな心象風景が生じる。ドンナ・アンナはそういうことを言っているのである。
 優れた絵画や優れた詩は「最良のメタファーとなって、この世界にもうひとつの別の新たな現実を立ち上げていったのだ」(第2部374頁)というのが、ドンナ・アンナの言葉を聞いての「私」の感想である。
 これは村上春樹が自身の作品の肝について語っているのだ。自分の38年に及ぶ創作活動を回顧した言葉であろう。先に書いたように、年末特番の総集編なのだ(下手な比喩だな、「顔なが」なみに)。
 上に書いたように、村上春樹の文章には比喩が多く用いられている。「方程式のような」「春先のモルダウ河みたいに」「まるで石器時代に作られた受話器のように」はいずれも明喩(直喩)である。諸作品の随所にちりばめられている比喩はほとんどが明喩である。そしてそれらを大きく包んでいる作品世界はメタファー(暗喩・隠喩)となっているのだ。「羊」をめぐっての「冒険」はメタファーである。「井戸」も、「壁」も、「地底」も、「やみくろ」も、「影」も、「リトル・ピープル」も・・・・・・ いずれもメタファーである。それらによって「この世界にもうひとつの別の新たな現実を立ち上げていったのだ」と村上春樹は胸をはって回顧しているのだ。一読者として拍手を送りたい。
 メタファーは使い方を誤れば危険である。「顔なが」は「私」に、「メタファー通路」の暗闇の奥にやくざで危険な「二重メタファー」が潜んでいるから気をつけろと警告する。「二重メタファー」とは何なのか? 理解しづらい。ドンナ・アンナが解説してくれているのだが。

 

「それはあなたの中にいるものだから」とドンナ・アンナが言った。「あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪(むさぼ)り食べてしまうもの、そのようにして肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの」
 白いスバル・フォレスターの男だ、と私は直感的に悟った。(第2部375~376頁)

 

 メタファーが事象と表現の関連性を機能させるものであるのに対し、その関連性を喪失した二重メタファーは、人体に喩えるなら、暴走した免疫システムが自己を攻撃する誤作動のようなものなのだろうか。私なりの解釈である。

 

【「南京戦」の挿入―村上氏の社会的責任】
 2月24日の『騎士団長殺し』発売直後から今にいたるまで、ネットではこの作品をめぐる発言が無数にといっていいほどに飛び交っている。ブログ、通販サイトのレヴュー、フェイスブックツイッターなどなどである。拙文本稿もその無数のうちのひとつである。
 なかには、一応論客の看板を掲げている物書き氏の、嫉妬心が表に出ているような呟きもいくつか見かけた。作品には触れず、村上春樹などが売れるのはけしからん、文学は滅びる、と言っているだけの悲しい発言の類いである。(その人は今まで村上春樹の作品自体について語ったことが一度もない)
 発売日から一ヶ月近くになる今は、既に読了した人たちの投稿も増えてきているので、この作品を称賛する者、こきおろす者、両方がいる。それはそれで当然のことだ。それでよい。
 発売日直後から一週間ぐらいのうちは、この作品中にいわゆる南京事件に触れた箇所があることから、ツイッター上でその部分だけに脊髄反射をしたような呟きが大噴出していた。最初に火をつけたのは誰だか知らぬが、大炎上の引き金を引いたのは、作家百田尚樹氏による発売日直後のツイートだろう。以下に引用する。

 

村上春樹氏の新刊『騎士団長殺し』の中に、「日本軍は南京で大虐殺をした」という文章があるらしい。これでまた彼の本は中国でベストセラーになるね。
中国は日本の誇る大作家も「南京大虐殺」を認めているということを世界に広めるためにも、村上氏にノーベル賞を取らせようと応援するかもしれない。(2月25日)


騎士団長殺し』の中で「日本軍は南京大虐殺をした」と書いた村上春樹氏は、2015年の朝日新聞に、「日本は相手国(中国)が、もういいというまで謝れ」という文章を寄稿した。
中国で本を売りたいのか、あるいは中国の後押しでノーベル賞が欲しいのか、それとも単なるバカか。(2月26日)

 

 その後続いた夥しい数の人たちによる村上春樹バッシングのツイートは、ほとんど百田氏の発言の変奏である。異口同音といったほうがよいか。それらをいちいちここに引用する愚は避けるが、適当にピックアップしたのをひとつだけ紹介しておこう。(これは最近のものであるが、今はこの件でのツイートは下火になっている)

 

村上春樹の新刊「騎士団長殺し」だっけ?南京事件が40万人あったと、この著書で触れている。中国にゴマをすり、ノーベル賞のためなら国を売るような卑劣な下衆人間だと言うことが明らかになって痛快だね。まあ、大江健三郎にしろ、此奴にしろ人間性はカスだね。ろくなもんじゃない。(3月17日)

 

 2月末から3月初旬にかけて大量に発生したツイートはこれと同工異曲で、みんなエラソーだ。百田氏のツイートの最初の一文にも表れているように、ほとんどみんな読まずに罵倒している。火が付くと付和雷同する屑のような発言のオンパレードである。
 屑ツイートは放っておこう。
 南京戦についての地道な取材を続けてきたノンフィクション作家早坂隆氏の次のツイートはもっともな発言である。

 

村上春樹氏の最新作「騎士団長殺し」に南京戦に関する記述有り。内容は中国側の一方的な主張をなぞっただけのもの。実際に南京戦に参加した方々への取材を続けてきた私には、あまりに迂闊で軽率に思える。村上氏は我が自宅の近所に住んでいるらしいので、もし見かけたら小一時間ほど問い詰めたい気分。
(3月4日)

 

 『騎士団長殺し』の当該部分を引用しておこう。免色渉によって語られる場面だ。

 

「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」(第2部81頁)

 

 さらにこの後、中国兵の捕虜や民間人の首を次々に軍刀ではねる残忍な場面と、それを上官から強制される日本兵の苦悩のようすが99~100頁で別の人によって語られている。
 これらの叙述は当時の中国国民党そして現在の中国共産党による一方的なプロパガンダをそのまま鵜呑みにして史実だとしているのである。村上氏が、小説作品から離れて、例えば評論文やエッセーのような文章で自分の意見としてそれを書くのなら、あるいはインタビューで自分の意見としてそれを言うのなら、正当な言論の自由のうちである。(この項では作品論から離れて、一社会人としての責任について書くので、「村上氏」と敬称を添える) そして正当な言論活動には責任が伴うし、批判を受ける覚悟も常に持っていなければならない。
 だが村上氏はそれをフィクション中の登場人物の科白とすることで、責任の所在を曖昧にしてしまうのである。卑怯である。
 免色渉は、前にも書いたように、怜悧で明晰な頭脳を持った人物としてキャラクター設定されている。上に引用した彼の発言の最後の一文など、およそ免色のキャラクターにふさわしくない。彼はいつもロジカルに会話を進める人だ。被害者数の数字をいったん持ち出しておいて、それについて語らず、すぐに数字は問題ではないかのような言い方をする。いつものような論理性がない。免色はここで口パクをさせられているだけで、中の人・村上氏の素(す)の顔が透けて見える。お粗末である。
 もうずいぶん前になるが、「南京で日本軍に虐殺された三十万もの人々が・・・」と語る老婦人を目撃した。その数字に客観的根拠がないことやその欺瞞性を別の人から指摘されると、老婦人は、きっ、となって、「数字の問題じゃありません!一万人ぐらいだったらいいとあなたはおっしゃるのか。一人でも人殺しは大罪なのですよ」と勝ち誇っていた。「三十万」という数字を自分から持ち出しておいて、その欺瞞を指摘されると、「数字の問題じゃありません!」と眉を吊り上げる。これと同じような問答は、いたるところで繰り返されてきた。老婦人は人道的で気高い自分に酔っているだけだから、議論など成立しないのである。
 免色はここで、中国共産党の白髪三千丈的なプロパガンダを白髪四千丈にまで出血大サービスしておいて、その直後に「数字の問題じゃありません!」と、愚かな老婦人に唱和しているのである。「騎士団長」ならきっとこういうだろう、「それは免色くんであって免色くんではないものだ」
 1937年12月のいわゆる「南京虐殺」と呼ばれる事象の有無については、なかったという説から三十万人が虐殺されたという中国共産党のプロパガンダにいたるまで、様々な立場がある。当時の客観的諸条件から考えて「三十万」という数字があり得ないものであることは明白である。上記の免色の科白のなかにある四十万人という言葉は、東京裁判で中国検察官が提出した四十三万という数字に依拠しているのかもしれない。東京裁判の判決文では、さしたる根拠もないまま、二十万人以上という被害者数が推定された。松井石根被告個人への判決では殺害数は十万人以上となっている。東京裁判のいわゆる「南京事件」の審理では、中国国民党が戦中に行なったプロパガンダに連合国が強く印象づけられていたことや、原爆投下という自らの犯罪を日本軍の残虐行為と相殺したいというアメリカの本音などの影響があったことにも留意しなければならない。中立的な立場で詳細な調査を行なった歴史学者秦郁彦氏は不法殺害者数を四万人程度(内、民間人は一万人程度)だと推定している。(注)
(注)『南京事件 ―「虐殺」の構造』(初版1986年.増補版2007年)に依る。この数字は余裕を持たせた最高限のものであり、実数はもっと少ないだろうと、秦氏は増補版で付言している。
 あるいはまた軍刀をふりかざしての捕虜虐殺の場面等については、その証拠とされる写真が捏造であったり、偽せ物(関係のない写真)であったりすることが明らかになっている。
 諸説あるなかで中国共産党の主張に寄りかかるのなら、その客観的妥当性を同時に示さなければならない。自ら数字を持ち出しておいて、「数字の問題じゃありません!」と言うのは卑怯というものである。
 村上氏は2015年4月に共同通信社が配信したインタビュー記事で、「ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから」と語っている。
 日本は既に謝罪している。にもかかわらず「わかりました、もういいでしょう」とならないのは、過去の歴史認識のゆえではなく、中国の場合は、未来に向けての戦略から出てくる態度だからである。彼らが「日本軍国主義の残虐さ」を言い立てるのは、近未来に企図している中国の侵略行為の際に、国際世論を味方につけるためのプロパガンダなのである。そんな初歩的なことが村上氏にどうして理解できないのだろう。韓国の場合は、戦略ですらなく、半島民族の「千年の恨」によるもので、自分でも何を怒っているのかわかっていないところがある。迷惑な話だ。どちらの国も、日本が滅びてはじめて「わかりました、もういいでしょう」となるのだ。
 いずれ『騎士団長殺し』は世界各国で翻訳され出版されるのだろう。村上春樹人気の高さからいって、「南京虐殺」なるものが日本人の大罪として、疑う余地のない史実として世界各国の人々に刷り込まれていくのだろう。村上氏は、日本を屈服させて東アジアに覇権を打ち立てようとしている中国のお先棒を担いで、その役割を中国の期待以上に果たしていることには無頓着なのだろうか。
 フィクションの登場人物の科白だからといって、免責されるものではない。たとえば小説の中で実在の人物の実名をあげてその名誉を傷つければ、法的にも道義的にも作者の責任が問われることはいうまでもない。
 そんなことぐらい村上氏は既に承知しているだろう。短編小説『ドライブ・マイ・カー』(2013年)が雑誌に掲載されたとき、出版社と村上氏は北海道のある町の町会議員から抗議を受けた。×××町(雑誌掲載時は実名)ではタバコのポイ捨てが当たり前のようになっているかのような表現が小説内にあったからである。この抗議に対し出版社は「『ドライブ・マイ・カー』は小説作品であり、文藝春秋は作者の表現を尊重し支持します。」という見解を公表すると同時に、村上氏の「(引用前略)そこに住んでおられる人々を不快な気持ちにさせたとしたら、それは僕にとってまことに心苦しいことであり、残念なことです。(引用後略)」という遺憾の意の表明文を合わせて発表した。以上の経緯を経て、この短編小説が単行本『女のいない男たち』(2014年)に収録されたときには、タバコのポイ捨てが多い町であるかのような表現はそのままにして、町名が実名から架空の名に書き換えられたのである。×××町の住民を不愉快にさせてしまったことへの小説の道義的責任を村上氏は認めたのである。
 小説の一場面でいわゆる「南京虐殺」を上のように描いたことによる世界の人々への刷り込み効果は、エッセーやインタビュー記事などで正真正銘の自分の意見としてそれを主張することに比べて、はるかに大きい。もちろんタバコのポイ捨てなどとは比べものにならない。日本の将来世代へ重荷を背負わせてしまった大きな社会的責任が村上氏にはある。もう一度言うが、中国共産党は未来のためにこのプロパガンダを行なっているのである。
 村上氏はなぜこのような幼稚な史観を作品に挿入するのだろうか。それについては、再び作品論に戻りつつ、最終項で考えることとする。

 

そして父になるが・・・】
 『騎士団長殺し』のあらすじを略記しておこう。
 「私」は36歳の画家である。小説の現在時点(2011年)から数年前を回想する物語時点での年齢で、以下同じである。「私」は学生時代から抽象画に才能を発揮していたが、無名の抽象画家が作品で生計を立てていくことは不可能である。「私」は結婚を機に、生活のために各界の名士の肖像画を注文に応じて描くことを仕事とし、その腕を評価される。生活の代償に、芸術へのパトスには蓋をしている。
 妻から別れ話を持ち出され、「私」は都内のマンションを出る。北陸、北海道、東北地方を車で放浪した後、友人の世話で、小田原の山中で空き家のままになっている古い住居兼アトリエに住むことになる。友人の父親がかつて一人で住んで創作に打ち込んでいた家である。友人の父親は高名な日本画家雨田具彦で、高齢になった今は認知症を患って伊豆の施設に入院している。
 ある日「私」は、屋根裏に秘匿されていた絵を発見する。添付された名札に『騎士団長殺し』という題名が記されている。雨田具彦の生涯最高傑作といっていいぐらい精神性の深い絵画であるが、厳重な包装をされて誰の目にも触れないままに隠されていた。モーツァルトの歌劇『ドン・ジョバンニ』の冒頭にある「騎士団長殺し」の場面に着想を得て描かれた絵で、登場人物は飛鳥時代の日本人に置き換えられている。若者に剣で胸を刺され、血を噴出し苦痛に顔を歪める老いた騎士団長の姿が中央に描かれている。傍らで若い女性が驚愕の表情でその光景を見ている。彼女は『ドン・ジョバンニ』に登場するドンナ・アンナ(騎士団長の娘)だろう。画面の隅に、地面の穴から長い顔を出してその光景を見ている異形の人物がいる。『ドン・ジョバンニ』には登場しない、雨田画伯の独創である。画面にはほかにも描かれている人物がいるが、本稿前述のとおり、「騎士団長」「ドンナ・アンナ」「顔なが」の三人が後ほど「私」の前に姿を現す。絵の中でのサイズのままで。
 ある日「私」は肖像画の注文を受けるエージェントから、免色渉という人物の肖像画を依頼される。免色直々の指名で、報酬は法外に高額である。免色渉は莫大な資産を築いたIT長者で、54歳の今は既にリタイアしている。実は免色は、「私」の住まいから谷を挟んだ向こう側の超豪邸に一人で住んでいる人物だった。真白で広壮な邸宅である。免色の髪も真白である。立ち居振舞のダンディな紳士で、頭脳明晰であることは既に述べた。「私」とは数ヶ月間友好的な付き合いを続け、色々襲いかかる謎や難問に協力して立ち向かう。しかし「私」は本音の部分では免色に打ち解けず、一定の距離を置いて付き合っている。
 真白な邸宅と真白な髪で、苗字が「免色」とは漫画チックなネーミングだが、もちろんこれは村上春樹の中編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)の「多崎つくる」からバトンを承けているのである。多崎つくると免色は年齢もキャラクターも異なるが、人を愛する心を失っているという共通性がある。ついでにいえば、前記の短編集『女のいない男たち』にも通じる共通性である。若い多崎つくるの心は回復の方向に向かうが、免色の愛の喪失はそのままである。
 免色は人と同じ屋根の下で暮らすことができない。昔付き合っていた女は免色との結婚をあきらめ、明らかに受胎を目的とした性交渉を免色に迫り、その直後に彼の前から姿を消し、他の凡庸な資産家の男と結婚してしまう。彼女の産んだ子秋川まりえは、自分の娘である可能性が高いと免色は思っている。確信ではないが。
 まりえの母(免色の元恋人)はまりえが6歳のときにスズメバチに刺されて死んでしまう。まりえは小田原の「私」の住まいからさらに山の上の方にある家で、父とその妹(まりえの叔母)と一緒に暮らしている。叔母が母親がわりになってまりえを大切に育てている。まりえは物語時点で13歳の中学生である。「私」が講師を務める小田原駅近くの絵画教室に通っている。
 免色がこの地に豪邸を構えたのは、谷を挟んで反対側にある家に住むまりえを高性能の双眼鏡で日々観察するためである。まりえはやがて観察されていることに気づくが、亡き母が免色の恋人であったことや、免色が自分の実の父であるかもしれない可能性にはまったく気づいていない。
 「私」と免色、そしてまりえが巻きこまれる色々な謎については、この「あらすじ略記」では、はしょる。「私」の地底行については本稿前半で書いた。
 「私」が回想する数年前の物語は早春の放浪から始まって約10ヶ月間に及ぶが、それは生計のために肖像画を描かざるを得なかった不本意な仕事から自由になり、芸術へのパトスが解放されほとばしったひとときでもあった。この期間に描いた『免色渉の肖像』『秋川まりえの肖像』『白いスバル・フォレスターの男の肖像』『雑木林の中の穴』は真に「私」の芸術作品だった。これらの芸術作品の制作は、地底行をピークとする色々な非日常的な(超常的な)出来事とパラレルに進行したのだ。
 物語は一応の大団円を迎え、「私」は都内のマンションに戻って妻ユズとの夫婦生活を再スタートさせる。生活のための肖像画の仕事も再び始めようとし、エージェントに連絡をとって喜ばれる。芸術は棚上げし、再び現実生活に戻ったのだ。
 現在時点の「私」には「室(むろ)」という名の娘がいる。客観的には他の男の遺伝子を受け継ぐ子かもしれないが、「私」はあの濃厚な夢を通じてユズに孕ませた子だと考えている。ユズもそう思っているらしいと、明記はされていないが、暗示されている。「その子の父親イデアとしての私であり、あるいはメタファーとしての私なのだ」(第2部539~540頁)と「私」は思っている。そして何よりも「私」は「むろ」を「とても深く愛して」いる。免色は秋川まりえが自分の娘であるか否かの可能性のバランスの上で自分の存在意味を見出そうとしているが、「私には信じる力が具わっている」(同540頁)。それは「私」が小田原の山の一軒家に住んで超常的な体験を通して学んだことだった。「私」の小さな娘「むろ」は、「騎士団長」や「ドンナ・アンナ」や「顔なが」から手渡された恩寵なのだ。と信じて第2部は完結する。
 本稿前半で書いたように、壁抜けの方向が他の村上春樹作品と違って、深層の闇の世界から現実世界へとなっていた。いったん闇の深層に陥り、メタファーの力で新たな現実を立ち上げたのだ。これが村上春樹の今作の新しさである。
 村上春樹の作品にしばしば登場する30代の男がようやく父親になったのである。父殺しをモチーフとすることが多かった村上春樹が、「父になる」作品を描いたのだ。それは「騎士団長」を ――雨田具彦画伯の絵さながらに―― 出刃包丁で刺し殺す(嘱託殺人)ことで、メタファーの力を得て実現したことだった。
 村上春樹の小説が一人称形式で語られるときは、いつも「僕」という呼称が使われていた。今作でそれが「私」という大人っぽい呼称になったのは、これで納得ができよう(会話の中では「ぼく」だ)。以前の作品では、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のパラレルワールドで、「ハードボイルド・ワンダーランド」のほうだけで「私」という呼称が用いられていた。「ハードボイルド・ワンダーランド」では、「僕」の「世界の終り」と対照的に、アグレッシブな戦いが描かれていた。
 さて、これで村上春樹の文学は新しい地平を切り拓いたといえるのだろうか。
 免色が秋川まりえをめぐっての思惑を一応達成したので「私」の利用価値はもうないと判断したのか、免色と「私」の付き合いは疎遠になりつつあった。完全に切れたわけではなく、免色の方からときどき「私」に電話をかけてきて友好的な会話は続いていた。ある日「私」は免色邸を訪れ、雑木林の穴の底で命を落としたかもしれなかったところを救ってくれたお礼として、自作の絵『雑木林の中の穴』を贈呈した。免色はそれをとても喜んだ。「私」は免色と単なる隣人としての関係を保っておきたいと思っていた。そして「それが免色と実際に顔を合わせた最後となった」(第2部518頁)
 私は「おや?」と思った。この何週間か後、年が明けた一月(推定)に「私」は小田原の住まいを引き払って都内のマンションに戻るのである。免色邸に行って引越しの挨拶ぐらいしろよ、と思ったのである。
 私は「私」の非礼を責めているのではない。引越しの挨拶の場面を描けと言っているのではない。「それが免色と実際に顔を合わせた最後となった」という一文さえなければ、何の問題もなかったのである。異界についてはあれ程生き生きと描写する村上春樹が、現実の日常生活の叙述となると、文章に小さな小さな綻びを垣間見せるのである。本稿冒頭の【おや?】の項で指摘したことも、そのような綻びのひとつかもしれない。
 「私」は新たな現実の世界に再生した。村上春樹はまだその現実世界に作家としてうまく適応できていないのかもしれない。村上春樹が描く現実世界は異界とシームレスにつながっているので、その気配が漂うものとしての日常生活の描写は抜群にうまいのだが。

 

【失われた時間軸の行方は?】
 村上春樹の初期の文学は、世界に対するデタッチメントの姿勢から出発した。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の最終章でも、「僕」は矛盾や葛藤を切り離した内閉性に留まる道を選ぶ。やがてこのデタッチメントの精神が自壊作用をきたすにいたり、村上春樹の作品は中期以降コミットメントの姿勢へと転換していくのだ。
 孤絶した内面世界を保ち、井戸の底へと下降していく。孤独に徹することで、底の底で壁抜けが果たされる。その無意識層の深いところで世界とのつながりを獲得する。それは人類の集合的無意識層ともいえる世界で、危険なもの、邪悪なものも潜んでいる。『ねじまき鳥クロニクル』で壁抜けをした「僕」は、「歴史」の世界で人類が積み重ねてきた「暴力」の問題に行きあたる。人類の「歴史」には残虐な暴力が充満している。デタッチメントをテーマとした初期の作品には喪失感が漂っていたが、この時期の「僕」は失われたものを取り戻そうとして戦う。
 対談本『村上春樹河合隼雄に会いにいく』(1996年)で村上春樹は、いろんな歴史事象は全部自分のなかにあるのだと語っている。それは、上に述べた人類の集合的無意識層に息づいている諸々の歴史的事実という意味だ。そこは時間のない世界である。『騎士団長殺し』で、「私」が地底の世界を進むにつれて時間の感覚が失われていく描写があることを思い出してもらいたい。無意識層で人類が共有しているらしい「歴史」には時間がないのである。
 そこでの「歴史」は時間軸を持っていない。ナチスの暴虐も、日中関係のなかで発生した様々な血なまぐさい出来事も、10万年前のホモサピエンスの集団間での殺戮行為も、何の時系列も持たないまま、人類の集合的無意識層に保存されているのである。
 村上春樹日本国憲法観を、9条に関してときに語っているが、その意見は、様々な護憲論があるなかでも最も幼稚な部類に属するものである。日本国憲法を日本の近現代史の時間軸に沿って理解し、現代から未来を展望するなかで位置づけようとする視点が失われてしまっているから、字面上の高邁な理想がすべてになってしまうのである。中国や韓国にひたすら謝り続けるべきだという意見も、現代から未来へとつながる地政学が時間軸のなかで理解できていないから、単なる人道的感想として出てくるのである。
 時間軸を持たない歴史観などといえば言葉が自己矛盾をきたしていることになるが、村上春樹はその不思議な歴史観を示現しているのだ。
 文芸評論家の加藤典洋氏は『村上春樹は、むずかしい』(2015年)のなかで、村上春樹には小さな主題と大きな主題があると書いている。日本の原子力政策への批判を通して倫理や規範の再生を目指す新しい物語の創造が大きな主題である。そこには戦争責任に対する戦後日本人の無責任さと東アジア諸国民への村上春樹の贖罪意識が関連してくる。
 他方、人に心を開けず孤絶感を抱えた心の悲哀や救いへの祈りが、小さな主題となっている。近作では前掲の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』や『女のいない男たち』がこの小さな主題を扱っている。免色渉もまたこの小さな主題を受け継いだ人物である。
 加藤典洋氏は、夏目漱石になぞらえて、この小さな主題を下方に掘って進んで大きな主題にいたるという方法を(2015年時点で)今後の村上春樹に期待している。
 『女のいない男たち』に収録されている『木野』はこの小さな主題を掘り下げることに徹した短編小説である。主人公は破滅の淵に追い込まれるが、再生の予感をかすかに漂わせてこの小さな物語は終わる。小説内に配置されている様々な小道具は、村上春樹の心の内にあるだろう東アジア(日本を含む)の文化の土壌への関心を表しているにちがいない。そのなかには日本の土俗宗教への関心を示す徴(「カミタ」という人物)もある。これらの小道具は、『騎士団長殺し』に登場する雑木林の中の謎の穴、不思議な鈴、上田秋成の『二世の縁』と即身仏への関心などに発展的に受け継がれている。洋画家としてスタートした雨宮具彦画伯が、ナチスドイツがオーストリアを併合した頃にウイーンで経験した苛烈な体験を経て、帰国後に日本画家に転向したとされること、そしてその転換時にただ自分のためにだけで描いた秘密の絵画『騎士団長殺し』から「私」が受ける衝撃も、村上春樹のその関心の発展形であろう。
 小さな主題から入って、この文化の土壌に流れる水脈に辿り着いたのかもしれない。そこから大きな物語を創造する端緒として、「私」は父となったのであろう。メタファーの力で新たな現実を立ち上げた「私」がこれから大きな物語を語るのなら、地底の世界で失われた時間の感覚を取り戻し、歴史の時間軸をしっかりと築いてもらいたい。それは「私」が「とても深く愛し」ている幼い娘「むろ」の未来に対する責任であろう、と思うのである。
(了)

 

「敵」を仕立ててボコる人たち

 敵を仕立てて民衆を煽る政治手法は、民主主義を貶めるという意味で卑劣である。ヒトラーの例を持ち出すまでもなく、ときに危険ですらある。中国も経済が行き詰まれば、日本を敵に仕立てて民衆を煽るにちがいない。

 今世紀の日本では、小泉純一郎首相の政治手法がやはり敵を仕立てて国民を煽るものであった。格別の危険をもたらしたわけではなかったが。昨今は小池百合子都知事がこの手法を用いているようである。

 小泉首相の場合も、小池知事の場合も、煽られて喜々と付和雷同する大衆の多さを見ていて、うんざりする。

 私はここでこれらの政治手法について論じようとするわけではない。

 問題は付和雷同する大衆の側にもある。大衆自身が敵を仕立ててバッシングする快感を日常的に身につけているとしか思えないことがしばしばある。

 例えばAという人物をターゲットにしてツイッターなどで徹底的に叩く。集まってくる者どもがあり、皆正義の言葉を吐く。翌日は関心がBという人物に移り、同じようなことが繰り返される。一般にAやBの意見や行動を批判する議論はおおいにあってよい。しかしこの群衆の正義の言葉を見ていると、AやBの意見を理解すらしていないことがしょっちゅうある。議論以前の問題である。

 こんなことを今ここで書くのは、今日のツイッターで、何がきっかけだったのかはしらないが、ゆとり教育に関して元文部官僚の某氏を敵に仕立てて、よってたかってボコっている光景を見たからである。きちんと、正々堂々と批判するのならよい。しかしこれらのツイートの多くは、ゆとり教育への基本的な理解もないまま、ただの上っ面だけで、匿名のかげに隠れて、この某氏に群れをなして石を投げているのである。

 誤解のないように言っておくが、私もゆとり教育へは強い批判を持っている。

 

 

 今、当ブログで近日公開予定の他の原稿を準備中なのだが、上のようなわけで急遽臨時にブログを更新することにした。

 次に記すのは一昨年の拙文『理念なき国家の教育改革』である。ゆとり教育については2ページ目以降で詳述している。

asread.info

 敵を仕立てて大勢で石を投げる前に、「理解」が議論の前提ではないか。上記拙文から一部以下に引用しておく。

 

「このような風潮のもとで、「ゆとり教育」は一応世論の支持を受けて始まったのだ。どうして後になって、特定の文部官僚氏を名指しで悪の権化のごとくに罵倒するのか。あなたが「ゆとり教育」を支持していたのではなかったのか。」

 

『沈黙』 ―― 小説と映画

********  目 次  ********
【はじめに】
【蝉の声】
【母なるもの(1)】
【母なるもの(2)】
【スコセッシ監督のパトス】
【弱き者への眼差し】

【付記― 文学は政治の具に非ず】

 

※ 私は『沈黙』の初読も再読も初版単行本の重刷版に依ったが、以下引用にあたって記すページ数は現行文庫本のそれである。

 

※ 以下の記述で「百姓」という語を農民や漁民の総称として用いる。それが「百姓」本来の意味である。

 

※ ネタバレ有りまくりです。

 

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【はじめに】
 マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス』(米・2016年)が公開されるとのニュースを聞いて、年明け早々に遠藤周作の小説『沈黙』(1966年)を再読した。40数年ぶりの再会だった。さらに関連作品もいくつか再読した。
 私は遠藤周作のさほど熱心な読者ではない。書棚の遠藤周作コーナーで数えてみると、その著作は21冊(上下2分冊のものは合わせて1冊とカウント)だった。遠藤周作全作品の一部でしかない。読んだのはいずれも昭和40年代から50年代にかけての一時期だ(『深い河』(1993年)だけは今回初めて読んだ)。もうそれらの内容を殆ど覚えていなかったのだが、そのなかでは『沈黙』は比較的強い印象を残している小説だった。
 時間の許す範囲で諸作品を読みなおしあるいは初めて読んだうえで、都内のリヴァイヴァル館で篠田正浩監督の映画『沈黙・SILENCE』(1971年)を初めて観た。そして日を改めて地元の映画館でマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス』を観た次第である。
 一般に映画と小説はそれぞれに独立した別個の作品である。一方が他方に従属している場合は殆どが駄作である。そういう意味で、遠藤が創造しようとした世界、スコセッシが創造しようとした世界それぞれに敬意を払いながら、そこで描かれた重いテーマについて以下考えてみたい。
 なお篠田版『沈黙』については書かないこととする。作品を支える監督のパトスがないので論じるに価しない。
 以下の記述で映画『沈黙』と記せば、それはスコセッシ版のそれであるとご了解いただきたい。

 

【蝉の声】
 小説『沈黙』では蝉の声が印象的に挿入されている。さほど頻繁ではないが、いくつかの場面で蝉の声、ときには草むらに潜む虫の音が聞こえてくる。例えば次のような場面である。

 

 澳門マカオ)を経て日本に密入国したポルトガルの宣教師セバスチァン・ロドリゴが、手引きをしたキチジローと離れて、ひとり荒野をさまよい歩く場面である。ロドリゴは水溜りに自分の顔を、疲れくぼんだ顔をうつして、聖らかで気高いキリストの顔を思い浮かべる。


 だが今、雨水にうつるのは泥と髭とでうすぎたなく汚れ、そして不安と疲労とですっかり歪んでいる追いつめられた男の顔でした。人間はそんな時、不意に笑いの衝動にかられるのだということを御存知でしょうか。水に顔をさしのべ、まるで頭のおかしな人間のように唇をまげたり、眼をむいたりして、おどけた表情を幾度も作りました。
(なぜこんな馬鹿げたことをするのだろう。なぜ、こんな馬鹿げた)
 林のほうで蝉が嗄れた声で鳴いていました。あたりは静かでした。(103頁)

 

 キチジローと再会後、


 姿が岩かげに消えると、あたりは急に静寂になりました。草いきれのなかで乾いた音をたてて虫が羽をすりあわせている。一匹の蜥蜴が不安そうに石の上に這いあがり、素早く逃げていきました。陽にさらされながら、私を窺った蜥蜴の臆病そうな顔は、今、消えていったキチジローの顔そっくりでした。(118頁)

 

 そしてキチジローに売られたロドリゴが、役人に捕縛される寸前の描写である。


 まるで子供が母の言葉をまねするようにキチジローは私の呟く言葉を一つ一つ繰りかえしつづけ、白い石の上を蜥蜴が再び這いまわり、林の中で喘ぐように初蝉の声が聞え、草いきれの臭いが、白い石の上を漂ってきました。(122頁)

 

 長崎の奉行所の中庭で片眼の百姓が突然役人に斬り殺される。切支丹である。他の囚人たちへの見せしめである。映画では首を斬り落とされる。死体は黒い血を帯のように流しながら、埋めるための穴まで引きずられていく。ロドリゴがその光景を牢の格子ごしに眺めている場面でも、蝉が鳴いている(小説でだけ)。


 さっきと同じように、蝉が乾いた音をたて鳴きつづけている。風はない。さっきと同じように一匹の蠅が自分の顔の周りを鈍い羽音で廻っている。外界は少しも違っていなかった。一人の人間が死んだというのに何も変わらなかった。(187頁)

 

 まだまだあるが、蝉の声あるいは虫の音の引用はこのぐらいにしておこう。引用した四つの描写のうち、前三者はロドリゴが故国ポルトガルの聖職者上司に宛てた書簡という形で小説内に挿入されている。だからロドリゴの一人称表現である。四つめの引用文は小説の三人称表現である。だが文中に「自分の」という言葉があるとおり、形式は三人称であっても、ロドリゴの心象風景を描いているのであり、この場面では事実上の一人称描写と考えてさしつかえないだろう。
 つまり蝉の声や虫の音はそれぞれの場面でのロドリゴの心象風景であり、ロドリゴの感性を表しているのだ。いずれも静寂や寂寥ときには緊張を表現する効果音であり、四つめの引用文では蝉の声で「もののあはれ」さえ表現している。
 ポルトガル人にそのような感性はなかろう。日本人の感性である。小説内のロドリゴの外面はまごうことなきポルトガル人であるが、それはポルトガル人宣教師の被り物であり、中の人は日本人ではないのか?
 遠藤が日本人の感性をロドリゴに付与するため、蝉の声を効果音として用いることにはたしてどれだけ自覚的であったかは不明である。
 虫の音に意味を与えて聞き取るのは日本人特有の左脳の働きに依るという研究成果が発表されたのは、小説『沈黙』が上梓されて10年以上の歳月を経てからのことである。だが遠藤は若き日に3年間のフランス留学生活を送っているのであり、虫の音に対する日本人とフランス人の感性の違いを経験的に知っていたかもしれない。
 聴覚研究が専門の医学博士角田忠信は臨床実験を積み重ね、母音と子音の左脳、右脳での処理の仕方が日本人と諸外国人とでは異なっていることを発見した。諸外国人とは欧米及びアジア諸国の人々である。これは人種的な違いではなく、生まれ育った言語環境の違いによるものである。この研究の副産物として出てきたのが、虫の音を日本人だけが左脳で聞いているという事実であった。以上は角田忠信『日本人の脳――脳の働きと東西の文化』(1978年)に依っている。
 この書は公刊後反証を提示され、多くの批判を受けた。今ではトンデモ説とみなしている人も少なくない。私はそれらの論の適否を判断するだけの知見を持たない。スズムシやコオロギの音を愛でる描写は中国文学の古典にもイギリス文学にもあるそうだ。
 スズムシやコオロギの音に美を感じるのは日本人にかぎったことではないかもしれないが、蝉の声に「意味」を持たせるのは日本人だけの感性ではなかろうか。何ら実証性を持っていない私の直感でしかないが。


  閑さや 岩にしみいる 蝉の声  芭蕉


 日本人は蝉の声から、ときには静寂や寂寥感、ときには凛と張りつめた緊張感、等々様々な「意味」を感じとる。蝉時雨などという言葉さえある。
 私の直感でしかないのだが、諸外国の人々にとって、蝉が出す「ジー」とか「ジーンジンジンジン」とかいう音はノイズでしかないのではなかろうか。蝉時雨などうるさいだけだろう。
 日本の時代劇映画などでよく用いられている蝉の効果音は、外国で上映されるときには消されているという。
 さて、スコセッシ監督の映画『沈黙』であるが、小説で使われている蝉の声は捨てられているだろうと予想して映画館に向かった。
 ところが敵もさる者で、冒頭、というよりもまだ映画が始まる前、タイトルが表示される前のまだ画面が真っ黒のときに、いきなり蝉時雨のシャワーが鳴り響いた。グラスホッパー(注)の虫の音も混ざっていた。約30秒後に画面が明るくなって、蝉時雨や虫の音は消え、Silenceと表示されたのである。ちなみにエンディングロールでも同じ効果音が使われていた。


(注)草むらに潜む虫の音色を各種聞き分ける耳を持たないので、以下一括してグラスホッパーと記す。


 本編でも蝉や様々なグラスホッパーの音が控えめに鳴っていた。小説よりも映画のほうがその頻度がずっと多い。草が生い茂っていればグラスホッパーが鳴き、樹木が林立していれば蝉が鳴く。もちろん両方が同時に鳴くこともしばしばある。うるさくはない。これらの効果音の音量はかなり絞られている。スコセッシ監督が音響の名手であるとは、後日得た知識であった。
 この効果音について小説と映画の決定的な違いは、小説が蝉の声をロドリゴの心象風景として描いているのに対し、映画では自然界の風景の一要素として描いている点にある。だから野や林が映るとほぼ自動的にグラスホッパーや蝉が鳴きだす。風の音や川のせせらぎと同列である。梅雨どき(?)とおぼしき雨の中でもグラスホッパーが鳴いている。やり過ぎである。
 スコセッシ監督には日本文学研究者のアドヴァイザーがついていたから、日本文学と虫の音についての知識を授かったのかもしれない。
 映画での蝉や虫の音は自然描写の一つとして使われているのであり、それらとロドリゴの心象風景は無関係である。だから先に引用した四つの場面のうちの百姓斬殺の描写では、牢からそれを見ているロドリゴの表情が映し出されても、蝉は鳴かない。映画のこの場面に「もののあはれ」などない。
 映画のロドリゴポルトガル人の被り物ではない。正真正銘のポルトガル人であり、西洋のカトリック司祭なのである。


〔補足〕ただ一つ例外がある。ロドリゴが日本上陸して間もない頃、海岸近くの岩陰で、深夜の暗闇、百姓たちがかかげる炬火のもと、切支丹村の長老に十字架の徴(しるし)を授ける場面があるが、ここでコオロギが鳴いていた。しかもその音は次第に大きくなり強調された。これは自然描写というよりも何らかの心象風景であろうが、コオロギの音に監督が託した意味はよくわからなかった。なお、小説にこの場面はない。

 

【母なるもの(1)】
 小説『沈黙』を再読し、終盤でロドリゴがまさに踏絵に足をかけようとするところまで読み進んだときに、なぜか遠藤周作『わたしが・棄てた・女』(1964年.雑誌連載は1963年)を突然思い出した。多くの人に踏まれて摩滅し、へこんだ顔のキリストがロドリゴに「踏むがいい」と語りかける場面である(267~268頁)。
 私の書棚にある『わたしが・棄てた・女』は1976年12月発行の文庫本である。内容は殆ど忘れていた。ヒロインの名も覚えていなかった。なのにその可哀そうな女(森田ミツ)が私の心に甦ったのである。殆ど何もかも忘れていたのに、『沈黙』の最終近くの場面で、ミツが「覚えてる?」と40年ぶりに声をかけてきたのだ。
 で、『沈黙』読了後に『わたしが・棄てた・女』を再読しのだが、ひどい小説だった。「ひどい」とは駄作という意味でである。ご都合主義もいいところ、殆どあり得ないような偶然の連続で、作者にとって都合のよい再会があったり、実は人物AとBとは以前知り合いだったというような都合の良さがあったりで、流行作家遠藤周作のやっつけ仕事である。鼻持ちならないインテリもどきのスノッブ吉岡に、聡明で堅実そうなお嬢様マリ子がなぜ恋愛感情を持つにいたるのか、その内的必然性がまったく感じられない。作者にとって都合がいいだけのことである。せりふが歯に浮いている。貧乏学生だった頃の吉岡が、映画雑誌の文通覧で見かけた馬鹿そうな19歳の女森田ミツをひっかけて、殆ど無理やりに体を奪い、一回だけでその後ミツに疎ましさと嫌悪感を覚えて棄ててしまう。営みに恐怖感と苦痛しか感じなかったミツが、なぜその後何年間も吉岡を心の中で慕い続けるのか、不自然である。一応の理由が書かれているが説得力がない。下手な小説の常套手段は登場人物が都合よく交通事故で死ぬことであるが、この作品もその定石を踏んでいる。小説が無茶苦茶に破綻している。今だと、通俗小説新人賞の応募原稿なら一次予選下読みの段階で間違いなく没だろう。
 この作品は商業的には大成功を収め、映画化もされた。
 このやっつけ仕事のなかで、遠藤は森田ミツの人物造型にだけは相当の思いをこめて真摯に描いたものと思われる。遠藤は晩年、ミュージカルとして舞台化されたこの作品を観て、観客席で涙が止まらなかったそうである。思い入れの深さがわかる。
 私も、舌打ちをしながらもこの小説を最後まで再読できたのは、ただただ森田ミツに惹かれたからであった。
 ミツは中学卒業後に世田谷経堂の小さな製薬工場に事務員として勤め始める。実家は川越にあるが、昭和20年代、東京からの心理的距離は今よりはるかに遠い田舎である。またミツは、父が再婚した新たな家庭で自分が邪魔になってはいけないという思いから、実家とはほぼ縁を切っている。ミツは工場の同僚の少女と二人で、近くにある家の中二階の元物置部屋に下宿をしている。週一日の休日の楽しみは、共同生活の仲良しと一緒に映画を観に行くことである。で、映画雑誌の文通覧で吉岡と知りあう。吉岡はミツの体が欲しくて、きつい酒を飲ませたうえで連れ込み宿の前で、マルクスがどうたら、ヘーゲルがこうたらと言ってミツを口説くような大学生だった。昭和20年代の大学生は超エリートである。吉岡は後に就職先の社長の姪マリ子と結婚する。ミツは転落の人生を歩み、ハンセン氏病(小説発表時の呼称。1983年以降の公的呼称はハンセン病)との診断を受けて御殿場の隔離病院に送りこまれる。誤診であったことが判明してからも、ミツはその病院で患者の世話をし続ける道を選択する。
 ミツは文通覧で知り合った吉岡への返信に、鶴田浩二を「ずる田こうじ」と書くような無学な娘である。無知で愚鈍、容貌もさえない娘だ。後に転落して川崎の怪しい酒場に勤めていたときにも、客の隣に坐ると「なんだ、ブタみたいな顔だな」と馬鹿にされる。
 遠藤周作は森田ミツを、キリストの再臨として描きたかったのではないだろうか。
 ミツは人の不幸に我慢ができない。子供の頃から、人が不幸せな顔をしているのを見るとたまらなくなるのだ。ましてそれが自分のせいだとなると、もう耐えられない。ミツが連れ込み宿の前で必死に抵抗しながらも、二度めに体を許してしまったのは、貧乏学生の吉岡が可哀そうになったからだった。ハンセン氏病の診断が確定し、御殿場の隔離病院に向かう列車で、絶望のどん底にあって心身ともに疲労困憊しているのに、混雑した車内でかろうじて確保した座席を、頭では譲りたくないと思いながらも、坐りたそうな老人に結局は譲ってしまうのだ。入院後しばらくは絶望して引きこもっているが、やがて他の患者ともうちとけていく。最初の頃は病気で崩れた外見の他の患者たちに恐怖を覚えたミツだったが、「あの人たちを嫌悪し、あの人たちのみにくい容貌をおそれていた自分がひどく悪い人間だったと思えてくる」。そしてミツは自分が同じ病気であることを忘れて、他の患者たちが可哀そうでたまらなくなってくるのだ。
 無知で愚鈍、そして聖性を内に持った女として遠藤はミツを描いている。ミツの苦難の連続を、遠藤はイエスの受難に重ねて描いているのだろう。
 小説『沈黙』でロドリゴキリスト像の銅板をまさに踏まんとしたそのとき、神の子キリストは沈黙を破る。多くの人に踏まれてきて摩滅しへこんだ顔で。

 

 踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。(268頁)

 

 森田ミツがキリストの再臨なのなら、それはなぜ女性なのだろうか。
 映画『沈黙』でも、ロドリゴが踏絵を踏まんとしたときに、神の子キリストが沈黙を破るのは小説と同じである。映画でのその声は雄々しくおごそかな男声である。小説にはもちろん音声がない。だがロドリゴの感性に即してそこまで読んできた私には、柔らかな母の声のように聞こえた。だからその瞬間、40年間私の心のどこかに潜んでいたミツという女が「覚えてる?」と囁いたのだろう。

 

【母なるもの(2)】
 小説『沈黙』のロドリゴの外面はポルトガル人司祭であっても、中の人が日本人であることを最初に見抜いたのは江藤淳である。江藤は沈黙論を『成熟と喪失――“母”の崩壊』(1967年)のうちのXXIV~XXVIIIの章で展開している。
 私は蝉の声からロドリゴ(小説)の感性の日本人性を上に指摘したのだが、江藤は遠藤周作の個人的な生い立ちに注目し、遠藤は「母」を回復したいという個人的心理をポルトガル人司祭の装いに隠して書いているのだと喝破した。
 詳しくは『成熟と喪失』を参照されたい。以下の記述は、江藤の沈黙論から離れた私自身の作文である。ときどき江藤の沈黙論に触れることがあるかもしれない。
 と言ったばかりで早速だが、江藤はまず遠藤の短編『私のもの』を取り上げている。私もまたそこから始めてみよう。
 『私のもの』は自伝的短編集『哀歌』(1965年)の中の一編で、遠藤自身はこの短編集を『沈黙』の前奏曲だと言っている(1976年、文庫本へのあとがきより)。自伝的と「的」を添えたのはもちろん虚構も織りまぜているからである。
 『私のもの』の語り手である勝呂は遠藤の分身とおぼしき人物である。母がまだ生きていた頃の勝呂少年は、父に棄てられた母と共に叔母夫婦の家に肩身の狭い思いをしながら居候生活をしていた。そのとき勝呂少年は叔母への気遣いから信仰心もないままにカトリック教会で洗礼を受ける。母は毎日のように夫の悪口やら愚痴を言い泣きながら暮らしている。母の死後勝呂は父に引き取られる。自分みたいに結婚に失敗しないようにお前の結婚相手は父さんが見つけてやる、と母を蔑むような言い方をする父に反発し、父が気に入りそうな女と結婚するのは母への裏切りだと思った。父が嫁探しをすることから逃れるために、好きでもない地味な女と勝手に結婚してしまう。

 

 交際している五、六人の娘のうち、この娘は特に魅力が乏しかった。梨の花のように地味で、目だたず控え目だった。パーティでも隅の席でおむすびのような顔をして、じっと坐っている。
 うどん屋で彼がそば湯をのみながら、結婚という言葉を言うと、このおむすびのような顔が一瞬、うごき、驚いたように彼を見つめた。(『私のもの』)

 

 勝呂はこの娘と28歳のときに結婚し、子供も授かり、今は40の手前である。「妻」は実在の遠藤夫人がモデルではない。虚構を織りまぜた自伝「的」短編である。

 

 細君は次第に肥り、みにくくなっていった。それは彼をいらだたせる場合がある。勝呂は彼女と争ったことはあまりなかったが、それは二人がたがいに満足していたためではなかった。一度、ある冬の夜、赤ん坊の横で彼は彼女を撲り、言ってはならぬ言葉を口に出してしまったことがある。
「君なんか・・・・・・俺・・・・・・本気で選んだんじゃないんだ」
 おむすびのような顔に泪がゆっくりと流れた。(同前書)

 

 「おむすびのような顔の妻」が、私には「森田ミツ」と重なって見える。「森田ミツ」は、遠藤にとっては、キリストの再臨であった。泪を流す「おむすびのような顔」は、ロドリゴが踏まんとした、キリストの摩滅しへこんだ顔にも通じる。

 

 そして、そのくたびれた顔のうしろに勝呂は妻と同じように、彼が本心から選んだのではないもう一つの顔を見つける。妻と同じように、彼が今日まで憎んだり撲ったり、そして、「君なんか・・・・・・俺・・・・・・本気で選んだんじゃないんだ」
 幾度もそう罵った「あの男」の疲れきった顔を見つける。(同前書)

 

 「あの男」(あるいは「この男」)とはキリストのことである。

 

 彼が「この男」を本気で選んだのではないんだと罵る時その犬のように哀しそうな眼はじっと彼を見つめ、泪がその頬にゆっくりとながれる。それが「あの男」の顔だ。宗教画家たちが描いた「あの男」の立派な顔ではなく、勝呂だけが知っている、勝呂だけの「あの男」の顔だ。私は妻を棄てないように、あんたも棄てないだろう。私は妻をいじめたようにあなたをいじめてきた。今後も妻をいじめるようにあなたをいじめぬと言う自信は全くない。しかし、あなたを一生、棄てはせん。(同前書)

 

 小説『沈黙』のカトリック司祭ロドリゴの中の人は日本人だと先に書いたが、その日本人はほかならぬ遠藤周作自身であった。遠藤は日本人カトリック者としての神への疑念と信仰の両方をロドリゴに託して書こうとしたのだ。
 短編集『哀歌』が『沈黙』のプレリュードならば、短編集『母なるもの』(1971年)は『沈黙』のポストリュード(後奏曲)だろう。
 この短編集の冒頭に置かれている一編『母なるもの』(雑誌初出は1969年)は平戸地域へかくれキリシタンを求めての「私」の取材紀行文の形をとり、随所に「私」の亡母への回想が挿入されている。取材先の地名は書かれていないが、平戸島の北にある生月島だろうというのが私の勝手な想像である。「南北十粁、東西三・五粁のこの島」という記述があるから、生月島と理解してまず間違いはない。生月島は今もかくれキリシタンが比較的多い地域である。ところが別の頁では「五島や生月ではかくれは、もうこの島ほど閉鎖的ではない」と書いているのだから、取材先の島は生月島ではないことになってしまう。あくまでも「この島」を虚構上の架空の島ということにしておきたいのだろう。
 かくれキリシタンは21世紀の現在も、長崎県の一部に組織を持って存在している。信教の自由が保障されている今はもはや「隠れ」てはいないので、「かくれ」と表した。さらにいえば本来のキリスト教から大きな距離ができてしまったようなので、「キリシタン」という言葉も不適当かもしれない(但し彼ら自身は自分たちこそ先祖伝来の真のキリスト教徒だと主張する)。以下の記述では、この短編の中で地元の人々が使っている単なる「かくれ」という言葉を用いることとする。
 21世紀の今については知らないが、遠藤が取材に赴いた1960年代当時は、かくれと他の住民との交流はあまりなく、他の住民たちはかくれの人々への蔑みの気持ちを共有していたようである。地元のカトリック教会の神父もかくれへの軽蔑を隠さない。
 「私」がかくれに関心を持つ理由は次のように説明されている。

 

 だが、私にとって、かくれが興味あるのは、たった一つの理由のためである。それは彼等が、転び者の子孫だからである。その上、この子孫たちは、祖先と同じように、完全に転びきることさえできず、生涯、自分のまやかしの生き方に、後悔と暗い後目痛さと屈辱とを感じつづけながら生きてきたという点である。
(中略)
私にも決して今まで口には出さず、死ぬまで誰にも言わぬであろう一つの秘密がある。(『母なるもの』)

 

 かくれは、祖先が踏絵を踏んで転んだおのが卑怯さとみじめさを、今に至るまで受け継いでいる。彼らの祈り(オラショ)は、「自分たちの弱さが、聖母のとりなしで許されること」を請うているのだ。「なぜなら、かくれたちにとって、デウスは、きびしい父のような存在だったから子供が母に父へのとりなしを頼むように、かくれたちはサンタマリアに、とりなしを祈ったのだ」(同前書)
 「私」は村役場の助役の紹介で、かくれの「爺役」(司祭役)の居宅を訪問する。爺はこの珍客を歓迎していない。「私」は納戸に祭っているという神を見せてほしいと懇願する。爺はそっぽを向いて返事をしない。異教徒に見せれば納戸神が穢れるのだ。だが助役がきつく頼むと、爺は根負けをして「私」を納戸に案内する。それは黄土色の掛軸で、キリストを抱いた聖母の絵・・・・・・いや、野良着の胸をはだけ乳飲み児を抱いた農婦の絵だった。

 

 にもかかわらず、私はその不器用な手で描かれた母親の顔からしばし、眼を離すことができなかった。彼等はこの母の絵にむかって、節くれだった手を合わせて、許しのオラショを祈ったのだ。彼等もまた、この私と同じ思いだったのかという感慨が胸にこみあげてきた。昔、宣教師たちは父なる神の教えを持って波濤万里、この国にやって来たが、その父なる神の教えも、宣教師たちが追い払われ、教会が毀されたあと、長い歳月の間に日本のかくれたちのなかでいつか身につかぬすべてのものを棄てさりもっとも日本の宗教の本質的なものである、母への思慕に変わってしまったのだ。私はその時、自分の母のことを考え、母はまた私のそばに灰色の翳のように立っていた。(同前書)

 

 短編『母なるもの』は、先に述べたように、紀行文形式の小説であるが、随所に「私」の亡母への回想が挿入されている。夫に棄てられ、親族の家に居候をしながらヴァイオリンを弾いたり、ロザリオをくって神に祈ったりしながら哀しみの日々を送っていた母の姿が回想される。少年の「私」は母を悲しませないため信仰心もないままカトリック教会にしぶしぶ通いつつ、しかし、母に隠れて悪行を重ね、それが母にばれて深い哀しみを与えてしまう。小説中の「私」の回想は母の哀しい姿と、その心を裏切った「私」の悔恨に満ちている。
 これだけのことであれば、遠藤周作一身上の問題である。しかし江藤淳も書いているように、「遠藤氏の描いている「私」の問題が、単に氏一個の問題から「東洋」と「西洋」、あるいは日本の近代全体につながる問題にひろがる」(『成熟と喪失』XXVI)のである。
 日本の精神分析医の祖ともいうべき古沢平作は、日本人の心の原型を「阿闍世コンプレックス」という概念で捉えた(1932年)。阿闍世コンプレックスについては当ブログでの拙文『憲法改正がなぜ困難なのか』で書いたので、ここでは要点のみを述べる。詳しくは上記拙文を参照されたい(アーカイブ2016年5月の中に入っている。当該文中の半ば過ぎにそれについての説明がある)
 要点は、母子一体感が転じて生じる子の母への怨みと裏切り、母の許し、それによって子に生じる罪悪感、許し合いによる一体感の回復という心理過程である。これがすべての日本人の心の基底にあり、日本人の集団生活の特質をもたらす。
 遠藤周作にも、母なる神に許しを請うかくれ信徒たちにも、この阿闍世コンプレックスが息づいている。
 そして小説『沈黙』のロドリゴ神父もこの阿闍世コンプレックスに動かされている。父なる神は沈黙を守り、ロドリゴの祈りに応えない。ロドリゴは、自分のために残忍な拷問を受ける百姓たちの苦しみに耐えかねて、愛から、キリストの顔を踏む。キリストは(小説の場合)優しい声で、「踏むがいい」と応える。
 この母なるものへの許しを請う日本人とは何者か、これからの世界にどう立ち向かっていけばいいのか、という問題はその次のテーマであり、本稿の目的を超えるので、ここまでとする。
 小説『沈黙』はそういう問題を投げかけているのである。

  

【スコセッシ監督のパトス】
 小説『沈黙』は海外でも大変評判の高い小説だ。20か国以上で翻訳され、ロングセラーを続けている。海外の読者は殆ど、この小説で提起されている日本人特有の問題意識とは無縁だろう。彼らが関心を持ってこの作品を読むのは、ひとつには「神の沈黙」という原始キリスト教以来永年の疑問が描かれているからだ。もうひとつはキリスト教と異質な文化との出会いについての興味だろうと思う。
 私の書棚にある『沈黙』は初版単行本(1966年3月)の第31刷版(1971年10月)である。函入りの美装本である。函の中には『長編小説「沈黙」の問題点――私は「沈黙」をこう読んだ――』と題する二段組16頁の小冊子が添付され、亀井勝一郎江藤淳会田雄次河上徹太郎竹山道雄アルマンドマルティンス、以上六人の論考が掲載されている。後年の単行本改装版にも添付されていたのかどうかは知らない。現行文庫本には収録されていない。
 論者のうち日本人五人の論点は多岐にわたるが、日本人にとってのカトリックという視点が大なり小なり共有されている。これに対し駐日ポルトガル大使(当時)マルティンスは、異郷に身をおいた孤独な人間の信仰の強さに注目し、「神の沈黙と人間の無情な沈黙を破ろうとする」試みをもったこの作品が東西の文明の橋渡しになることを期待している。当然といえば当然のことだが、『沈黙』を読む日本人と西洋人の基本的な視点の違いが如実に表れている。
 さて、スコセッシ監督の映画『沈黙』前半の圧巻は、切支丹百姓の部落の指導者イチゾウとモキチ(あともう一人)の処刑場面である。三人は波打ち際に打ち立てられた丸太の十字架に縄できつく縛りつけられたまま放置される。村人たちは怯えた目でこの光景を見つめている。見せしめである。満ち潮になれば、激しい波が容赦なく三人の顔面を打つ。すぐには死なない。少なくとも二、三日は悶絶の苦しみを全身で受ける。最後まで生きたモキチは四日目に聖歌を歌って息をひきとる。
 台湾の海岸でロケをしたこの場面は凄まじい迫力で観客に迫ってくる。映像はデジタルではなく、フィルムを用いて撮影している。遠くから、近くから、様々な構図で、嵐かと思うほどの大波に打たれる三人の苦悶の表情が映し出される。俳優も命がけであったろう。待機したスタントマンは殆ど使われなかったそうだ。三人の俳優は渾身の演技を見せた。イチゾウを演じた笈田ヨシは83歳の老優である。
 小説『沈黙』でもこの場面は前半の小さな山場であるが、これほどの激しい描き方はしていない。小説のこの場面での殉教者は二人である。満ち潮になれば顎まで水につかり、満潮と干潮を繰返しながら、衰弱して死んでいく。波の描写は少ししかない。引き潮のときには、村の女オマツとその姪が二人を憐れみ、役人の許しを得たうえで、小舟で干し芋を二人のもとへ持っていき食べさせようとする。だがイチゾウにはもう食べるだけの体力がない。モキチは早く死にたいからなのか、芋を食べない。オマツと姪は泣きながら浜に戻る。映画にこんな場面はない。大波が顔を打つのみである。
 小説『沈黙』がこの場面で描いているのは、貧しい百姓が殉教する姿への憐れみであり、哀しみである。映画『沈黙』は殉教者の信仰の強さを描き出している。イチゾウとモキチの表情は、苦しみながらも毅然としている。主の名を呼んでいる。そして最後に息絶える。信仰の強さを表現するためにこそ、荒々しい海の迫力映像を描き出したのだ。「あの場で私たちが触れたのは神の存在そのもの」と後にスコセッシ監督は語っている(NHKBS1スペシャル『巨匠スコセッシが“沈黙”に挑む』1月2日・再放送7日・・・以下の記述では「BSスペシャル」と略記する)
 キリスト教と異文化の格闘、そこで貫く信仰の強さ、スコセッシ監督が表現したいことの核心である。
 スコセッシ監督は小説『沈黙』の英語版(2007年)の序文で次のように書いている。

 

 キリスト教は信仰に基づいていますが、その歴史を研究していくと、信仰が栄えるためには、常に大きな困難を伴いながら、何度も繰り返し順応しなければならなかったことが分かります。これはパラドックスであり、信仰と懐疑は著しく対照なうえ、ひどく痛みを伴うものであります。(映画パンフレットより孫引き)

 

 ここでいう「懐疑」とは、沈黙する神への疑念である。
 神の沈黙は原始キリスト教でも大問題であった。
 イエスが十字架に釘打たれて刑死したとき、神は沈黙していた。弟子たちは神の沈黙にとまどったが、イエスの復活という解答を見出して、このとまどいを克服した。イエスは神の子キリストとなった。
 紀元70年にローマ軍の総攻撃によって火蓋をきったユダヤ戦争で、エルサレムの城内は灰燼に帰した。女も子供も多数虐殺され、城内は死屍累々の地獄絵のようだった。神殿も燃え落ちた。ユダヤ教徒に与えた衝撃は大きかったが、原始キリスト教団にも「神はなぜ沈黙しているのか」「キリストはなぜ再臨しないのか」という問いを突きつけた。この疑念を克服できず脱落する者がある一方、不合理ゆえに信仰を深める信徒たちがより絆を強くした。
 信仰とは本来不合理なものである。信仰の有無は、不合理性を受け入れるか否かの問題でもある。神の沈黙ゆえに神の実在を信じない合理主義者は無神論に向かう。教派は違っても、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』でロシア正教の精神世界を背景に、無神論者イワンが熱弁を振るっている。罪を犯した大人ならともかく、無垢な子供まで正視に耐えないようなひどい虐待を受けているのはどういうことだ、神がこの世界を創造したというのなら神こそ罪を犯した張本人ではないか、と。
 20世紀の二度の大戦の惨禍も、現代のキリスト教徒たちの間に、沈黙する神への懐疑をふくらませた。そして21世紀にも。
 スコセッシ監督は『沈黙』を今映画化する意義を次のように語っている。

 

 それは今この時代の、この世界においてこそ、作らねばならなかったということです。特に、人々の信仰のあり方が大きく変わり、それを疑うようになり、宗教的な組織や施設にも、おそらくは懐疑の目が向けられている、今の世界だからこそです。その中では信仰心も変わるのかもしれません。だから、このような映画を作り、世に送り出すことで、人々に何かを考えさせる機会になるかもしれません。あるいは、この物欲にまみれた世界では、忙しすぎて誰も目をくれなくなったことを、再び差し出せるかもしれません。(映画パンフレット・インタビュー記事より)

 

 マーティン・スコセッシはイタリア移民の子で、ニューヨークのリトル・イタリーで生まれ育ったカトリック教徒である。リトル・イタリーはマフィアとギャングの街である。少年時代の夢は神父になることだった。
 遠藤周作マーティン・スコセッシは、神の沈黙にもかかわらず信仰をより深める道を模索したいという問題意識を共有している。だからこそ、スコセッシは1988年に『沈黙』を初めて読んでのめりこみ、様々な困難がありながらも、映画化したいという意欲を持ち続けて今日に至ったのだ。遠藤が他用でニューヨークに赴いたとき、スコセッシが面会を申し込んで映画化の承諾を得たのは1991年のことだった。

 映画に戻ろう。
 布教を目的として日本に向けて旅立ったポルトガルの司祭セバスチァン・ロドリゴと同僚の宣教師ガルペは、中継地のマカオで、恩師クリストヴァン・フェレイラ教父が日本で拷問に屈して棄教したという情報に接する。


(注)小説では、ロドリゴたちはポルトガル出発前にこの情報を得て驚愕している。


 あのフェレイラ師に限ってそんなことはあり得ない、直接会って確かめたいという強い気持ちに若い司祭たちはかられる。マカオの教会の神父は、日本がキリスト教を禁圧していること、残忍な拷問や処刑が実施されていることから、日本への渡航は危険だと、思いとどまるよう説得する。ロドリゴとガルペは説得を振り切り、キチジローの手引きで長崎の僻村トモギ村に渡る。その後ロドリゴとガルペは、リスク分散のため、別々の地に向かう
 キチジローの裏切りで囚われの身となったロドリゴは、長崎奉行井上筑後守の策略により、フェレイラと面会の場を持たされる。フェレイラは既に棄教し、日本名と妻を与えられて、奉行所の意向に従った仕事をしている。科学知識を授け、キリスト教を否定する書も著している。フェレイラ改め沢野忠庵である。
 フェレイラはロドリゴに棄教を勧める。日本の精神風土は沼のようで、キリスト教は根づかないという。禁圧がなかった時代にも、キリスト教は日本に根を下ろしたように見えて、実は日本の土俗の宗教に変容してしまったのだ、とフェレイラは語る。ロドリゴはフェレイラに失望し軽蔑する。
 日を改めて、ロドリゴの牢の傍、奉行所の中庭で五人の百姓たちが残忍な穴吊りの拷問を受け苦しんでいる。穴の中に逆さに吊るされ、延命のため耳の後ろにあけた小さな穴から血を一滴一滴たらしつつ、数日間苦しみながら最後には死ぬ。穴の下は便槽のようである。ロドリゴは彼らの呻き声を聞いて耐えられない。
 フェレイラが来て、ロドリゴを説得する。百姓たちは既に転ぶことを役人に誓っている、だが拷問は続くのだ。ロドリゴに踏絵を踏ませることが目的の拷問だからである。ロドリゴが踏絵を踏めば彼らは救われるのだ、とフェレイラはロドリゴを説得する。キリストがこの場にいたならば彼もきっと棄教するだろう、と。
 ロドリゴが踏絵のキリストの顔を踏まんとしたとき、神は沈黙を破り、神の子キリストがロドリゴに語りかける。ここまでは小説と映画はだいたい同じだ。その声を聞くロドリゴの、小説と映画での感性の違いについては、先に述べたとおりである。
 映画では、棄教後のロドリゴとフェレイラが奉行所の仕事で作業中に、二人が会話を交わす場面がある。「心を裁けるのは主だけだ」とフェレイラ改め沢野忠庵が呟く。フェレイラは完全に棄教し、ポルトガルイエズス会では許しがたい背教者として断罪されている。そのフェレイラの呟きである。聞き咎めたロドリゴが「“主”と言われましたね」と返す。フェレイラは「聞き違いだよ」ととぼけて立ち去る。
 小説にはないちょっとした場面だが、フェレイラの心の奥にまだ信仰の種火があることをスコセッシ監督は描こうとしている。
 棄教後のロドリゴは岡田三右衛門という日本名と妻を与えられる。岡田三右衛門は亡くなった武士の名で、与えられた妻はその未亡人である。小説ではこの辺の記述はあっさりとすまされる。妻の具体的な描写は一切ない。
 江戸に移されたその後のことは、切支丹屋敷役人日記という史料の形をとった数頁で紹介され、三右衛門が64歳で罷り無量院において仏式で火葬されたことが報告されている。戒名も与えられている。
 小説では岡田三右衛門の妻の描写は一切ないが、映画では映し出される場面が三回ある。最後は三右衛門の葬儀の場面で登場する。せりふはない。一般にせりふのない演技は難しいものだが、黒沢あすか演じるこの妻はしかもずっと無表情である。なおかつ、存在感がある。なかなかの演技である。
 遺体は座棺に納められ、僧侶の読経があり、妻は線香をあげ手を合わせる。そして仏式の所作に従い、小さな守り刀を白布に包んで納棺する。棺は火葬場に運ばれる。棺桶が火に包まれるなか、座棺の中がクローズアップされる。三右衛門の掌には小さな十字架のキリスト像が乗せられている。妻が役人の目を盗んでそっとしのばせたのだろう。

 これがこの映画のラストシーンである。小説にはないスコセッシ監督のメッセージである。この徴(しるし)はロドリゴがパードレ時代から肌身離さず持っていたもので、牢内の場面でも伏線として映し出されていた。
 ネット上のレヴュー欄をチラ見すると、このラストシーンに対して、原作を歪めるなという批判があった。【はじめに】で述べたように、小説と映画はそれぞれに独立した作品だから、これでいいのである。
 私は残念ながらスコセッシ監督のことをよく知らない。特に映画ファンというほどでもないので、この巨匠の作品を観たのは『沈黙』が初めてである。スコセッシ監督若き日の作品『タクシードライバー』(1976年)が先日BSで放映されたので録画したが、時間の余裕がなくまだ観てない。
 その狭い範囲での感想だが、スコセッシ監督と遠藤周作はどちらも弱い人間にとっての信仰という問題意識を共有しているが、その方向性は違っている。遠藤の場合は、先に述べたように「母」の回復とカトリック信仰が内面で相克している。スコセッシ監督の場合は、困難に打ち返されながらも信仰を持ち続けたいという強い意思である。
 遠藤は日本人であり且つカトリック者であることに苦悩した。スコセッシ監督は、アメリカ社会でカトリック教徒であることにどのような相克をかかえているのだろうか。それについて私はまだ何も知らない。今後他の作品をもっと観る機会があれば考えてみたい。
 スコセッシが小説『沈黙』に出会ったのは1988年で、それは大司教からのプレゼントだった。当時彼はイエスを主人公とした映画『最後の誘惑』を完成したばかりで、イエスの人間的側面を描いたこの映画は公開後物議をかもすことになる。アメリカのキリスト教徒たちは憤激し、各地で抗議のデモが頻発した。映画館のスクリーンは切り裂かれた。この怒りはヨーロッパのカトリック教徒たちにも波及した。スコセッシ受難の時代である。私は当時TVのニュースや雑誌の記事でそれを見ていた記憶がある。
 この頃からスコセッシは小説『沈黙』にのめりこみ、何度も繰り返し読み込んだ。映画化にあたってはスタッフや協力者たちとチームで読み込んだ。
 神への懐疑の克服と信仰の回復、これがスコセッシ監督が四半世紀にわたり小説『沈黙』を読み続けて希求したことである。

 

【弱き者への眼差し】
 ここまでの記述では、小説『沈黙』と映画『沈黙』の差異に目を向けてきたが、映画『沈黙』はスコセッシ監督が小説『沈黙』に大いなる共感をもって取り組んだ作品である。そういう視点からも考えてみよう。
 スコセッシ自身が信仰に挫折しそうな疑念に陥っていたとき、『沈黙』の何に強く惹かれたのか。それはキリスト教の女性的な側面への関心であったとインタビューで答えている(「BSスペシャル」)。

 スコセッシはシチリア出身の大変厳しい父と慈しみの愛を注いでくれる母のもとで育ったという。これは前に書いた遠藤の父への反発と哀しい母の姿への愛惜と相似である。
 遠藤は殉教した強き者たちよりも、転んだ弱き者たちへ共感を持っている。スコセッシもまた同じである。それがこの小説及び映画の核心である。スコセッシ監督は上のインタビューで、「キチジローは弱いがゆえにロドリゴの魂の救済者になる。あわれな男だが、私たちも同じ弱き者である」と言う。
 臆病で、卑怯で、あわれで、惨めな弱き者キチジローに対して、その惨めさを徹底的に描きながらも、ロドリゴに軽蔑されながらも、スコセッシや遠藤はキチジローを自分と同じ弱き者として共感をこめて描いている。
 キチジローにはかつて臆病さゆえに家族を裏切って踏絵を踏み、家族が火刑に処せられる光景を目の前で見たという心の深い傷がある。キチジローは己の弱さ、卑怯さを司祭ロドリゴに告悔し、ロドリゴはそれを聴聞して許しを授ける。しかしその舌の根も乾かぬうちに、キチジローはロドリゴを罠にかけ役人に売りとばす。役人に引き立てられようとするロドリゴにキチジローは「パードレ。ゆるしてつかわさい。わしは弱か。わしはモキチやイチゾウんごたっ強か者(もん)にはなりきりまっせん」と泣くように叫ぶ。(122頁) 映画でもほぼ同じような描写である。
 キチジローはこの後何日もの間、ロドリゴに執拗につきまとい、牢内の司祭に呼びかけて許しを求め続ける。棄教後のロドリゴ改め岡田三右衛門にも告悔と許しを求めて会いに来る。
 映画にあって、小説にはないキチジローのせりふがある。「強くなりたい」と言うのである。
 スコセッシ監督は「BSスペシャル」のインタビューで言っている。「(転んだ者は)努力すればいいのです。次はもう少し強くなるように。それが重要なのです。弱い人間は追放されて神の愛を受けられないのか? それは違うのです」
 ロドリゴは司祭としての義務感からキチジローの告悔に許しの秘蹟を与えるが、(映画でも小説でも)キチジローのうす汚さ、惨めさに嫌悪感を覚え軽蔑している。

 

 魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるなら、それは誰だってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸(ぼろ)のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。司祭はそれを理屈では知っていたが、しかしまだキチジローを許すことはできなかった。ふたたび基督の顔が自分に近づき、うるんだ、やさしい眼でじっとこちらを見つめた時、司祭は今日の自分を恥じた。(182頁)

 

 イエスがユダに言った言葉、「去れ、行きて汝のなすことをなせ」――群衆の気持ちがイエスに幻滅し憎しみに変わったとき、最後の晩餐でイエスに反発したユダに投げかけたイエスの言葉の真意が、小説中のロドリゴにはよく理解できない。だが後年の遠藤周作は、イエスにはユダへの憎悪はなく、ユダを含むすべての惨めな者への同伴の気持ちがあったと、この言葉を解釈している(1973年『イエスの生涯』より)。
 ロドリゴが棄教し岡田三右衛門と改名しても、キチジローは告悔を求めて切支丹屋敷を訪ねて来る。既に棄教した三右衛門に告悔を聴聞することはできないが、この頃のロドリゴにはキチジローに寄り添う気持ちが、小説でも映画でもそこはかとなく表現されている。「最も軽蔑する人が自分の教師であり、イエスの教えをもたらす人なのです」とスコセッシ監督は言う(「BSスペシャル」)。
 ロドリゴと同僚の司祭ガルペの描き方をみてみよう。二人が最初に身を潜めたトモギ村から代表三人(映画では四人)が明日奉行所に出頭し、踏絵の取り調べを受けることになっている。ロドリゴは憐憫の情から、方便として「踏んでもいい」と、司祭として口に出してはいけないことを叫んでしまう。小説でのガルペは咎めるようにロドリゴを見つめ、映画でのガルペは「それはだめだ」と叫んでロドリゴと言い合いになる。
 後日浜辺でロドリゴとガルペは久々に再会する。二人ともそれぞれ既に囚われの身である。ガルペと関わりのある百姓たち三人の処刑が今始まろうとしている。百姓たちは俵の薦(こも)で簀巻きにされている。役人は彼らを小舟で沖合に連れ出して海中に突き落とす算段である。百姓たちは既に踏絵を踏んで転ぶことを誓っているが、許されない。ガルペ自身が転びを誓った場合にのみ自由の身となるのであり、役人たちはガルペを説得する。ロドリゴは遠くからその光景を眺めて「転んでいい」と心の中で叫ぶ(映画では声を出して叫ぶ)。だがガルペは役人の説得に応じず、百姓たちは海中に突き落とされる。ガルぺは「私を身代わりにしろ」と必死に叫んで舟に駆け寄ろうとするが、溺死してしまう。ガルペは殉教した。百姓たちを見殺しにして。
 つまりガルペは正しいカトリック司祭なのであり、殉教者には天国での栄光が約束されている。小説も映画も、ガルペという人物をロドリゴと対比するために登場させているのである。
 ロドリゴは、沈黙する神への疑問にしばしば悩まされながらも、信仰を貫いている。しかし最後には、苦しむ者たちへの愛から、踏絵に足をかけて転ぶ。既に引用したとおりである。
 司祭としての道を誤った弱き者ロドリゴへの共感をもって作品を創造したのは、小説と映画の核心的共通点である。
 英語版の小説『沈黙』には誤訳が多いと、ヴァン・C・ゲッセル教授は指摘する(「BSスペシャル」)。ゲッセル教授はアメリカの遠藤周作文学研究の第一人者で、スコセッシ監督の文学アドヴァイザーを務めた人である。「白湯」を「tea」と訳す程度の小さな間違いにとどまらない。看過できない大きな誤訳があると言う。井上筑後守ロドリゴに転ぶことを説得する場面で、原文の「転ぶ」を英語版では「apostatize(背教)」と訳している。「背教」は神への完全な反逆を意味するが、「転ぶ」は「fall down」であり、転んだ者はまた立ち上がれるのだ。井上筑後守や役人たちは、踏絵を前にした百姓たちに、さらにはロドリゴにも、「形だけでよいのじゃ。そっとかすめる程度でもいい、形だけじゃ」と繰り返し言っている。日本人のこのいい加減さと、西洋思想の厳格さとの対比もおもしろい。
 「転ぶ」はかならずしも「背教」を意味しないから、「信心戻し」といってかくれ切支丹が今日まで続いていることは既述した。
 遠藤周作がかくれ信徒の母なる神への信仰に共感を持っていることは、本稿【母なるもの(2)】で詳述した。遠藤は日本人カトリック者としての己が苦悩をロドリゴに託して描いたのだが、その行きついた先は「父なる神」への信仰の回復ではなく、母性への回帰であったと私は理解している。「あなたを一生、棄てはせん」と言った相手、犬のような顔をして泪を流している「あの男」は母なる神キリストではなかったか。
 スコセッシ監督は、先に書いたように、やはりキリスト教の女性的側面に関心を持ってこの作品に取組んだ。キリスト教聖母マリア崇拝は、プロテスタントよりも、カトリックにおいてその傾向が強い。しかしそのカトリックにおいても、聖母マリアは神ではない。神、キリスト、精霊の三位一体の中に聖母マリアは含まれない。カトリック信徒にとっての聖母マリアは父なる神への取り次ぎ役である。
 日本のかくれ信徒のマリア信仰は、やはり恐ろしい父なる神への許しを請うて取り次ぎを祈るものであったが、日本の土壌にある観音信仰と祖先崇拝に飲み込まれて、母なる神を祈る信仰に変容していった。
 スコセッシは、キリスト教の女性的側面に頼りつつ、父なる神への信仰を貫こうとしている。映画のラストシーンに、スコセッシ監督のそのメッセージがこめられている。
 遠藤周作は母性に回帰し、マーティン・スコセッシは父なる神への信仰を取り戻した。
(了)

 

【付記― 文学は政治の具に非ず】
 この項では政治学者岩田温氏の文学観を批判的に取り上げる。俎上に上げるのは氏のツイッターでの発言である。これについて私はしばし立ち止まり、この批判行為の是非について考えた。
 ツイッターは気軽な短文投稿サイトで、普段着での発言であることが多い。その片言隻句にことさらに照明を当てて、揚げ足を取るようなことはしたくない。
 しかし以下に取り上げる発言は、氏が雑誌記事やブログなどで年来表現してきた固有の文学観から出てきたものである。しかも1か月後に同じ趣旨のツイートを再び繰り返しているのである。ならば、これはもはやたまたまある日の戯れ言という類の呟きではない。短文で意を尽くしてはいない発言であることを充分に配慮したうえでの批判なら許されるだろう。それなりに影響力を持ったプロの論客の発言であることを考えれば、看過できないとも思うのである。

 昨年末の岩田氏のツイートである。

 

2016.12.23.11:36
遠藤周作の『沈黙』が映画化されるという。まことに下らない作品だ。日本人がキリスト教徒を弾圧していたというが、キリスト教徒たちが侵略の先兵となった事実を無視している。奴隷にされた日本国民を救おうとした豊臣秀吉のことぐらい言及すべきだ。

2016.12.23.11:42
遠藤周作の『沈黙』は、読んでいて腹が立つ小説だ。日本に対する愛が足りない。それに比べて『深い河』は、興味深い作品となっている。

 

 映画『沈黙』のスコセッシ監督のモチーフの一つに、西洋人の視点から見たキリスト教と異文化との衝突という問題への関心があった。ならば、そのキリスト教に対してなぜ豊臣や徳川の時代の日本が禁圧政策をとったのかという視点も映画内に持たせておくべきだったともいえる。
 だが小説『沈黙』にそのような背景説明は不要だと思う。なぜなら、小説『沈黙』はけっして歴史小説などではなく、昭和40年前後の遠藤周作の心模様を描いた内面ドラマだからである。そのことは拙文本論全体で詳しく書いた。もし小説『沈黙』の政治性を問うのなら、江藤淳がそうしたように、その内面ドラマに反映されている戦後日本の時代精神に照準を合わせるべきだろう。それは本稿の目的を超えているとも、拙文本論【母なるもの(2)】の締め括りで書いた。
 当時の日本でなぜキリスト教が禁圧されたのかという視点は、この小説では夾雑物にしかならない。それについて知りたいのなら、また別の書を読めばすむことだ。岩田温『人種差別から読み解く大東亜戦争』(2015年)などその一例だろう。
 岩田氏はきっと『沈黙』を、例えば司馬遼太郎歴史小説などと同じ類の読み物として読んだのだろう。そして腹を立てている。それがいかに見当はずれの読み方であるかは、拙文本論全体で明らかにしている。もちろん誤読の自由は誰にもあるが、氏を信頼してこのツイートに追随している人たちにとっては有害である。
 岩田氏はなぜそのような誤読をするのだろうか。それは氏が文学作品や映画に接するとき、常に、氏の政治的価値観に照らしながらそれらの作品に目を向けているからである。文学それ自身が内から発している光を見ない。私が今まで読んできた氏の雑誌記事やブログの記事ではいつもそうだった。
 そのすべてをここでは振り返らないが、一例として「月刊正論2015年11月号」で岩田温氏が執筆している記事『又吉直樹よ、知っているか? 太宰治愛国者だったことを』をあげておこう。
 先に言っておくが、これは読み応えがあるなかなか良い記事である。日本の敗戦後の太宰治の諸作品がGHQの検閲によって(あるいは自主規制によって)部分的削除をいくつも受けたことを、公開時の作品と本来の原稿とを照らし合わせながら実証的に明らかにした、岩田氏の誠実な作業による労作である。おかげで、私もいい勉強になった。関心のある方は、古雑誌を探さなくても、産経新聞のWEBサイトに全文が保存されているので、参照されたい。
 岩田氏はこの記事で、太宰治が敗戦によって受けた哀しみと心の傷が太宰の戦後の作品に表現されていることを明らかにしている。それはいい。その岩田氏の筆致にまったく異存はないのだが、氏の文学への関心はこのような政治的関心に限られるのである。だから、政治への関連性がないらしい又吉直樹の作品が唐突に非難される。
 この記事の題名は編集部が独自につけたもので、岩田氏にとっては不本意なものだろう(当時の岩田氏のツイッターより)。「又吉直樹よ、知っているか?」は編集部の客寄せのための惹句である。
 上に「唐突に非難」などと題名につられてつい書いてしまったが、さほど非難しているわけでもない。ベストセラーになった又吉直樹の『火花』は「特に面白くもなかったし、感銘も受けなかった」と冒頭に書いているだけである。続けて太宰ファン又吉の太宰観を紹介しているのだが、別に非難はしていない。記事全体の枕にしているだけである。『火花』は、大騒ぎをするほどではないが、それなりに味のある作品だと私は思うのだが、岩田氏にとっては、自らの政治的価値観にかなうかどうかだけが関心事なのだろう。だから「特におもしろくもなかった」。
 まあ好き嫌いは人それぞれである。餅が嫌いだという岩田氏に、餅けっこううまいよ、と言っても、意味のある会話にはならない。
 だから『沈黙』に腹を立てている姿を見かけても、放っておけばいいのかもしれないが(注)、政治的価値観から文学作品を裁くような見方には異議を申し立てたいのである。
(注)ちなみに私は遠藤周作ファンでも、『沈黙』ファンでもない。

 キリスト教の布教が、日本に限らず世界の各地で西洋の侵略と植民地支配の先兵となったことは、遠藤周作自身も当然知っている。他の著作にそのような文言がある。
豊臣秀吉キリスト教の布教を禁じたのは、日本人が奴隷として売られていることへの憤激ももちろんあったろうが、第一には自らの権力基盤が侵食されることを恐れたためである。一向一揆石山本願寺一向宗に悩まされ続けた織田信長の苦労を秀吉は間近に見ていた。前記の『人種差別から読み解く大東亜戦争』はその秀吉の真意が公平に書かれていたように記憶するが、上のツイッターや言論サイト「IRONNA」の記事を読むと、岩田氏は特に秀吉の愛国者としての側面に共感しているようである。岩田氏の心の投影であろう。
 だから『沈黙』に愛国者の姿がないので腹を立て、「下らない作品」だと断罪する。「日本に対する愛が足りない」と言って文学作品をこき下ろすその姿は、「労働者貧農への愛が足りない」と罵声を浴びせて文学者たちを断罪した紅衛兵とどこが違うのだろうか。文学は政治の僕(しもべ)か。毛沢東の『文芸講話』か。
 文芸作品にはそれ自身が発する自律的な人間観や世界観がある。それを政治的価値観に従属せしめて賞賛したり断罪したりするのは、愚かであるだけではなく危険でもある。もちろん優れた文芸作品には時代精神が反映されており、その意味での政治性はあろうが、今ここでそんなことを言っているのではない。
 例えばアニメ映画『この世界の片隅に』をみてみよう。多くの日本人の共感を得て、今もロングラン中の名画である。「すず」という名の若い女性の嫁入り前から始まり、嫁ぎ先での戦時中の日常生活を、ある意味で淡々と描いた作品である。人は様々な時代に否応もなく笑ったり悲しんだりしながら生きてきたのであり、これからもきっとそうなのだなあとしみじみと感じ入ってしまう作品だ。
 この時代を扱った今までの作品は、愛国をあるいは反戦をうたいあげる紋切り型の描き方が多かった。そのどちらでもない、日常生活を真摯に生きる人々の笑いや悲しみを作者の暖かな手で描いて多くの観客の共感を呼んだのだ。文芸作品それ自身が自律的に持っている人間観や世界観とは、そういうことなのである。
 ところがこの時代を愛国心というフィルターを通してでしか見れない人にとっては、この映画の魅力がわからない。退屈なだけであろう。ツイッターその他での反応を見ると、『永遠の0』にあれほど感激の言葉を熱く書き連ねていた人たちの多くが、『この世界の片隅に』には無反応である。
 他方この時代を反戦というフィルターを通してでしか見れない人たちがいる。彼らがこの映画を観たときの感想は二つに分かれる。これは戦時中の悲惨さを描いて反戦の意思をこめた映画だという感想と、反戦のメッセージが弱いという批判の二つである。昭和20年8月玉音放送が流れたあとの場面で太極旗が翻る一コマがある(映画と原作漫画両方)が、この人たちはこれについても色々と解釈を試みる。私はただそういう時代なのだと、流れに乗って観ていただけだった
 どちらにせよ不自由な人たちだ。多くの人たちは素直にこの映画を心に受け入れて、大ヒットとなっているのに。
 文学や映画あるいは諸々の芸術作品やエンタテインメントを政治の具にしてはいけない。

 岩田氏の年末のツイートを見て、「日本に対する愛が足りない」という意味は、上述のように、キリスト教を禁止した日本の立場を表現していないという意味だけで言っているのであり、まさか日本人登場人物のキャラがいやらしく描かれているということにまで反発しているのではなかろうと思った。まさかそこまでは、と。
 ところが1か月後のツイート。

 

2017.1.22.15:06
高校生のときだと思うが、遠藤周作の『沈黙』を読んで、本当に嫌な作品だと思った。全く感性が合わない作品だった。日本人が醜悪に描かれていて腹が立った。『深い河』のほうがずっと好きだ。

 

 高校生の幼い感想ならともかく、30代半ばの政治学者がそう言っているのである。目を疑った。
 小説に醜悪な人物が登場してくるのはあたりまえのことである。日本人は清く正しく描かれていなければならないのか。『沈黙』文庫本の解説末尾にも岩田氏の感想と似たようなことが書かれていた。あれは執筆者と作者の社交第一の世渡り術なのである。よいしょしながら、ちょっとだけ批判のポーズもとっておく。岩田氏にそのような不誠実さはない。純真なだけである。
 キリスト教の宣教師や信徒に残酷な拷問、処刑が行なわれてきたことは史実である。そこには当然酷薄な役人や狡智にたけた役人もいたであろう。また百姓のなかにも、イチゾウやモキチのような立派な人物もいただろうし、キチジローのような卑劣で惨めな男もいたにちがいない。これらの人物はいつの時代にもいる。日本人はいつも清く正しく描かれていなければならないのか。
 臆病で、卑怯で、あわれで、うす汚い弱き者キチジローの惨めさを徹底的に描かないことには、この小説は作品として成り立たない。岩田氏にとっては成り立たなくて結構ということなのだろう。私的に焚書するのはかまわないが、不特定多数に向けたツイッターで粗悪なレッテルを拡散するようなことは慎んでもらいたい。若者たちが、この先の多様な読書生活のなかで読むかもしれない一冊の芽を摘んでいるのだから。
 キチジローがこの作品においてどれだけ重要な人物か、遠藤がどれだけ共感をもって描いているかについては、拙文本論【弱き者への眼差し】の項で書いたので、ここでは繰り返さない。

 岩田氏は思索者なのだろうか、運動家なのだろうか。もちろん思索者が政治的意見を公の場で発言することは大いにあっていい。思索と運動の間の関連を否定するつもりはないが、両者を混同してはいけない。岩田氏の思索の営みは運動の言葉で規制されてはいないか、と思うのである。岩田氏の言論にいつもつきまとっている凡庸さは、この混同と無縁ではなかろう。凡庸さと混同は鶏と卵の関係で、前者が後者を、後者が前者をもたらすのである。このスパイラルを克服されることを願ってやまない。

 

 

〔補足〕岩田氏がツイートで評価している『深い河』について書き忘れた。岩田氏がなぜこの作品を積極的に評価するのか、短文ではわからないので、私も想像で意見を述べるのは差し控える。ただ『沈黙』と『深い河』は四半世紀の年月を隔てた作品ではあるけれど、両者には共通のテーマが一貫していることだけは指摘しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

議論と思考を放棄する人たち――井上達夫バッシング

 『朝まで生テレビ!』は、1980年代後半から90年代前半にかけて、録画してちびちび見ていたこともあった。当時としては新鮮な企画であり、物珍しさもあったのだ。近年は殆ど見ることがない。言論の断片が飛び交っているだけだから、貴重な時間をこんな番組の視聴で浪費したくないという思いが強い。
 言論の断片に関心があるのなら、テレビを消して、その論客氏の著書を1冊でも2冊でも読んだほうが余程豊かな理解をもたらすであろう。
 あるいは言論バトルが面白いという視聴者も多いのだろう。「議論」は大切だと思うが、そんなバトルなど面白くもなんともない。
 というわけで、年明け早々の「朝生テレビ」(1日午前1時~5時50分)も見る気はなく、当然録画もしなかった。
 ところがその後ツイッターを覗いてみると、同番組のパネラーの一人であった井上達夫氏(法哲学者)への批判や罵倒が満開になっていた。それらの書き込みを読んでいくと、井上氏に特段新しい発言があったわけではなさそうだ。氏が今まで著書で深く考察し論理展開をしてきた言論の断片がオンエアされただけのことだと察しがつく。
 しかしその番組を見ないままで本稿を書くのも気がひけるので、youtubeでちびちびと視聴し、前半2分の1くらいは見た。上記「察し」のとおりであった。
 「井上達夫」で検索すると、今日あたりは冷静な書き込みが多くなっていてほっとするが、放送直後元日の同欄は井上氏へのバッシングが溢れかえっていた。井上氏に賛同する発言も散見されたが、悪口が圧倒的多数だった。
 憲法から9条の削除をかねてより主張している井上氏だから、護憲左派からの反発が大きいかと予想したが、ざっと閲覧した範囲ではそのような書き込みは見当たらなかった。番組後半は未視聴なので、井上氏がその持論をどのように発言したのかについて私は知らない。
 ツイッター上で私が見たバッシングは、いわゆる右からの発言ばかりだった。
 「基地外」「世界人類のために早く死ね」「こんなアホとは思わなかった」等々の罵詈雑言はツイッターにつきものの下劣さだが、井上氏の発言にいちいちレッテルを貼って勝ち誇って見せる態度からは、この人たちは井上氏の著書を1冊も読まず、従って言論の断片に脊髄反射しているだけなのだなと分かる。

 「現実が歪んで見える東大教授」とツイートしている人は、氏の著書を読めば全然歪んでいないことが分かるはずだ(賛否を言っているのではない)。この人自身が井上氏の片言隻語を勝手に歪めているだけなのだ。

 「朝日新聞お気に入りの文化人」というレッテルも見かけたが、ある書き手が井上氏の持論である護憲派批判を紹介した原稿で、朝日新聞編集部がその部分を削除させたという事実を知らないのだろう。朝日新聞にとって「井上達夫」は検閲のキーワード化しているのだ。
 井上氏の物言いが傲慢だというツイートもたくさんあった。曰く「東大教授の俺様が言うんだから間違いない、みたいな人物です」――厳しさを備えたフェアーな態度で議論しようとしている井上氏の姿勢をこのようにしか受け止められない貧しさ。厳しさを傲慢さと間違う軟弱さ。この人は著書を1冊も読んでませんと自白しているも同然である。どの著書を読んでも、井上氏が他者とのフェアーな議論をどれだけ大切にしているかが分かろうものを。
 井上氏が天皇制廃止論者であることを知ると、即「この東大教授は日本人じゃない」というお決まりのレッテルを貼る。それで勝ったつもりでいるのだ。
 井上氏は、天皇制廃止の結論に達する前に、日本人にとって天皇の存在はどのような意味を持っているのかという問題を提起しているのである。賛否を急ぐ前に、それについて考えてみればいいではないか。考えることが不敬なのか。
 私の立場をいえば、日本の文化的伝統の継承という意味で、皇室への尊崇の念はある。しかしTVで天皇陛下のお言葉を聴いて感極まったりする感性は私にはない。また日本の伝統的な共同体意識に敬意を持つ反面、個の責任の曖昧さや、同調圧力と部外者に対する精神的迫害という負のセンスには反感を持っている。この負のセンスと長い歴史のなかで天皇を戴き続けた感覚には通底するものがあると考えるから、基本的に皇室に尊崇の念を持ちつつもいささか複雑な思いもあるのである。
 すぐにレッテルを貼るのではなく、考えればいいではないか。私も井上氏の論に同意しないが、ならば、氏の論を熟読し己の考えを鍛えて深めたいと思うのである。そう簡単にはいかず、かなわないと思うこともあるが、ならばそこでそのままにしておき、考え続けるべき課題とすればいいのである。
 井上氏と私とでは、知識量はもちろんのこと、鍛えぬいた思索の深さで、月とスッポンである。だが一寸の虫にも五分の魂があるように、スッポンにも考える意欲だけはあるのだ。レッテル貼りをしている暇などないのである。
 なお枝葉のところで過ちを犯すことは井上氏にもあろう。例えば小林よしのり氏との対談本『ザ・議論』の125ページで、井上氏はモハメド・アリの徴兵拒否を称賛しているのだが、その枕詞として「エルヴィス・プレスリーベトナム戦争のときに徴兵に応じたけど」と言っている。これは明らかに井上氏の思い違いである。プレスリーは1958年に徴兵され、西独の米軍基地に配属された。それが事実である。
 上の例は本筋に関係しないちょっとした思い違いだったが、広島を訪問したオバマ大統領が被曝者をハグしたときその老人は顔をそむけていた、という「朝生テレビ」での井上氏の発言は間違っていると思う。私もそのハグの場面はTVで見たし、その老人(森茂昭氏)へのインタビューも聞いた。森氏は原爆で亡くなった米兵捕虜の追悼を続けてきた方で、彼はけっして現職アメリカ大統領への反発を行動に表したわけではない。これはプレスリー徴兵についてのちょっとした思い違いとは違って、その場面を先入見を持って見ているという意味で、思想家としての瑕疵だろう。これに対する批判ツイートもあったが、それは正当な指摘だと思う。罵詈雑言やレッテル貼りとは同質ではない。
 気持ちの悪いツイートがウヨウヨ蠢くなかで、次のツイートは救いだった(HN:一文学徒)。

 

井上達夫先生の講義を受けている学生として、twitter上での完全な誤解が気になるが、その大半が「反日親中」「左翼」「態度がムカつく」「東大は○○」だの議論と関係ないルサンチマンの論理。ムカついたら著書などを読んでみるべきで、勝手なレッテル貼りはナンセンス

 

 井上氏の著書を1冊でも読んだことがある者は、きっとこの学生のツイートに共感するだろう。

 


 昨年大晦日早朝のNHKラジオエッセーで俳優の仲代達矢氏が大意次のように語っていた。
憲法改正がいわれるようになってきたが、だいたい国を守るなんて言い出すと危ないんですね。みんな仲良くすればいいじゃないですか。日本は70年余りずっと戦ってこなかったんですからね」
 録音していたわけではないが、主旨はこのとおりである。語調も仲代氏の語り口を再現するように努めた。(放送直後にツイートしたので印象新しいうちの要約である)
 公共の電波を通じての発言なので、発言者の名を遠慮なく明記した次第であるが、日本の映画界にはこれとまったく同じ発言をする人がたくさんいる。仲代氏一人ではない。いや、映画界にかぎらない。有名無名を問わず、これと瓜二つの発言をする人たちが日本の津々浦々に夥しくいる。まるで定型句のゴム印が一斉に発売されたようにである。
 今ここで発言内容を批評するつもりはない。長年繰り返されてきたこの定型句に対する反論は多くの論者から数えきれないほどぶつけられてきた。この定型句を口にする人たちは、反論に直面したときその反論を熟考したうえで自分の主張をより深めるべく鍛えようとしないのである。いや、直面すらしていないのだ。聞く耳を持たないからである。馬耳東風とはよく言ったものだ。だから何かかけられたカエルみたいな顔をして、しれっと十年一日同じ定型句を言い続けるのである。議論の生まれる余地がない。

 

 議論と思考を放棄する人たちは、立場の左右にかかわらず、たくさんいる。どの程度にたくさんいるのか、私にはよく分からない。あんまりたくさんだと、日本の民主主義は壊れると思う。
(了)

自衛隊の存在を憲法に明記すれば、それでいいのか

 憲法改正の論点はいくつかあるが、ここでは国防の問題について考える。
 自衛隊の存在を憲法に明記せよと主張する論者の文章が、今月の産経新聞に立て続けに掲載された。8月16日の西岡力氏(現代朝鮮研究者)及び29日の坂元一哉氏(国際政治学者)のそれぞれの論考のことである。

 

 憲法第9条2項で戦力不保持が規定されているのにもかかわらず、必要最小限の自衛権の行使は憲法上許容されているとの拡大解釈によって自衛隊を創設し、存続せしめてきたことは周知のとおりである。常識的な国語の問題としての条文の読解と、こじつけ的な憲法解釈の間にある齟齬、これが9条をめぐる不毛な神学論争をもたらし、性懲りもなく延々と今に至っている。

 

 西岡氏と坂元氏いずれの主張も、国民多数は自衛隊の存在を認めているのだから、9条条文との齟齬を解消するために、自衛隊の存在を明記するような憲法改正を行うべきだという趣旨である。

 

 まず西岡氏の論考から見ていこう。西岡氏は「憲法の平和主義と自衛隊の存在は矛盾せず共存している」と書き、次のように続ける。9条1項の平和主義の源流は1928年のパリ不戦条約にあり、それが国連憲章に受け継がれ、世界の多くの国々の憲法にも同種の平和主義の規定がある。そしてそれらの国々の憲法は自衛のための軍の存在も同時に明記している。

 

 つまり、日本国憲法9条1項の平和主義との保持は矛盾しないどころか、その並存が世界の常識なのだ。ところが、ほぼ唯一、日本だけが9条2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」という戦力不保持規定を持ち、自衛のための最小限の実力組織である自衛隊について、憲法に明文規定を持たない特殊な国となっている。(下線は引用者による)

 

 この西岡氏の文章では、「軍」と「自衛隊」それぞれの定義の違いが曖昧である。軍は国家の交戦権に基づいて行動する実力組織である。それに対し、拡大解釈によって憲法上許容されているという自衛隊は、交戦権が明文的に否定されている以上、武力の行使(防衛出動の場合)や武器使用(その他の場合)にあたっては専守防衛にとどまることが拡大解釈の限界なのである。
 西岡氏は上の段落に続けてさらに次のように書いている。

 

 日本人の大多数は自衛隊を認めているのだから、世界の常識である9条1項は変えず、2項を変更して自衛隊の存在を明記するか、3項に「前項の規定にかかわらず自衛のための自衛隊を持つ」などと書き加えることは、おおかたの国民の常識に沿うものといえるのではないか。

 

 西岡氏の改正案は9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」という文言の削除について何も触れていないから、結局のところ現行の自衛隊をそのままで(現行の制約のままで)追認せよと言っているに過ぎない。ではいったい何のための憲法改正なのか、意味不明となってしまう。
 あるいは引用の前々段にあるように、軍の保持が世界の常識だと書いているのだから、自衛隊の存在を憲法に明記しさえすれば、なし崩し的に「軍」になってしまうとでも思っているのだろうか。
 軍と現行自衛隊の本質的な違いについて何も考えていないような主張は読者をミスリードするものである。自衛隊の存在を憲法に明記すれば日本の防衛政策が進展するかのような勘違いを国民に与えて、意味不明の改正で大騒ぎをしても、それは必要な改正を事実上阻む騒動にしかならないだろう。

 

 坂元氏の論考は、前半が9条問題、後半が第1条の象徴天皇を護るべきとする主張の2本立てである。といっても、たとえば柄谷行人氏が『憲法の無意識』で指摘した1条と9条の関係というような問題意識とは無縁である。単に2つの論点を、ほぼ無関係に並べたというだけの文章である。だから9条についての記述は短く、掘り下げもない。
 氏は「世界有数の実力を持つ軍事組織になっている自衛隊について、憲法に一言の言及もないというのは国家の法体制の一大欠陥」であるとし、改正の必要を次のように書き進める。

 

 これは必ずしも憲法9条を変えるべきだという主張ではない。憲法に新しい条文を作って自衛隊の存在を書き込み、その最高指揮権は首相が持つと書き込む方法でもいい。憲法9条と自衛隊は矛盾しないというのが国民の大方のコンセンサスなのだから、それはそう難しいことではなかろう。

 

 これはつまり、西岡氏の9条に3項を追加するという改正案とほぼ同じである。現行憲法の交戦権否定条文は廃止せず、自衛隊の存在を今のままに追認せよと言っている点も西岡氏と同じである。今のままでも、坂元氏にとって自衛隊は「世界有数の軍事組織」なのである。自衛隊はいつ「軍」になったのか?

 

 武器装備の質と量が世界有数のものであっても、現行憲法は軍を認めていない。ただし解釈改憲によって自衛隊の防衛出動で許容される活動範囲は事実上の軍事行動に限りなく接近している。たとえばミサイル発射前の段階での敵基地攻撃も、一定の条件のもとで許容されるというのが政府の従来からの公式見解である。
 だが、防衛出動以外の海上警備行動や治安出動での自衛隊の行動については制約が多い。これらの自衛隊の行動については警察官職務執行法海上保安庁法が準用され、「武器使用」(防衛出動の場合と違って「武力の行使」とはいわない)は正当防衛の場合にしか認められない。

 

 たとえばアメリカ合衆国の場合はどうか。領域警備活動を担う沿岸警備隊USCGは国土安全保障省の傘下にあり、米軍第5の軍との位置づけである。領域で不適切な行動をする者に対しては「服従を強制するためのすべての実力を行使(use of force=武力の行使)することができる。その実力の行使は比例性及び必要性の原則に拘束されるが、日本の場合のように正当防衛の枠がはめられているわけではない。統合参謀会議が定める規定(部外秘)やUSCGの武器使用規定及び武力行使規定に従わなければならないという原則はある。

 

 軍は法で禁止されている行為以外のすべての実力行使ができるが、警察は法で許されている行為に限定しての実力行使しかできない。後者の場合は臨機応変の対応に無理がある。


 日本国土への侵略の野望を隠さない中国は、自衛隊憲法上の制約を熟知しているだろうから、必ずその隙をついてくるはずだ。現行法のもとでの自衛隊海上警備行動では、尖閣諸島の防衛は甚だ心もとない。もし自衛隊員が国土防衛のためにやむを得ず少しでも法を逸脱するようなことがあれば、日本の左翼は自衛隊員を、場合によっては殺人罪で、刑事告発するにちがいない。
 海上保安庁の警察行動と、必要に応じての(自衛隊改め)自衛軍の軍事行動が連携してこそ尖閣諸島の防衛は可能になろう。グレーゾーン事態のグレーのグラデュエイションに応じた対応は、現行憲法のもとでの自衛隊には無理があり、一気に防衛出動にエスカレートするしかない。


 局地的な戦闘を超えて戦争へエスカレートする危険を抑止する力は基本的に軍事である。外交も軍事の裏付けがなければ無力である。
 自衛隊の防衛出動にあたっては、憲法の拡大解釈のもと、9条1項の文言どおりでは否定されているはずの「武力の行使」も認められる(自衛隊法第88条1項)。一定の要件のもとで敵基地攻撃も認められる(政府公式見解)等、防衛出動は軍事行動にぎりぎり接近しているといえる。
 だが憲法の拡大解釈には、「自衛のための必要最小限」という縛りがあるのであって、専守防衛の枠を乗り越えることはできない。たとえば日本に甚大な被害をもたらすような敵国の攻撃に対して報復攻撃を実行することは専守防衛の枠を超えているから認められない。この報復攻撃の潜在的可能性こそ戦争の抑止力になるのだが、日本はその抑止力を奪われているのである、憲法によって。


 日本国憲法には軍事活動の権限の規定がない。9条で交戦権を否定している以上当然の帰結である。
 憲法第65条で「行政権は、内閣に属する」と規定されるが、自衛隊の活動はこの行政権の範疇に含まれると解釈するほかはない。行政権は、司法、立法ととともに国内での国家主権の執行に係る権限である。だから他国の主権との相互作用となる外交や条約の締結は、この行政権の執行とは別に、あらためて第73条でこれらも内閣の職務であると規定されている。軍事とは他国の主権に対する実力行使を前提とするものであるから、当然行政権の範疇では捉えられない。やはり73条で、軍事も内閣の職務であると規定すべき権限なのである。9条で交戦権を否定した日本国憲法には、もちろん73条にも軍事の規定はない。
 日本国政府は解釈改憲の無理を重ねてきたのだが、自衛隊の防衛行動についてはついに行政権執行の範疇を超えることができない。それが専守防衛の法的意義である。

 

 西岡力氏や坂元一哉氏が書いているように、9条1項や2項の規定をそのままにして自衛隊の存置を新たに憲法に明記したところで、その自衛隊は、現行どおり、軍事権限のもとで動かすことはできないのである。
 西岡氏や坂元氏にかぎらない。9条の条文と自衛隊の存在の間には齟齬があり、このよう欺瞞を放置してはいけない、国民の遵法精神を損なう、子供の教育上もよくない、だから自衛隊の存在を憲法に明記すれば欺瞞は解消するのだ、そして自衛隊員も誇りを持てるだろう、という主張は多くの人が口にする。
 で、自衛隊の存在を憲法に明記すれば欺瞞が解消するのだろうか。やはり自衛隊は軍としては認められていない。憲法にも軍事の規定がない。防衛出動にあたっては「武力を行使」し、場合によっては敵基地をミサイル発射前に攻撃することになるかもしれない。しかしそれは軍事ではないという。
 これが欺瞞でなくて何なのだろう。

 

 軍事を正面から捉えることが国防上の憲法改正の要諦である。
 だがそれは国民の圧倒的多数が許さないだろう。もう今さら手遅れなのである。
(了)

 


【附記】
西岡力氏の論考:8月16日産経新聞

www.sankei.com

 

坂元一哉氏の論考:8月29日産経新聞

www.sankei.com

アメリカ合衆国沿岸警備隊USCGについては、防衛省防衛研究所編『諸外国の領域警備制度』を参照した。

http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-2_1.pdf

 

日本国憲法第73条の意義については、木村草太氏(憲法学者)の著『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(2015年)を参考にした。

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鳥越俊太郎騒動から考えること

【はじめに】
 この原稿は7月26日にほぼ書き上げていた。都知事選の開票を見てから若干加筆してアップする心づもりだった。そして今加筆している次第である。午後8時ちょうどに、出口調査小池百合子候補に当確が出た。鳥越俊太郎候補は惜敗ではなく、惨敗の色が濃厚である。
 この原稿をアップすることに、先程やや迷いが生じた。「惨敗」とは得票数のことだけをいっているのではない。候補のあまりもの無能さが晒されたことに加え、10数年前のスキャンダル記事にまみれて、鳥越俊太郎像が地に落ちたことをいっているのだ。水に落ちた犬を叩くようなことはしたくない。
 まして私はもうずっと前から週刊文春週刊新潮のゴシップ記事を苦々しく思ってきたのだ。あらかじめ設定したストーリーに即して、ときには捏造すれすれに対象となる人物をスキャンダルに落とし込んでいく。大衆の嫉妬心という劣情を刺激しながら、偶像を地に落とそうとする。彼らの取材法や編集法は卑劣である。大出版社を敵にまわすと仕事生命にもかかわりかねない芸能人は泣き寝入りするしかないこともあろう。ペンの卑劣な暴力だ。
 私はもう長年これらの週刊誌を手にしていないので、鳥越氏をめぐる今回のスキャンダル記事も新聞広告でしか知らない。記事内容の真偽については判断する立場にない。鳥越氏を擁護する気などさらさらないが、イエロージャーナリズムの尻馬に乗って人を叩くような合唱に参加するつもりもない。
 だが、スキャンダル記事が出る前から、既に浮動層は鳥越氏から急速に離れつつあった。告示日直後には鳥越氏の人気が高く、楽勝かとも思われていたが、最初のスキャンダル記事が明るみに出た20日夕刻(雑誌の公式発売日は21日朝)の前には、鳥越氏への支持率は既に2位に後退しており、翌週には3位にまで転落した。スキャンダル記事に関わりなく、有権者は鳥越氏の不適格さを見抜きつつあったのだ。
 私は、7月13日のツイッターにも記したように、その時点で鳥越氏を痛々しく思っていた。だが今回の騒動は、鳥越氏一個人の資質の問題にとどまらない。
 このような人物がなぜ長年TV界で、あたかも知識人であるかのように扱われ人気を得てきたのか。なぜ四党はこのような人物を統一候補として担いだのか。選挙が終わった今、批判を向けるべき論点はこの二つだろう。それは都知事選が終わった今こそ整理しておくべきことだと考える。このような観点から、私は迷いをふっきって、用意していた原稿をアップすることにした。
 そのうえで、鳥越氏個人への批判もまったく遠慮しないこととする。公職選挙の候補者は公人だからである。

 

【第一の論点】
 今の60~70歳代の人たち(注・私も同世代だ)の一部によく見られる、ファッションとして身に着けた左翼的ポーズにまず目を向けてみよう。「反安倍の暗い情念」などというものではない。反権力の装いをかっこいいファッションだと若い頃から思ってきた人たちの一人が鳥越氏なのだろう。
 以前も別の拙文で一部引用したことがあるのだが、村上春樹ノルウェイの森』(1987年)の登場人物・緑が次のように語っている。舞台は1968年の大学キャンパスである。今回の引用は少し長めになるが、60~70歳代の少なからぬ人たちの今現在の言動をもたらしている、精神の原型をうまく描いている文章だ。村上春樹の名文をとくと味わってもらいたい。

 

「あのね、私、大学に入ったときフォークの関係のクラブに入ったの。唄を唄いたかったから。それがひどいインチキな奴らの揃ってるところでね、今思い出してもゾッとするわよ。そこに入るとね、まずマルクスを読ませられるの。何ページから何ページまで読んでこいってね。フォーク・ソングとは社会とラディカルにかかわりあわねばならぬものであって・・・・・・なんて演説があってね。で、まあ仕方ないから私一所懸命マルクス読んだわよ、家に帰って。でも何がなんだか全然わかんないの、仮定法以上に。三ページで放りだしちゃったわ。それで次の週のミーティングで、読んだけど何もわかりませんでした、ハイって言ったの。そしたらそれ以来馬鹿扱いよ。問題意識がないだの、社会性に欠けるだのね。冗談じゃないわよ。私はただ文章が理解できなかったって言っただけなのに、そんなのひどいと思わない?」
「ふむ」と僕は言った。
「ディスカッションってのがまたひどくってね。みんなわかったような顔してむずかしい言葉使ってるのよ。それで私わかんないからそのたびに質問したの。『その帝国主義的搾取って何のことですか? 東インド会社と何か関係あるんですか?』とか『産学協同体粉砕って大学を出て会社に就職しちゃいけないってことですか?』とかね。でも誰も説明してくれなかったわ。それどころか真剣に怒るの。そういうのって信じられる?」
「信じられる」
「そんなことわからないでどうするんだよ、何考えて生きてるんだお前? これでおしまいよ。そんなのないわよ。そりゃ私そんなに頭良くないわよ。庶民よ。でも世の中支えてるのは庶民だし、搾取されてるのは庶民じゃない。庶民にわからない言葉ふりまわして何が革命よ。何が社会変革よ! 私だってね、世の中良くしたいと思うわよ。もし誰かが本当に搾取されているのならそれはやめさせなくちゃいけないと思うわよ。だからこそ質問するわけじゃない。そうでしょ?」
「そうだね」
「そのとき思ったわ、私。こいつらみんなインチキだって。適当に偉そうな言葉ふりまわしていい気分になって、新入生の女の子を感心させて、スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ、あの人たち。そして四年生になったら髪の毛短くして三菱商事だのTBSだのIBMだの富士銀行だのにさっさと就職して、マルクスなんて読んだこともないかわいい奥さんもらって子供にいやみったらしい凝った名前つけるのよ。何が産学協同体粉砕よ。おかしくって涙が出てくるわよ。(後略)」

 

 当時は、身の危険を顧みず過激な暴力闘争に走るセクト所属の学生たちも少なからずいたが、それとは別にいわゆる一般学生の過半が、程度の差こそあれ、左翼気分に浸っていた。もちろん意識的な反左翼の学生もいたが、少数で、変人扱いをされることが多かった。上に引用したフォーク・ソング・クラブの先輩たちの姿は、当時どこにでもいた一般学生のそれである。他方、己の存在をかけて活動に打ち込んで ――それが正しいこととは言わないが―― 体に、心に、簡単には癒えない深い傷を負った者も少なくない。フォーク・ソング・クラブの緑さんの先輩たちはけっして傷つかない安全な場所でかっこをつけていただけだから、社会人になっても、学生時代を左翼気分で過ごしたことが懐かしい思い出となり、ある者にとってはそれが誇らしい思い出となり、酒の席で武勇伝を語ったりするのだ。
 鳥越俊太郎氏は、上のフォーク・ソング・クラブの学生たちよりは少し年上で、60年安保の政治の季節に大学生であった世代の人である。1970年前後のいわゆる全共闘時代の学生たちと60年安保期の学生たちとでは、左翼運動に関する感覚に色々違いはあるのだが、その違いについてここで語っても意味はなかろう。一般学生の「何となく左翼気分」は共有しているのである。
 大学(短大を含む)進学率は、鳥越氏と同世代の1960年で10%、緑さんと同世代の70年で24%程度である(現在は50%強)。18歳で就職する者が同世代の大半であった。同世代全体を見れば、その多数は、フォーク・ソング・クラブで左翼ごっこをすることもなく、地に足の着いた生活感を身につけていった。もちろん色々な人がいるのであって、組合活動等を通じて左翼運動に身を投じていた人たちもいた。
 再び「何となく左翼気分」の大学生に目を向けてみよう。緑さんの言葉を借りると「髪の毛短くして三菱商事だのIBMだの富士銀行だのにさっさと就職し」(一語略)た若者たちはいつまでも左翼気分でいられるわけもなく、実生活のなかで揉まれ、選挙では自民党に投票するようにもなった。だが三つ子の魂は心の根っこに息づいていて、豊かさへの指向とあわせて護憲意識も強く持ち続けていた。あるいは「改革」のスローガンがお気に入りで、小泉内閣の登場には大喜びだった。「自民党をぶっ壊す」と大見えを切る小泉純一郎首相に喝采を送ったり、日本の外交を無茶苦茶にしかねなかった田中真紀子外相が妄言や妄動を繰り返すたびに、まるで身内を見るように目を細めて愛おしそうに彼女への賛辞を語ったりしていた。退職した今は、若い頃への郷愁もあるのか、「アベ政治を許さない」という流行りのポスターを掲げていたりする。例えばの話だ。個々には色々な人がいる。
 「三菱商事だのIBMだの富士銀行だのに」ではなく、マスコミ界や教育界に進んだ者のなかには、「何となく左翼気分」を何の屈折もなく学生時代のままに持ち続けた人たちが多かった。団塊の世代プラスマイナス概ね10年ぐらいの世代でマスコミ界に就職した者たちは、1980年代、90年代、ゼロ年代のTV各局の左傾化を推進してきた。彼らの多くは既に第一線を退いているが、その路線は次の世代にしっかりと継承されている。
 その突端で花を咲かせたのが、例えば鳥越俊太郎氏のようなTVスターだといえる。ただの駒にすぎないのだろうが。
 私が初めてTVで鳥越俊太郎氏を見たのは、20年ぐらい前になるだろうか、氏がキャスターを務めていた『ザ・スクープ』という番組で、住宅地域にある高圧送電線が周辺住民に及ぼす健康被害への心配を特集したときだった。不動産関連の仕事上の関心から録画して観たのだ。番組内容はほとんど覚えてない。勉強になったという印象は残っている。キャスターの鳥越氏にも好印象を持ったように思う。
 その後氏の出演番組を見る機会はほとんどなかった。何かの拍子にチラ見して、反権力姿勢からの紋切り型コメントを語る姿に出くわしたときなどに、発言内容の奥行きのなさにうんざりすることがときどきあった程度だ。もっともらしい語り口につられて付和雷同してしまう視聴者も多いのだろうと思ったが、どうせTVなんてその程度のものだという諦めの気持ちでやり過ごした。
 何だこの人は! と思ったのは、2014年8月NHK総合TVの討論番組で鳥越氏の出鱈目さを見せつけられたときだった。私はこのときリアルタイムで番組の一部始終をじっくりと視聴していたのだが、論者(鳥越氏)の不誠実さに唖然とした。今の発言が数分前の自分の発言を否定していることにすら気がつかないのだ。6人の論客による討論番組で、このときの鳥越氏の支離滅裂ぶりについては、討論参加者の1人である政治学者・岩田温氏が著書『平和の敵 偽りの立憲主義』(2015年)の23~27頁で詳しく再現しているので、ここでは繰り返さない。さわりの部分の動画はYouTube にもアップされている。『日本にどこの国が攻めるんですか』で検索すれば簡単に見つかる。
具体的描写はそれらに譲るが、私がここで言いたいのは、鳥越俊太郎氏に思想などないということだ。左翼だろうが何翼だろうが、誠実さがあるならば、歳月を経て培ってきたその人自身の思想というものがあろう。鳥越氏の言葉は、自分の血肉化した思想から湧き起こってくるものではなく、その場その場での巧言でしかない。巧言令色鮮し仁、である。
 「他者」との討論という場では惨めな正体をさらけ出してしまうのだが、鳥越氏が日頃TVで発言する場には「他者」がいない。キャスターやコメンテーターとして一方的に発言しているだけである。氏の風貌やもっともらしい語り口が、ある種の視聴者には知的に見えるのだろうか。活字を読まずTV以外に情報源を持たない人たちのなかには、鳥越俊太郎氏を日本の最高の知性の1人だと思っている者も少なくないようだ。カニ蒲を最高級のカニだと思い込んで有難がっているようなものである。
 TVに登場するコメンテーター等がみんな偽知識人だなどと無茶なことを言うつもりは毛頭ない。本業の分野で立派な業績をあげている学者も少なくない。しかし、インテリ風味の味付けを施したキャスターやコメンテーターの内には、TVの画面の中だけでしか通用しない人も結構いるのである。鳥越俊太郎氏はそんな1人である。
 1980年代頃より進行してきたTV各局の左傾化は軽薄化と裏腹である。制作者にとっては、例えば鳥越氏のように、見せかけと語り口だけをもっともらしくして、反権力ポーズの無内容な言辞で番組進行上の時間を費やしてくれればそれで充分なのである。すべてのTV番組がそうだとはいわないが、視聴者に考える機会を提供し議論の質を深めることよりも、逆に大衆の思考を停止せしめたり、あるいは低い方へ低い方へと誘導しようとする報道・情報番組が少なからずある。そういう番組でかっこだけつけた「何となく左翼気分」の「知識人風味」がTV画面限定で重用され、その人がスターになってしまったりするのだ。
 たいていの道具は、それを持つ人の使いこなす能力や道徳次第で、人々の生活の向上に役立つこともある反面、人々を不幸にする凶器になる可能性も秘めている。TVは大変有用なメディアになり得る可能性を持っているが、反面、愚民化を促進する凶器にもなり得るのである。
 鳥越氏が都知事選への出馬を表明(12日)した直後、まだ告示(14日)前で報道規制がなかった期間に、他のTVキャスターやコメンテーター等々の業界仲間から、鳥越氏への賛辞やエールが相次いだ。私はそれらの番組を直接見ていないが、ネット上の記事や動画で知った。
 鳥越氏自身、TV界のスターの地位を築いたことで、自分がひとかどのオピニオンリーダーであるかのような錯覚に陥っており、また業界仲間もその人を喝采とともに送り出したのである。政策を何も考えず、従って語らない候補者として! 「知らないことを『知りません』って言えちゃうところも結構すごいですね」(安藤優子キャスターのTVでの発言。12日)、「勉強してないと正直に言えることがすごい」(テリー伊藤コメンテーターのTVでの発言。13日)などの賛辞もあった。公職の選挙を舐めてるのか!
 TV画面の外に出ると、そこは「他者」がひしめいている世界である。まして選挙となると、「他者」(有権者)への説得、「他者」(他候補)との討論が必要となることはいうまでもない。にもかかわらず、鳥越候補は数少ない演説で「1に憲法、2に平和、3に非核」とか「安倍政権を倒す」とか叫ぶほかには、「都政など3日勉強してすべて分かった」という付け焼刃の「政策(?)」をとってつけたように語るだけであった。「保育所の待機児童をゼロに」と言っても、それに反対する人などいないだろう。具体的にどうするかが政策なのである。大島へ出向くと、大島限定で消費税率を下げるなどと、思いつきだけで無責任なことを言う。あるいはまた、3日勉強したのに「介護離職」という語の意味を理解していないことがバレバレで、恥をかいたりする始末であった。
 他候補との討論会の企画は二度(フジTV・ニコ生)もドタキャンで逃げ出し、フジTVの場合はそのため番組企画が急遽取り止めとなって、他候補がTVで政策を訴える貴重な機会をも奪ってしまった。鳥越候補は「他者」との討論に耐えられないレベルなのである。辻褄合わせのつもりかバラエティ番組には出演し、他候補に無意味な因縁をつけて激高して見せたりしていた。
 これほどまでにレベルが低く、公職の選挙を愚弄するような有力候補者がかつていただろうか。
 TVでは告示以後は規制のためこのような醜態への批判的報道はなく、いやそれどころか、告示日以前は前述のように鳥越氏にエールを贈っていたのである。新聞各紙は、産経だけを例外として、12日の出馬会見の報道で当然疑問を投げかけるべき鳥越氏の態度につき、まずいところは隠蔽し美化するような編集を施して紙面をつくった。詳しくはネットマガジン「現代ビジネス」で、ジャーナリスト(元日経編集委員)・牧野洋氏の7月19日の配信記事『鳥越俊太郎氏の出馬会見を大手メディアはどう報じたか~「デジタルデバイド」を助長する報道界の悪しき慣行』を参照されたい。
 ネットで鳥越批判の声が渦巻いたのは当然の健全な反応である。私もまた告示日前後に、この馬鹿げた都知事選への怒りのツイートを連発した。そこには当然鳥越氏個人への批判も含まれたが、それ以上に私の関心はTVや四党(特に民進党)への批判に向かっていた。いくつか拾ってここに再掲してみよう。

 

無知の自覚は私生活レベルではある意味大切なのだが、それを知事立候補会見という公共の場で表明し、その姿勢を賞賛するタレントコメンテーターの妄言を垂れ流すTV局というのは醜悪なだけだろう。醜悪と思う人と追随する人、どちらが多いのだろう。(7月13日)

 

1.有力政党推薦の知事立候補者が会見の場で、個々の政策については「まだ考えてない。これから勉強する」を連発する。
2.メジャーなTV局の番組が、その候補者の会見態度をほめそやす。
こんな変な国は世界に一体いくつぐらいあるのだろうか。
1だけでも滅多にないだろうが、1+2となると…(13日)

 

ネットでは鳥越氏に対する批判が溢れているが、私は氏の姿を痛々しく思う。私の怒りは、政策を語る事もできないこんな愚昧な人物を担ぎ出した公党の責任に対してのものである。「TV界の人気者だから愚民たち喜ぶぜ」という都民を舐めた政治屋らの心根と、鳥越氏をもてはやす一部のTV局が許せない。(13日)

 

ここ四半世紀日本の民主主義がどんどん劣化してきている事は承知しているが、とうとう都知事選に政策を何も持たず従って当然語れない老人が公党4党の統一候補として登場してきた。現段階ではリードしているという。異様である。有名だからとかいい人そうだからとかで投票する人がどれ位いるのだろうか。(16日)

 

都政に対する責任感が皆無の候補者を担ぎ出した民進党幹部。彼らの大衆蔑視と裏腹の煽動体質を絶対に忘れないように! ここは特に重要である。試験に出るよ。(16日)

 

TV各局の多くは業界人の鳥越氏を応援するスタンスだから、今朝の報道2001の企画つぶしの卑劣な振舞いも、ほとんど伝えられることはないのだろう。TVだけを情報源としている善男善女は氏のそんな実像を知る由もなく、ダンディで知的で誠実そうな人じゃない? とか言って票を入れたりするのか。(17日)

 

民・共と鳥越某に愚弄されている東京都民は怒れ!(17日)

 

巣鴨で、鳥越陣営の都民をなめた態度には、さすがに聴衆から怒号が飛んだそうだ。朗報である。
東京都民よ、怒れ!(18日)

 

民進党内から岡田執行部批判の動き。やっと表に出て来た。民共野合への批判だけでなく、執行部政治屋たちの大衆蔑視と煽動体質にも切り込んでもらいたい。都知事選の惨状はその表れだ。国会審議への姿勢もそうだ。(21日)

 

 数えてみたら、7月13日から21日までの9日間で、都知事選関連のツイートを27件(人様のRTを含む)も発していた。日頃無口なツイッタラーとしては珍しい。怒っていたのだ。

 

【第二の論点】
 上のツイートにあるように、鳥越候補を担ぎ出した四党の責任は重大である。当初俳優の石田純一氏が出馬の可能性を表明したとき、岡田民進党代表は彼を四党統一候補にすることに乗り気だったという。昨年国会前の集会で反政権の(意味不明だったが)アジ演説をしたことと俳優としての知名度、この二点だけで岡田代表は乗り気になったのである。石田氏に都政への見識がないことは明らかだったが、岡田代表の頭の中にも都政への実質的な関心などまったくないことを表すエピソードである。さすがに党幹部のなかにこの案に強く反対する者があり、次いで党都連推薦の古賀茂明氏も見送られ(枝野幹事長が反対したそうだ)、急遽TVキャスター出身の民進党参議院議員当選者の仲介により鳥越氏に決定したと伝えられている。
 知名度と反権力のポーズがあればそれでいいのである。政策を真剣に考えて出馬を表明していた宇都宮健児氏は民進党共産党などから邪魔者扱いをされて、引きずり下ろされた。
 鳥越俊太郎氏を統一の推薦候補として担ぎ上げた四党の幹部たちには、都政に対する何の展望もなかった。「反安倍」のポーズが売り物で知名度・人気度抜群(と彼らは誤解した)の候補を押し立てさえすれば、大量の票を獲得できると読んだのだ。そこに見えるのは、彼らのあからさまな大衆蔑視の心根である。民主主義の中身を尊重する意識が彼らにあるのなら、政策を地道に考えていた候補を足蹴にして、頭の空っぽな人気(?)候補を政策なしに推薦したりしないだろう。
 私はけっして単純な民主主義礼賛者ではないけれど、こんなふうに民主主義を壊す政党指導者たちは、日本の近未来に害悪をもたらす存在だとしか思えない。都知事選は終わったが、この問題は存続する。
 かつて非武装中立などという空虚なスローガンを掲げ、一定の勢力を保ち、常に野党第一党の位置に安住していた社会党は、党名変更(社民党)を経て凋落し、今や風前の灯である。かつての社会党の政治家たちは政権運営の責任感やリアリズムなど持つ必要もなかったので、反権力のポーズと非現実的な主張を大衆に見せてさえおけばよかった。それで彼らのおいしい生活は安定的に維持できたのだ。もちろんなかにはイデオロギーを真摯に信じていた真面目な党員もいただろうが、多くは野党第一党の地位を安逸の場としていただけであった。
 社会党は凋落したが、社会党的な精神は今も政治の場に横溢している。社会党が凋落しても、それを支えてきた一定の数量を保った大衆の「戦後民主主義」擁護の意識が健在だからである。大衆のこの部分に迎合していれば、野党は、多少の変動はあっても、概ね一定の勢力を保ち続けられるのである。
 民進党のなかには、経済政策、外交政策、防衛政策等に、政治家としての責任感とリアリズムから真摯に取り組んでいる人たちも何人かいる。だが残念ながら、野党の地位に安住したがっているような政治家が党内の多数派である。彼らは旧社会党のような行動に傾き、上に記したような大衆の一部に迎合し、願わくはその大衆勢力を拡大せんと欲し、煽動する。
 戦後民主主義の評価について、国民の意見が分かれていてもよかろう。オープンマインドな議論が交わされるのならば、である。民進党多数派が近年の国会やその周辺でやってきたことは何だ。大衆の不安を煽り立てて議論の質を低下せしめてきただけではなかったか。その煽動体質の延長上に、今回の鳥越候補擁立という茶番劇もあったのだ。
 共産党イデオロギーを信奉する者たちの集団である。社会主義国家を過渡期の段階として共産主義社会へ移行するのが歴史の必然であるとするイデオロギーである。方便として当面は議会制民主主義を利用しようという戦術のもとに行動しているのであり、彼らの本質は全体主義者である。
 他の二党は論ずるに値しない。

 

【おわりに】
 都知事選は終わった。この騒動から露わになってきた問題は、今後も日本の民主主義の足を引っ張り続けるのかもしれない。だが楽観すれば、「何となく左翼気分」のインチキさや、民進党多数派の無責任さこそが露わになったのであり、都民のみならず国民がこの茶番劇の背景から多くを学ぶのであれば、それは幸いに転ずる茶番劇であったというべきであろう。
 今回の都知事選は、保守陣営の分裂選挙となり、民進党等の四党にとっては絶好のチャンスのはずだった。政策本位で宇都宮健児氏を統一候補にしていれば勝算が大いにあっただろう。そのチャンスをみすみす自分たちの手で潰してしまった四党幹部たちがどれほどに愚かな人たちであるか、その本質を四党支持者を含めて国民がしっかりと認識するのなら、日本の民主主義が健全さを取り戻す良い機会になるのかもしれない。すべては今後のことである。
(了)

オープンマインドな憲法論議を         ――「憲法マップ」への疑問

 やや旧聞に属するが、4月に発売された『正論SP』(産経新聞社発行の月刊誌『正論』の増刊号)の巻頭近くの色刷りページに、『政治家と知識人 憲法マップ』が掲載されている。政治学者・岩田温氏の作成監修の図で、同氏の解説が付されている。左から右へ「護憲派改憲派」の横軸と、下から上へ「アメリカに不信―アメリカに協調的」の縦軸が設定され、4つの象限に36人の知識人と政治家及び1つの政党(公明党)の名が配置された二次元図である。
 憲法論者を4つの象限に分類し位置付ける試みは、今回の『正論SP』が初めてではない。2004年に月刊誌『諸君!』に(作成者:小林節遠藤浩一・宮崎哲哉各氏)、2005年に月刊誌『正論』に(作成者:木村正人氏)、それぞれ同種の図が掲載されたようだが、その雑誌は今手もとにないので、ここでは確かめない。ジャーナリスト東谷暁氏の著書『不毛な憲法論議』(2014年)の154-155頁にも同種の図があるので、それを参照してみよう。
 東谷氏の場合は4分類では不十分と考えたのだろう、縦軸の定義を変え、2種類の図が用意されている。図Ⅰでは横軸が「人権―伝統・歴史」、縦軸が「反アメリカニズム―親アメリカニズム」と設定され、図Ⅱでは横軸は図Ⅰと同じく「人権―伝統・歴史」であるが、縦軸は「護憲論―改憲論」となっている。
 『正論SP』の分布図は基本的に4分類があるだけで、それぞれの象限内での位置は問題とされない。「より右」とか「より上」という意味は与えられず、象限内では名が五十音順に並べられているだけである。ただし軸上に位置付けられている名が2つあり、ゼロという場合にのみ数値が有意になるようである。
 東谷氏作成の図の場合は、各象限内での位置も有意となっている。たとえば横軸に沿って右へ行くほど伝統・歴史を尊重する傾向が強いことを意味する、というぐあいにである。
 このような憲法論マップはどのような目的で作成されたのであろうか。
 東谷氏の著書『不毛な憲法論議』は、日本国憲法誕生以降の様々な憲法論議を概観したうえで、改憲論と護憲論それぞれに内在する欺瞞を抉り出し、なぜそのような欺瞞が生じるのかを考えようとした書である。それによって「国民主権」「平和主義」「基本的人権」といった日本国憲法の根幹にある思想を考え直してみようという志を持った書である。その論考の流れのなかで記述を整理する意図があったのだろう、それぞれの思想傾向の代表者の名をマップに位置付けたものと思われる。著書全体の流れの中で、特段重要なページとも思われない。参考までにという程度の図であろう。
 翻って『正論SP』の巻頭近くに置かれたマップは、その目的が不明である。作成者岩田氏の解説文にも、このマップの目的は書かれていない。しいていえば解説文の末尾にある次の一節が、目的らしきものかもしれない。

 

 日本国憲法護憲派にせよ、改憲派にせよ、さまざまな立場が存在しており、それぞれの立場の論者が合従連衡を繰り返すかのように議論を展開してきた。憲法改正についての議論が盛り上がりをみせつつある現在、果たして、読者はいかなる立場を支持するのだろうか。小論が憲法を巡る思考の整理に役だてば幸いである。

 

 さまざまな論者の立場を、「護憲派改憲派」及び「アメリカに不信―アメリカに協調的」の横軸・縦軸によって4分類してみせることが、どうして読者の思考の整理に役立つことになるのか、私には理解できない。ただのラベリングではないのか。そしてそのラベルは適切なものだろうか。
 ラベル(4種及び軸上)の妥当性、そしてラベリングという行為そのものの言論界における意義、この2点について以下考えてみたい。

 

 憲法について発言をしてきた政治家や知識人はおびただしく存在している。『正論SP』では、そのうちから36人の個人(政治家9人、憲法学者6人、その他知識人21人)と政党1つ(公明党)を選んでマッピングしている。その人選の客観性や妥当性についても疑問があるのだが、それについてはここでは立ち入らない。
 読者はこのマップを見て、たとえばP氏はアメリカに協調的な改憲派なのだなと認識するわけだ。「何を今さらわかりきったことを」と思う読者もあれば、「そうだったのか」と知る初学者もいるのだろう。それ以上に、P氏は「そんな紋切り型のレッテルを私に貼らないでもらいたい」と不快に思うのではないだろうか。
 ある論者が「アメリカに不信―アメリカに協調的」のどちらに位置するのかを、岩田氏は何を尺度に判別しているのだろうか。たとえば憲法学者小林節氏はこのマップで「アメリカに不信」グループに位置付けられているが、前記東谷氏作成のマップの図Ⅰで同氏は「親アメリカニズム」の極北に位置しているのだ。東谷氏は、政治的スタンスではなく思想レベルの傾向によってマップを作製したと注釈を入れている。岩田氏は政治的スタンスに主眼を置いているのだろうか。
 ならば、既に鬼籍に入っているが、たとえば江藤淳の位置付けは岩田氏作成のマップでいったいどうなるのだろうか。江藤淳は1996年4月の橋本・クリントン会談で得られた合意を、日米同盟の新たなステージとして積極的に評価した(『日米同盟 ―新しい意味付け』1996年.『保守とは何か』所収)。日米同盟をポジティヴに評価する政治的スタンスをもって、江藤淳は岩田氏作成のマップでは「アメリカに協調的」グループに放り込まれるのだろうか。草葉の陰で江藤はきっと歯噛みして悔しがるだろう。
 アメリカに蹂躙された日本への絶望と、そこからの日本の再生(アイデンティティの回復)を希求した志が江藤淳文学の核心にある。日本人の精神がアメリカニズムから脱却することを願いつつも、アメリカなしにはやっていけない日本の悲しさ、この二律背反が江藤淳の批評精神の源泉である。そしてこの二律背反への自覚は、形や程度の差はあれ、多くの良質な知識人が共有している。
 多くの日本人はアメリカに対して一筋縄ではいかない錯綜した思いを抱いている。そこにこそ知識人がものを考える契機があるというのに、「護憲派改憲派」と「アメリカに不信―アメリカに協調的」の2本の軸で形成される二次元平面は何と皮相的であろうか。そこで提供される4種のラベルは何とお子様的であることか。
 憲法の重要論点のひとつとして9条の改正問題があり、日本の防衛問題はとりもなおさず日米同盟のあり方への評価にも関わってくる問題であるから、この2本の軸の設定は分かりやすいといえば分かりやすい。
 だが9条が憲法のすべてではあるまい。憲法観の基本は国家観であり人権観である。この最重要論点が『正論SP』の「憲法マップ」に欠けているし、岩田氏の解説文もそれについてはほとんど関心を示していない。
 自民党憲法改正草案の最新版(2012年4月発表)は、日本が伝統的に形成してきた国柄に重きを置いて考案されている。そして「個人主義」への批判を含意しているのだろう、現行憲法の「個人」は草案では「人」と書き換えられ、「家族」の協力が強調される。このことと、近代民主主義国家の必要条件である西洋由来の人権思想との整合性が問題となる。伝統的国柄の強調は、法と道徳の区別の原則に抵触するおそれもある。
 憲法論者を二次元平面に分布させたマップなど、誰の作成であれ、特につくる必要もないと思うのだが、あえてつくるのなら、「西洋由来の人権思想―日本伝統の国柄」の対立軸は設定したほうがよい。その問題意識が完全に欠落している『正論SP』の「憲法マップ」が提供してくれるラベルは、分かりやすいが深まりへの示唆がない。

 

 『正論SP』は「高校生にも読んでほしい そうだったのか!日本国憲法100の論点」との副題がついたスペシャル号である。7つの章(第8章は資料)すべてが改憲派の論客によって書かれている。産経新聞で2年近く週1回連載された『中高生のための「国民の憲法」講義』を土台とした編集である。
 かつて『週刊こどもニュース』という番組があった。池上彰氏などがお父さん役を務めたニュース解説番組で、NHKTVが土曜日の夕刻に放送していた長寿番組だった。年数を経るにつれ、子供の視聴者がどんどん減り、逆に高齢の視聴者が増加する一方で、ついに番組打ち切りとなったという。
 月刊誌『正論』は主として中高年の読者によって支えられている雑誌だが、「高校生にも読んでほしい」と表紙に謳った『正論SP』はどれほどの若者たちに読まれたのだろうか。『週刊こどもニュース』と同じようなオチがないことを祈っている。
 巻頭近くに「憲法マップ」を置いた編集意図は何なのだろうか。東谷氏作成の「憲法論者マップ」は、先述のように、著書全体の論考の流れのなかで補足的に置かれたものである。『正論SP』巻頭近くの「憲法マップ」は、本文全体とのつながりもあまりなく、唐突感がある。こういうページがあるのも面白いかな、という程度の編集意図なのだろうか。編集者の意図は別として、作成者は初学者へのガイダンスのつもりだったのかもしれない。それは私の推測にすぎないのだが、もしガイダンスとしてならば、いったいどのように役立つのだろうか。「P氏はアメリカに協調的な改憲派である」とP氏にラベルを貼ったところで、何のガイドになるのだろうか。もちろんP氏やQ氏・・・の持論については、解説文のなかで簡単に説明されてはいる。ならば、憲法学者護憲派の泰斗である樋口陽一氏をマッピングしておきながら、氏の持論について解説文で一言もないのはどういうわけなのだろうか。マッピングされた人たちのなかでも、樋口陽一氏は特に重要な憲法学者だと思うのだが。 樋口氏の憲法観を簡潔にでも紹介すれば、拙文で上に述べた国家観、人権観に読者を導くきっかけとなったろうに。
 憲法論議のなかでの最重要の軸を欠いていることは措くとしても、流行りの部分にだけ焦点を合わせたマップを概観しておけば、初学者はいっぱしの論壇通の気分になれるのかもしれない。そういう人たちが「分かりやすくて役に立ちました!」と賛辞を送るのだろう。
 それが編集者の目的なのか。憂うべき軽薄な言論空間である。
 改憲派護憲派と単純に二分されるだけでなく、左からの改憲論や現行憲法無効論などもあり、憲法論議は百家争鳴の状態である。そのへんについては『正論SP』の「憲法マップ」でも苦心と工夫のあとが見られ、作成者の解説文もその複雑さを解きほぐそうとしている。
 百家争鳴はまことに結構なことなのだが、問題は議論が深まらずに憂うべき軽薄な言論空間ができ上がっていることである。一見議論が活発に交わされているようにも見えるのだが、反対論を自分の中で咀嚼し、それを踏まえて自説をさらに深めていこうとする姿勢があまり見られない。もちろん個々には色々な論者がいる。建設的に議論が進むケースもあるのだが、趨勢としては論敵を不当に低く貶め、従って自説を反対論によってより豊かにしていくという姿勢を持たない論者が優勢である。左でも右でも同じような状態だ。
 私ごとを言わせてもらえば、私は9条を含めて憲法を改正すべしと考える者であるが、自分の書棚の憲法関連本のコーナーを眺めると、改憲論者の本よりも護憲論者の本のほうが多い。憲法論に限らず、自分の考えを後押ししてくれる著者の本よりも、自分と異なる考えを展開している著者の本を読むほうが楽しいのである。理由は「楽しい」につきる。格闘して結果的に自分の栄養になることもあるのだが、最初からそんなことを意図しているわけでもない。もちろん良質な著者の本に限る。良質か否かは、費用と時間を無駄にしてでも自分で模索していくしかない。
 閑話休題。安倍首相を憲法破壊者として常日頃から非難し続けているある憲法学者の本を読むと、自民党改憲勢力を「改憲マニア」と呼び、昭和10年代のファシズムに郷愁を覚えてそこへの復古を目指している三世議員たちだと決めつけている。レッテル貼りと決めつけからは議論が生まれない。仲間内や信者から喝采を受けるだけである。この憲法学者はまた、ある会合で同席した改憲論者に反論を加えたとき、彼女(著書では実名を明記)の顔面が蒼白になっていたとも書いている。蒼白かどうかは著者の主観(あるいは先入観)によるもので、客観的根拠もなく、著書で一方的にこのように論敵を貶める印象操作はフェアーではない。信者からは喝采を受けるのだろうが。この学者はきっと心の純な人で、昨今よほど思い詰めているのだろうなということは伝わってくる。だが、思い詰めた心の純な人というのは、小は日常生活の身の回りの諸案件においても、大は国家の進路においても、ときに厄介な存在になることがあるのだ。
 これはほんの一例である。左右を問わず、他者の論を必要以上に矮小化し貶め、独善に陥っている論者が多い。他者の論に心を開かない態度からは、実りある議論が生まれて来ない。実りある議論とは、お互いに思考の質が深まるような議論のことである。実りのない世界では、「憲法マップ」によるラベリングが「役に立ちました」と好評を博したりする。
 議論の質に実りがないと、どういう事態が出来するか。先にも少し触れた自民党憲法改正草案(最新版・2012年発表)を見てみよ。実りある議論が高まっていれば、こんな劣悪な草案が出てくるわけがないのだ。
 日本人自身がつくる憲法ということで、日本の伝統的な国柄を憲法に表そうという心意気は理解できる。だが、国民は「個人として尊重される」(現行憲法第13条)という規定を「人として尊重される」(草案第13条)と書き換える発想には何が含まれているか。これと草案第24条第3項を読み比べてみると、家族に関連する法律の中でのみ「個人の尊厳」が現行憲法第24条第2項と同様に認められているのである。草案第24条では第1項が新設され、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と規定される。以上をまとめると、すべて国民は家族の中では「個人」であるが、国家の中では家族を背負った「人」であり、その次元ではけっして「裸の個人」とは認められないということだ。全体主義の芽をここに見ることができる。
 考えられる卑近な事例としては、家族が助け合っていなければ、第24条第1項違反となるので、草案第12条の「自由及び権利には責任及び義務が伴う」との合わせ技で、生活保護その他の保護が受けられなくなるおそれがある。
 家族の助け合いが麗しく望ましい姿であることにもちろん異存はないが、それは道徳の問題であって、法が立ち入るべき領域ではない。人の世には様々な家族があり、幸せな家庭もあれば不幸な家庭もある。仲睦まじい家族もあれば、憎しみを孕んだ家族もある。後者は憲法違反か。様々な陰影を孕んだ家族のもとで、様々な子供が良きにつけ悪しきにつけ性格と人格を形成して人となるのであり、全部が全部いつも明るく楽しい家族であれば、優れた芸術作品は激減するであろう。自民党憲法改正草案を考え出した人たちの人間観はそこまで薄っぺらなのか。法と道徳の区別は大学教養課程の法学通論あたりで学ぶ近代法のイロハだが、その程度の理解もないのか。
 日本の国柄を表す憲法をといっても、日本はひとり前近代に生きていくのではない。立憲主義によって近代国家の建設を志した明治の先人たちは、今と民主主義の水準が違うといえども、目指す方向性は「近代」であったはずだ。
 自民党憲法改正草案は復古主義の調べを奏でるのかと思いきや、前文で「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と謳い、第83条第2項では「財政の健全性を確保すべき」と規定される。新自由主義者憲法を掲げて勢いづくだろう。時々の経済政策を縛る規定であり、その是非を云々する以前に、そもそも憲法で定めることではない。
 人々が9条にばかり目を奪われている間にこんな草案が作成され、多少の手直しがあるとしても、類似のものが改正案として発議されるかもしれないのだ。実りある議論が広汎に積み重ねられていれば、もっとまともな改正案が提示されていただろうにと残念に思う。論者の間で意見の主張は色々あっただろうが、それぞれの仲間内で受けてきたにすぎないのだ。自民党憲法調査会にも反対論者の意見が届いていたと思うが、ノイズでしかなかったのだろうか。

 実りある議論は、他者の論に敬意を払う精神から生まれる。人の意見を尊重するかのようなポーズをとる人はたくさんいる。ポーズと精神は別のものである。
 再び私ごとを言わせてもらうが、私が小中高生であった昭和30年代には、「私は民主主義者だから」と口癖のように言う大人を、身のまわりでよく見かけた。通っていた学校の教師などだ。今にして思えば、民主主義を崇高な道徳として理解した昭和20年代の余熱がまだ続いていたのだ。今ならさしずめ「私はリベラルだから」と言う場面だろう。当時は「リベラル」や「リベラリズム」は知識人専用の言葉であり、一般には流通していなかった。「私は民主主義者だから」のあとには「君の変な言い分も心を広くして聞いてあげよう」という意味が含まれているのが通常だった。で、その場では寛大な扱いを受けたりするのだ。だが、「私は民主主義者だから」とわざわざ口にする大人は十中八九狭量な心の持ち主であることを、私は子供心に動物本能で見抜いていた。本当に他者の意見に耳を傾ける精神を持った大人は、おのずから身に備わった徳で自然にそう振舞うのであり、けっして自分で自分にレッテルを貼ったりしないものだと、十代の終り頃には得心していた。
 今、SNSなどで様々な意見が飛び交うようすを見ていると、自分で自分にレッテルを貼って、この人はそのレッテルに支配されているなと感じることがよくある。「俺は保守だ」「私はリベラルよ」「愛国者だ」「反戦だ」・・・ 自己規定の枠内に閉じこもったまま、それなりに考えを積み重ねていく。気に入った論客に追随するが、自分に合わない意見の持ち主には嘲笑や罵倒を浴びせる。不自由な精神である。
 法哲学者・井上達夫氏の著書『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)はまだ読みかけたばかりなのだが、「寛容の二面」について書かれている。「寛容」の英語「トレランスtolerance」には「不快なことを我慢する」という意味も含まれている。自分と合わない信念に従って生きている連中は嫌な奴らだが、互いに不干渉で共存できるなら、まあ我慢して許してやる、というニュアンスがトレランスという言葉には含まれている。それに対し日本語の「寛容」は「寛く容れる」という意味で、トレランスではなく「オープン・マインデッド open-minded」である。意見の異なる他者を受け容れると、自分のアイデンティティを危うくするおそれもあるが、あえて前向きに受け容れようという度量が「寛容」のポジティヴ面であるという。その度量があれば、相互批判を通じて自分を変容させ、精神の地平が広がるだろうと。
 「議論の実り」ということを上に長々と書き述べてきたが、そのためには論者も読者もオープンマインド(和製英語に言い換えた)な度量で議論に臨むことが大切であろう。

 

 『正論SP』で「憲法マップ」を作成した岩田温氏はリベラルな立場で保守思想を志向する政治学者である。であればこそ、こんなマップはさっさと片付けて、いずれ発議されるかもしれない自民党憲法改正草案に垣間見える全体主義の芽に批判の眼を向けてもらいたいものだ。
(了)

憲法改正がなぜ困難なのか

********** 目 次 **********
憲法改正を許さない“空気”】
江藤淳の眼に映っていた戦後日本人の姿】
柄谷行人著『憲法の無意識』を読む】
【『憲法の無意識』への疑問】
【再び江藤淳の視点からのアプローチ】
憲法論議の様々な位相】
  ※ 以下、故人の名には「氏」の敬称を添えない。

 

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憲法改正を許さない“空気”】
 憲法改正がなぜ困難なのか ――国民の多数がそれを許さないからである。仮に96条の改正案発議要件をクリアするだけの議席を衆参両院で改憲派が獲得したとしても、憲法9条の改正が発議されるならば、国民投票で否定されることは必定だろう。
 直近の世論調査の結果を見ても、それははっきりしている。
 5月2日に発表されたNHKの調査では、「憲法9条を改正する必要があると思うか」という問いに対しての回答は次のような結果になっている。


   改正する必要があると思う 22%
   改正する必要はないと思う 40%
   どちらともいえない    33%


 また毎日新聞の調査(5月3日発表)の「憲法9条を改正すべきだと思いますか。思いませんか」という問いでは、二択であったためか、「改正すべきだと思わない」回答が過半数に達している。


   思う   27%
   思わない 52%


 なおこれらの調査では、9条をどのように改正するのかということについての是非は問うていない。改正すべきだと思う人たちのなかには、非武装を解釈の余地なく9条に明記すべきだという左からの改正意見等も含まれているだろうから、自衛隊の存置を明記するような9条改正となれば、改正賛成の数字は上記より若干小さくなるはずだ。そして、専守防衛の建前で理不尽な制約を受ける自衛隊ではなく、主権国家として軍の設置を定めるような9条改正となれば、改正賛成の数字はさらに大きく低下するだろうと推測する。
 世論は一般にオピニオンというよりはセンチメントであり、その時々の“空気”によって大きく変動するものである。たとえば平和安全法制について、昨年7月頃の各種世論調査では、法案への反対が6割を超えて賛成の回答の2倍以上であったのに、今年の春頃には、この法制の廃止に反対する意見が賛成を上回っているのである。いいかげんなものである。無責任といってもいい。
 だが憲法9条に関わる改正については、1950年代の一時期を別として、ほぼ一貫して反対意見が世論の多数である。世界の情勢や日本の役割がどう変わろうとも、頑固一徹である。今後もし日本国民の生命と財産の安全を脅かすような事態がいよいよ目前に迫ってくれば、そのときにはこの頑固な世論も変わるのかもしれないが、時すでに遅しとならないことを祈るばかりである。そして、そのようなときの世論の急変に乗じた政治の猛進は極めて危険であり、平時からありうべき現実を直視した問題意識を広く国民が共有しておくべきなのだが、そうはなっていない。
 上のNHKの世論調査についての解説を読むと、3年前の同じ時期の調査では、憲法9条の改正が「必要」という人と「必要はない」という人がほぼ同じ割合であり、2年前から「必要はない」という回答が「必要」という回答を上回ってきたという変化が指摘されている(2日のニュース7でも同じアナウンスがあった)。
 南シナ海東シナ海では中国の侵略の野望が露わになりつつある。朝鮮半島の危機も深まっている。そして世界がばらばらになりかけている今、近未来への不安が増大するにつれて、よりしっかりと9条の繭の中に閉じこもろうとする国民多数の心の動きが上の推移から読み取れる。
 なぜこれほどまでに憲法9条を死守しようとするのか。世界の情勢の変化を理解し、情勢に適応して国民の生存を持続する道を考え、憲法の改正について議論しようとすると、なぜ頑固一徹に首を左右に振ってばかりいるのだろうか。
 異様である。
 改憲論者たちはなぜこの異様な精神状況を直視しようとしないのだろうか。改憲論者たちは、9条に限らず、条文の様々な不都合を指摘する。憲法制定過程の問題点を解明する。それぞれに有益な解説であり、考える契機を提供してくれる主張である。その啓蒙的役割をけっして過小評価するものではない。
 護憲派あるいは改憲派憲法学者は専門的見地から現行憲法の意義や問題点を著書で解説してくれる。それはそれで読者を啓発してくれる貴重な書である。
 憲法学者に限らず、様々な分野の知識人が改憲をあるいは護憲を主張し、著書や雑誌論文、新聞やTV等のメディア、講演会などで活動している。改憲を目指して活動しているのなら、その目的達成を強く阻んでいるのが、上に述べた大衆世論だという現実になぜ苦悶しないのか。護憲を願って活動しているのなら、その憲法を強く支えてきた大衆世論についてなぜもっと深く考察しようとしないのか。
 敗戦後70年余り、現行憲法施行後69年、講和条約発効(名目上の独立)後64年を経て、憲法改正は事実上タブーとされてきた。そのうえで、現実からの要請と憲法の条文との乖離については解釈改憲を重ねてきた。
 憲法、とりわけ9条の改正をタブーとするような日本国民の精神状況を正面から考察対象とするような知識人の思想の営みはないのか。
 少数ながらある。
 ひとつは、昭和の時代に遡るが、江藤淳の文芸批評及び占領政策が日本にもたらした言語空間についての研究論文である。もうひとつは、後期フロイト精神分析理論とカントの平和論によって日本人の無意識層にあると思われる憲法観を読み解こうとした柄谷行人氏の近著『憲法の無意識』(2016年)である。江藤は戦後憲法を否定し、柄谷氏はそれを肯定する立場である。

 

江藤淳の眼に映っていた戦後日本人の姿】
 江藤淳の文学は、その生い立ちでの母の喪失と敗戦による国家の喪失という二重の喪失感に根ざしている。
 江藤淳の代表作のひとつである『成熟と喪失 ――“母”の崩壊――』(1967年)は“第三の新人”の諸作品を俎上にあげて、日本の母子関係(特に母と息子)に色濃くある一体感を浮き彫りにする。冒頭で取り上げている作品は安岡章太郎『海辺の光景』(1959年)である。「をさなくて罪を知らず、むずかりては手にゆられし、むかし忘れしか。春は軒の雨、秋は庭の露、母は泪かわくまなく祈るとしらずや」と、幼い頃から繰り返し聞かされてきた母の歌に「情緒の圧しつけがましさ」や「うとましさ」を感じていた主人公信太郎が、老いて狂った「母の崩壊」に立ち会う。母の情緒的圧しつけがましさから解放されたはずの信太郎は、「個人」として成熟の道へと向かうのではなく、ただ空虚な心模様を編んでいく。江藤淳が『成熟と喪失』で描こうとした第一のテーマは、母子一体感に支配される日本人が、母を喪失しても、個人として他者に向かう成熟に失敗するという心理構造である。
 『成熟と喪失』が次に取り上げる作品は小島信夫抱擁家族』(1965年)である。『海辺の光景』と『抱擁家族』はもちろん別々の作家による作品であるが、江藤淳はあたかも後者を前者の続編であるかのように読んでいく。つまり母の懐を離れて社会に戻ったその後の息子の姿を読もうとしているのだ。『抱擁家族』の主人公俊介にとって、妻は「姿を変えてあらわれた母」である。「俊介は無意識のうちに、妻とのあいだにあの農民的・定住者的な母子の濃密な情緒の回復を求めている。そこから彼は決して「出発」せず、またそこで決してどんな stranger にも出逢うことがない。妻はここでは「他人」ではなく、いわば姿を変えてあらわれた「母」だからである」(『成熟と喪失』Ⅵ)。だがこの平和は、彼らの家庭をたびたび訪れる客人のアメリカ兵ジョージによって破られる。俊介の妻とジョージの姦通によってである。俊介と闖入者ジョージの遭遇は、母性が支配的な日本社会と父性をバックボーンに持つアメリカとの出会いの比喩である。『抱擁家族』はこの後、アメリカ風の家の新築、ジョージの再訪、妻の病と死と続くのだが、それらを通して浮かび上がるのは俊介にとっての父性の欠如である。
 『成熟と喪失』から17年後の文芸批評『自由と禁忌』(1984年)で、江藤淳丸谷才一の大評判の長編小説『裏声で歌へ君が代』(1982年)をこき下ろしている。「目的といふものがなくてただ存在してゐる国家」としての「日本といふ国」の在りようを肯定的に捉えているこの作品に、江藤淳の怒りが爆発した。嫌味たっぷりの叙述の部分は読み流すとして、例えば次のような一節を見てみよう。

 

 第二次大戦後の日本は、もとより「ただ存在」しているのではなくて、米ソの力関係のあいだで、主として米国によって「存在させられている」のである。そして「今の日本」に「国家目的がない」(傍点作者)のは、なんら「偶然」の所産ではなくて、そのような受け身の立場に置かれた見掛けだけの“国家”が、必然的に自ら「国家目的」を掲げる能力を剥奪されているからにほかならない。
 また、「昔の日本」に「東洋永遠の平和」があったとすれば、「今の日本」には「平和と民主主義」がある。かつての「アジアの盟主」や「八紘一宇」等々のかわりには、現在流行中の「反核」や「反戦平和」がある。「下らない」か否かは不問に付すとして、「お題目」がヒラヒラしている風景は、昔も今も少しも変っていない。
 もし「昔の日本」がこの点において「間違」っていたとすれば、同じ論法によって「今の日本」もやはり「間違」っていることになるではないか。“裏声”で歌っていると、耳がおかしくなって今の「お題目」が聴えなくなるのだろうか? (『自由と禁忌』傍線は原文では傍点。以下同じ)

 

 一呼吸おいて、江藤淳は渾身の力で叫んでいる。

 

 なぜ、作者は、アメリカを見ようとしないのだろうか? いや、アメリカと日本の接点を見ようとしないのか。その接点を直視し、その構造を洞察する努力を惜しみながら、どうして「今の日本」でリアリティを感じさせる国家論が可能だろうか?
 それにもかかわらず、作者丸谷才一氏は、なぜか日米の接点から眼をそらせつつ、日本は「ただ存在」し、「何となくかうなってしまつた」という類の、架空な認識の上にこの“裏声”小説の世界を組み立てようとしている。いったいこの作者は、どの程度自由な立場で書いているのだろうか? 逆にいえば、丸谷氏は、いかなる禁忌にどの程度に拘束されているのだろうか?(『自由と禁忌』)

 

 『成熟と喪失』は“第三の新人”の諸作品の登場人物に結像している時代精神を読み解こうとした批評作品であった。『自由と禁忌』収録の批評作品は、やはり時代精神を抉りつつも純粋に文学作品の探求を進めていく文章が多いのだが、上に引用したように政治的色彩が表に出ているところもある。
 両者に挟まれた17年間(注)江藤淳は、『忘れたことと忘れさせられたこと』(1979年)、『一九四六年憲法 ――その拘束』(1980年)などを著し、アメリカが実行した日本占領政策について研究を重ねていた。上に引用した『裏声で歌へ君が代』批判の文章はその延長上にある。
 (注)『自由と禁忌』の上に引用した章の雑誌初出は1983年1月号だから、正確には16年間である。
 占領政策研究は主として、合衆国国立公文書館に保存されている膨大な資料を読み込むことによって実施された。戦後憲法の制定過程と、占領下での言論の自由の制限によりその制定過程の事実の報道が禁止されたことを明らかにした。検閲が「検閲制度への言及」を厳禁したうえでなされ、巧妙に「検閲のあとがみえない検閲」という「隠微な」手法を採っていたため、日本人はそれと気づかないままアメリカの占領政策に誘導されることになってしまったという。この研究は後の著書『閉された言語空間 ――占領軍の検閲と戦後日本』(1989年.雑誌初出は1982~86年)へとつながっていく。この著書は、巧妙な検閲のより詳しい実態を明らかにし、さらに、アメリカの戦争史観の正しさと日本が遂行した戦争への罪の意識を日本人に植え付けるための洗脳政策(WGIP)の実施を白日の下にさらけ出した。そして、この「閉された言語空間」は今(執筆時点)に至るまで続き、戦後文学を破産させ、報道や言論界の水位を低下させたままであると警鐘を鳴らした。
 母との甘美で平穏な日々を喪失したうえ、父たる国家を喪失し、他者と対等に関係を切り結ぶ成熟にも失敗し、他者たるアメリカから主権国家が持つべき能力を剥奪された日本、そこでひとときの泰平の逸楽をむさぼっている人々、これが江藤淳の眼に映っていた戦後日本人の姿である。憲法改正の気概などどこにあろうか。

 

柄谷行人著『憲法の無意識』を読む】
 柄谷行人氏は近著『憲法の無意識』を江藤淳への批判(注)から始める。(注)柄谷氏は若い頃より江藤淳の深き理解者である。
 柄谷氏は、江藤淳が『一九四六年憲法 ――その拘束』(前記)で指摘した「隠微な検閲」に注目する。「検閲」は初期フロイト『夢判断』のキーワードである。江藤淳憲法制定過程における「隠微な検閲」に考察をめぐらしたのは、戦後憲法と日本人の無意識の関わりに考えを及ぼしていたからではないかというのが柄谷氏の推測である。また『成熟と喪失』で展開されているような、「喪失」を伴って「成熟」に向かう(及びその挫折)という考え、そしてそれを日本人の憲法観に類推していく思考展開も、前期フロイトの理論を通俗的に援用したものにすぎないと柄谷氏は書く。
 いずれも江藤淳フロイト理論の援用は前期フロイトのそれにとどまり、日本人の無意識層にある憲法観を捉えるのに必要なのは後期フロイトの理論である、というのが柄谷氏の主張である。
 フロイト精神分析学の核心部だけ簡単におさらいをしておこう。
 人間の精神エネルギーの源泉にあるのがエス(イド)で、これは快楽原理によって欲望の満足を求める。エスの上に位置するのが自我(エゴ)である。自我は理性的にエスを制御する。これは親を通して子供に刷り込まれる現実生活での規範である。フロイトの『夢判断』に登場する夢の検閲官でもある。
 前期フロイトはそこまでであるが、第一次世界大戦を経て戦争神経症患者への対応の必要に迫られたフロイトは、エスと自我を調整するものとして超自我(スーパーエゴ)の概念を見出す。人は無意識の内に死の欲動を持っている。たとえば私たちの体を構成する細胞は次々に死ぬ(←死の欲動)ことによって新陳代謝がスムースに進んでいる。死の欲動が外に向かうと攻撃性になるが、これが内に向かったときに攻撃性を抑える倫理規範によって超自我が形成される。戦争神経症患者の強迫観念は、超自我の働きによる罪悪感から生じるものだとフロイトは理解した。エスを制御する自我は親や社会に起源を持つ外発的な概念であるが、超自我死の欲動という内発的起源を持っている。内に発しつつ、いったんは外に向かった攻撃性がその後内に向かったものであり、集団性、共同性をもった倫理規範である。超自我は無意識層で働くものだから、たとえば戦争神経症患者が抱いている罪悪感は意識の上では自覚されていない。
 柄谷氏は後期フロイト理論を援用し、日本人の憲法9条に対する強い思いは、無意識層の超自我にひそむ罪悪感から発するものだと説く。超自我には共同性があるから、その罪悪感を日本人は共有しているのだと。それは意識的な「反省」ではなく、自覚できない無意識層の罪悪感だからこそ、戦争放棄への思いがかくも強いのだと説明が続く。超自我の共同性ゆえに、その罪悪感は世代を越えて相続する。それは意識的に伝えることも、意識的に取り除くこともできない。
 憲法9条がアメリカの占領下で強制されたものだということについて柄谷氏は、外からの強制だからこそ深く定着したのだと考える。最初の欲動(攻撃性)の断念が外部の力によって強制され(敗戦)、欲動の断念が倫理性を生み出し良心となり(超自我)、超自我が欲動の断念(戦争の放棄)を一層求めるという深化が、フロイト理論に即した憲法9条定着のプロセスへの理解だからである。
 つまり日本人は集合的に、フロイトの患者が抱え込んだ戦争神経症による強迫観念を共有してしまっているわけだ。ならば憲法改正を目指して、その強迫観念を克服する道を探ればいいと私は思うのだが、柄谷氏はそうは考えない。
 柄谷氏は、日本人の罪悪感は先の戦争に対するものにとどまらず、日本の近代化総体に起因するものであり、徳川による平和な社会を壊したことへの悔恨が底流にあるという。
 柄谷氏が着目するのは、天皇の地位を象徴と定めた憲法1条と9条の関係である。GHQ最高司令官マッカーサー天皇の廃止が占領下日本にもたらすであろう混乱をおそれた。天皇の存続に否定的な連合国諸国や極東委員会設置をめぐるワシントンとマッカーサーとの間には軋轢があったが、まず天皇の地位の存続に優先順位を置いたマッカーサーは、象徴天皇を定める第1条を持った憲法の制定を急いだ。柄谷氏によれば、戦争放棄と戦力の不保持を定める9条は、天皇の存続を保証する憲法をワシントンや他の連合国に認めさせるための取引材料であったという。つまり1条と9条はワンセットで、後者は二次的な意義を持つにしかすぎないというのが柄谷氏の見解である。
 権威としての天皇は、建武新政の短期間を例外として、日本の歴史に一貫して政治的実権から離れたところに位置していた。明治以降の天皇の地位は、王政復古と藩閥政治→立憲君主制天皇機関説の台頭→統帥権の独立と天皇神格化と揺れ動いて敗戦に至り、占領下で象徴天皇の位置に定まった。戦後の象徴天皇は、日本の長い歴史で培われてきた「先行形態」への回帰であると柄谷氏は説く。「先行形態」とは建築史学上の概念で、フロイト精神分析学の「幼年期」に類比されるものである。柄谷氏は建築史学者・中谷礼仁氏の「先行形態は、ほとんどその形態を宿命的に現在にまで温存させる」という言葉を引用している。
 徳川の平和もまた、長い戦乱の後に攻撃性から超自我への転換という形でもたらされた無意識の所産と理解される。平和な時代の武士を、柄谷氏は、憲法9条のもとでの自衛隊の存在に類比させる。
 柄谷氏は「憲法九条が根ざすのは、明治維新以後七七年、日本人が目指してきたことの総体に対する悔恨です。それは「德川の平和」を破って急激にたどった道程への悔恨です。したがって、德川の「国制」こそ、戦後憲法九条の先行形態であるといえます」と述べる。そしてその9条が含意するのは、カントの普遍的な理念であると続ける。
 カントはまずフランス革命以前の時期に著した『世界市民的見地における普遍史の理念』(1784年)で市民革命を成功させる必要性を述べ、その後に諸国家の連合により平和の達成を追求する『永遠平和のために』(1795年)を著した。この二つの著作の関連に着目した柄谷氏は、カントが人間の持つ反社会性への洞察を通して永遠平和への道を追求したところに、後期フロイトの攻撃欲動が超自我を生み出すという理論との類似性を見出す。だからカントの平和理念を含意する憲法9条が、大戦争と敗戦を経て日本人の超自我に強制的にかつ有効に植え付けられたのだと柄谷氏は言いたいのだろうと、私は理解する。
 なおこの後柄谷氏は、文化人類学者マルセル・モースの『贈与論』(1924年)を手がかりに、交換論、国家論へと進み、憲法9条が含意するカントの平和論への論考を深める。この交換論については、佐伯啓思氏の著書『経済学の犯罪』(2012年)第8章[「貨幣」という過剰なるもの]にもモースの贈与論を含む明解な解説があるので、私はあわせて読んで理解の手助けとしたが、煩雑になるのでここでは割愛する。

 

【『憲法の無意識』への疑問】
 柄谷行人氏は、「日本人は憲法九条によって護られてきた」、今後も「われわれは憲法九条によってこそ戦争から護られるのです」という言葉でこの書を締めくくる。
 本稿の最初の節で述べたように、改憲派であると護憲派であるとを問わず、憲法9条をかくも頑固に保持しようとする国民多数の精神状況を正面から直視し、その現象の奥にあるものについて考察しようとする論者はきわめて少ない。チラ見して賞賛したり揶揄したりする論者は沢山いるけれど(私も含めて)。だから何派であろうが、日本人の憲法観に正面から切り込もうとした『憲法の無意識』は貴重な書であると思う。
 著者の考えの政治的立場が私と同じである必要はさらさらない。ターゲットとする問題意識を共有できるだけで、熟読玩味する価値があるのだ。
 この書への敬意を惜しまないが、そのうえで『憲法と無意識』を読んで生じた疑問点を以下に書き述べたい。
 まず感じたことは、フロイト精神分析理論がはたして共同体が持つ歴史観にそのまま適用できるのだろうかという疑問である。日本人の多くが抱いている憲法9条尊重意識が、フロイトのいう無意識層の超自我にある罪悪感から生じているという柄谷氏の論考は仮説にすぎない。この書のどこを読んでも、実証の手がかりがない。しいていえば、世論調査について論述している箇所か。
 柄谷氏は「無意識」にアクセスすることの困難さを認めつつも、集団的な無意識を知る方法として世論調査が有効であるとする。そして「一九五〇年の時点で、保守派の吉田首相が「再軍備などを考えること自体が愚の骨頂」であると断定したのは、当時の「世論」を知っていたからだと思います」と書き、「彼(引用者注:マッカーサー)は吉田茂首相に、再軍備、したがって、憲法の改正を要請したが、すげなく断られた。もし憲法九条を否定したら、吉田内閣だけでなく、彼の政党も壊滅したでしょう。革命騒動になったかもしれません。彼はそれを世論調査から知っていたのです」と断じる。そして「要するに、私がいいたいのは、憲法九条が無意識の超自我であるということは、心理的な憶測ではなく、統計的に裏づけられるということです」(文字の強調は引用者)とまとめている。
 これは明らかに柄谷氏の事実誤認である。1949年後半から1951年にかけての朝日新聞毎日新聞,読売新聞三紙の世論調査の結果を時系列で並べてみると、再軍備賛成の回答が常に反対の意見を上回り、51年1月発表の毎日新聞の調査では、賛成が65.8%に達し、さらに同年9月の朝日新聞の調査では賛成が71%にまで上っている(反対は16%)。米軍駐留については、賛成が反対をやや上回りながら推移し、朝鮮戦争勃発後の51年1月発表の読売新聞の調査では賛成42.5%、反対41.2%と拮抗しているが、同年8月の読売新聞の調査では賛成が62.8%に増加している。詳しくは政治学者・福永文夫氏の著書『日本占領史 1945-1952』(2014年)の289~291頁を参照されたい。

 なお附言すれば、上記51年9月の朝日新聞調査での質問文は「<日本も講和条約ができて独立国になったのだから、自分の力で自分の国を守るために、軍隊を作らねばならぬ> という意見があります。あなたはこの意見に賛成されますか、反対されますか」というものである。これは明らかに誘導質問である。質問の設定やその他巧妙な誘導により世論調査の結果の数字が変わってくるのは今も昔も同じである。

 それは割引して考えねばならないが、全体の趨勢を見れば、1950年前後の日本人に、再軍備つまり憲法9条改正の気運が盛り上がっていたことは間違いがない。吉田茂首相がマッカーサーの9条改正の要求をはねつけたのは、柄谷氏がいうように改正反対の世論をおそれたからではなく、防衛は米軍に依存しつつ自らは軽武装で経済復興政策に専念したかったからである。
 つまり「憲法9条は日本人の無意識の超自我である」という柄谷氏の仮説は「統計的に裏づけ」られず、「心理的な憶測」にとどまっているのである。
 次に、精神分析学の知見を社会の分析に類比させることの適否について考えてみたい。
 昔、精神分析学者・岸田秀氏が著した『日本近代を精神分析する』(1975年)という論文が評判になったことがあった。ペリー来航以降日米戦争に至るまでの日本の近代史、そして戦後の日米安保条約下での日本の現状を、「外的自己」と「内的自己」の分裂という観点から俯瞰し、日本国民の精神分裂症状(注)を論じた文章である。
(注)「精神分裂症」は今では差別語として忌避され、「統合失調症」と言い換えられている。

   ここでは75年時点での当該論文で使われている語をそのまま引用する。


 この論文は歴史の諸事象をいちいち精神分析学の諸概念に対応して書き連ねているだけで、その類比の妥当性については何も検証していない。
 歴史や社会を分析するには、歴史学、政治学、経済学、社会学等々の知見をもってアプローチしなければならない。
 著者は、フロイト理論は社会心理学としての性質を持っているから、集団現象の説明にそれを用いるのは当然のことだと主張する。百歩譲ってその主張を受け止めるとしても、歴史や社会の諸事象をそれ自身の内在的要因から理解したうえでの社会心理学でなければならないだろう。
 一方的に精神分析学の視点からだけで日本の近代史を語ろうとしたこの論文は、通俗的読み物としては面白いのかもしれないが、トンデモ本の類いである。
 『日本近代を精神分析する』を収録した岸田氏の雑文集『ものぐさ精神分析』(1977年)はベストセラーとなり、その後文庫本化されロングセラーとなった(中公文庫)。近況や如何と思い、つい先日近隣の書店で偵察してみたら、当該文庫本は今もなお版を重ねている。初版本と同じ出版社(青土社)からは新たにハードカヴァ―の『絞り出し ものぐさ精神分析』(2014年)が出ており、目次をぱらぱらとめくってみたら、比較的近作の同工異曲らしき雑文が並んでいた。ともかく商業的には大成功の一連の著作である。
 閑話休題。『憲法の無意識』は、精神分析学の諸概念を歴史の諸事象にただぺたぺたと貼ってみただけのトンデモ本とは質的に次元の違いがあり、同列において論じるのも失礼千万ではあるが、フロイト超自我の概念を日本人の憲法観に援用する仮説が憶測に基づくものに留まるかぎりは、精神分析学と社会分析が並存しているにすぎないという危険を免れないだろう。
 岸田氏の主張するように、フロイトが集団心理への関心を足がかりとして精神分析学の理論を築いたのは事実であろうが、そして超自我の概念には人間の共同性が反映されていることもここまで述べてきたとおりであるが、なおかついえば、フロイトは個人の無意識の解明のためにそれらの概念を用いたのである。超自我は、共同性を帯びてはいるが、個人的無意識層の概念である。フロイトと対立したユングの唱える集合的無意識とは次元が異なっている。超自我の概念を共同体全体の無意識にもあるものとして考えたいのならば、共同幻想生成の過程を論じたうえでにしなければ短絡の誹りを免れないだろう。
 柄谷行人氏は哲学の世界から出発し、政治学、経済史学民俗学等々にも高い見識を有している知識人である。『憲法の無意識』で展開された論の今後の一層の深化を期待したい。
 この書で柄谷氏は、最終章「新自由主義と戦争」における交換論から国家論への論考の進展で本領を発揮しているのかもしれない。煩雑さを避けるためにここでは割愛すると先に書いたが、見栄を張るのはやめよう、私の力不足もあるのだ。読んで一応の理解はしたが、私見を交えて私の言葉で論述するには力が足りない。今後の課題としたい。関心がある方は、この書と前に記した『経済学の犯罪』第8章をあわせて読まれることをお勧めする。

 

【再び江藤淳の視点からのアプローチ】
 さらに『憲法の無意識』への疑問点を書き進める。
 なぜフロイトなのかという疑問である。日本人の憲法観を考えるのに、なぜフロイトの理論が役に立つのかという動機が説明されていない。
 フロイトユダヤ教キリスト教一神教世界で、精神科医として数多くの患者と接するなかで自らの理論を構築した。この理論を一神教の精神構造を持たない日本人に応用するにあたっては、日本人の自我のありようを踏まえて考えなければならない。
 日本の精神分析医の祖ともいうべき古沢平作(1897-1968年)はフロイトの理論と日本人の精神構造の違いを痛感し、この理論をそのまま日本人に適用することはできないと考えた。古沢は日本的応用法を考え抜き、ウイーン留学中にフロイトに論文『罪悪意識の二種 ――阿闍世コンプレックス』(1932年)を提出した。しかしフロイトはそれを理解できなかった。フロイトにとって日本人の精神構造は想像を絶するものだったのだ。
 古沢平作は臨床医として実践の人であり、上記論文のほかには訳書の後書き1編があるだけで著書がない。以下、精神分析学者・小此木啓吾の著書『日本人の阿闍世コンプレックス』(1978年)に即して、阿闍世(あじゃせ)コンプレックス論の概要を見てみよう。
 これは仏典の中にある阿闍世王の悲劇物語によるネーミングだが、ポイントを私の理解でまとめると次のようになる。

 

① 子の母への一体感
② 母もまたエゴイズムを持った女性であることを知り、一体感が裏切られたと感じるときの子の母への怨み
③ ②に対する母の許し
④ 許されることによって生じる子の罪悪感
⑤ ③④の許し合いによる一体感の回復

 

 この古沢理論は、日本人の心の成長に普遍の真実を捉えている。小此木啓吾によれば、「われわれ日本人が人となるために必ず通過しているはずの普遍的な母子体験の原型」なのである。③④⑤を通じて形成される一体感が、日本人のあらゆる場での人間関係の基礎となり、組織原理にもなる。例えばAがBに対して「悪いな」と感じる言動に及んだとする。Bが太っ腹でそれを許すとき、AはBに対して「心からすまない」と思う。このように許されることによって生まれる罪悪感と一体感の回復が日本人の人間関係の基本にある心理である。父子関係によって自我を確立することで自他を峻別する西洋文化とは異質の原理だといえよう。
 心理学者のエリック・エリクソンを引用したりするものだから一部に誤解があるようだが、江藤淳は『成熟と喪失』でけっして心理学や精神分析学の理論を援用しようなどとはしていない。江藤淳が若い頃エリクソンを耽読したのは事実である。『成熟と喪失』は冒頭で、『海辺の光景』の母の歌「をさなくて罪を知らず・・・」(前出)と、エリクソン『幼年時代』にある孤独なカウボーイの歌を対比することによって始まる。母に拒まれ自立を促されるアメリカ人の心の成長のありようを象徴するこのカウボーイは『成熟と喪失』に繰り返し登場するが、いわばこの著作のBGMのようなもので、それ以上の役割を持っているわけではない。『成熟と喪失』は心理学や精神分析学の知見を援用して日本の母性を読み解こうとした作品ではない。純然たる文学作品である。母性や父性は精神分析学専属の概念ではない。それらは文学独自のテーマでもあるのだ。柄谷行人氏は、江藤淳エリクソンを通じて前期フロイトの影響を受け、後期フロイトについて無知であるという趣旨で批判しているが、いささかお門違いであろう。
 江藤淳は古沢理論などにまったく関心がなかったろうと思われるが、にもかかわらず『成熟と喪失』には阿闍世コンプレックスの原型に符合するような描写が随所に見受けられる。一体感回復の失敗を含めてである。
 母子一体感に支配される日本人が、母を喪失しても、個人として他者に向かう成熟に挫折する心理構造が『成熟と喪失』の第一のテーマだと先に書いた。これを含んでより大きなテーマは、「父」の役割を担う「治者の文学」が戦後日本の精神状況で可能だろうかという問いである。
 『成熟と喪失』は安岡章太郎小島信夫の作品を批評した後、遠藤周作『沈黙』に描かれる「父の抹殺」を論じ、次いで吉行淳之介『星と月は天の穴』を俎上に上げ、父も母も記憶から追放した男の孤独の姿に言及する。最後に庄野潤三『夕べの雲』『静物』を取り上げ、「父であるかのように耐えつづける」主人公の姿から「治者の文学」に考えをめぐらす。
 『成熟と喪失』の最終章で江藤淳は次のように書いている。

 

 しかし、あるいは「父」に権威を賦与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかも知れない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているかも知れない。彼はいつも自分がひとりで立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯えつづけなければならないのかも知れない。

(『成熟と喪失』XXXV 文字の強調は引用者)

 

 この「実在は遠ざかり」という感覚は、江藤淳の諸著作の底に流れる基調低音である。先に述べたように、丸谷才一裏声で歌へ君が代』批判の文章(『自由と禁忌』)で江藤淳は丸谷の「ただ存在してゐる国家」という言葉に激怒したのだが、同時に「あるいは日本という国家は、「ただ存在している」どころか実は「存在」すらしていないのかも知れない」とも書いている。この諦念ともいうべき感覚は、平成に入ってからより肥大し、晩年に桶谷秀昭氏と対談したときには「国はあるように見えないこともないけれども、本当にいま日本はあるのかなあ、自分は本当に生きている人間なのかなあ、ひょっとすると幽霊ではないのかなあ」などと語っている(『南洲随想』1998年)。
 だが昭和の江藤淳にはまだ、この「遠ざかった実在」を奪い返そうとする志が強くあった。先に述べたアメリカの占領政策の研究もその志から発したものである。『成熟と喪失』は、「遠ざかった実在を虚空のなかに奪いかえし、「他者」と共有され得る言葉をさがしあて、要するに「幻」と化しつつある世界を言葉のなかにとらえ直すような試み」に挑む作家の登場を期待して、この長編評論の締めくくりとしている。
 「実在を奪い返す」とは、共同体に由来する価値を復権し国民のアイデンティティを達成することである。これについては、次節で内田樹氏の憲法論に触れるなかで述べる。

 

 1950年代初頭の世論調査の結果については先述した。再軍備賛成に傾いていた日本人の多数が一転して憲法9条に固執するようになったのは、吉田内閣の軽武装で経済復興を重視する政策が功を奏してからのことである。1950年代半ばから後半にかけては、経済的豊かさへの憧れがけっして夢物語ではないことに大衆が目覚め、60年代以降はそれが現実のものとなり日々豊かになっていく実感があった。その安楽な生活が壊されることがあってはならないと誰しもが思った。というよりも、壊され得る可能性への想像力すらなくしてしまい、その平和が永続するものと思っていささかの疑問も持たなかった。ソ連の脅威が客観的現実として目の前にあっても、アメリカによる庇護を空気のように当たり前のことと思い込んでいて(そのくせ基地反対などと言っていた)、安全保障政策が話題に上がると、「どこの国が攻めて来るというの? 妄想だよ」と嗤う人々がどこにでもいた。大衆の心に潜んでいた反米感情は60年安保での戦後最大の国民運動で発散し(国民的ヒーロー力道山の人気絶頂の時期でもあった)、すっきりしたのか、その後急速にしぼんでいった。
 東西冷戦終結後、世界の激動期にあって、憲法9条は日本人にとって温かな繭だった。繭の中に閉じこもっていれば、世界の現実を見ないですむのだ。繭の中は甘美な母性に包まれた世界である。
 心の深層にある阿闍世コンプレックスが日本人社会の構成原理をなし、それが世界の現実とのズレをもたらす。そのズレは政界、経済界等、様々な局面で現出してきた。たとえば許し合いによる一体感の回復という日本人の心の原型をそのままに表面化させた謝罪談話が、どれほど他国の餌食とされ、日本人の子々孫々にまでつながる名誉と国益を大きく損なってきたかなどの例を顧みてみればよい。
 既に「母」を失い、同居する「父」の弱さを知ってしまい、「成熟」に挫折して彷徨う日本人に、それでも昭和の江藤淳は「遠ざかった実在」奪還の希望を託した。『「ごっこ」の世界が終ったとき』(1970年)の旧稿を1980年刊の著書『1946年憲法 ――その拘束』にわざわざ再録した江藤淳の遺志を今一度思い返すことこそが、近未来を生き抜こうとする私たちに一筋の光明をもたらしてくれるのではないだろうか。

 

憲法論議の様々な位相】
 戦後憲法を尊重してきた日本人の精神を読み解こうとする試みとして、ここまで江藤淳柄谷行人氏それぞれの論考をみてきた。日本人多数の憲法観を江藤淳は批判的に、柄谷氏は肯定的に捉えていた。
 ほかに思想家・内田樹氏の評論文『憲法がこのままで何か問題でも?』(2006年.『9条どうでしょう』所収。以下『何か問題でも?』と略記する)も、日本人の憲法9条観をまた違った角度から論じている。当代きっての人気論客の一人による考察である。
 『何か問題でも?』は、憲法9条自衛隊の存在について、アメリカの視点と日本の視点を対比させる。内田氏によれば、占領者アメリカの視点から見ると、憲法9条自衛隊の並存はまったく矛盾しない。アメリカが日本を従属国化する政略からはどちらも必要となるからである。アメリカにとって日本というリスクを無害化するためには「平和憲法」が必要であり、かつアメリカの世界戦略のなかで日本を軍事的に従者として利用するためには自衛隊がなくてはならないのである。
 憲法9条自衛隊のこの無矛盾性から論を立てる日本の論者はいなかった。日本人の視点で見ると、憲法9条自衛隊の存在は矛盾している。この矛盾を突いて、改憲派自衛隊あるいは軍を憲法に明記するよう改正しなければならないと主張する。他方護憲派は、この矛盾を突いて、非武装を主張するか、あるいは必要最低限の自衛力を超える解釈改憲に反対する。アメリカにとっては無矛盾の憲法自衛隊の問題を、日本人は矛盾として捉えたため、日本人の憲法観が分裂してしまった。これが内田氏の現状認識である。
 内田氏によれば、この分裂はある種の病理現象である。内田氏は、岸田秀氏が『日本近代を精神分析する』(前出)に著した考想(「外的自己」と「内的自己」の分裂という観点から日本近代を診る)を高く評価する。そして、改憲派護憲派に分裂した状態を、憲法9条自衛隊を同時に包摂するような統合的人格の構築を拒否した結果の、日本人の病態であると診断する。
 内田氏は、日本が「人格分裂国家」として「狂気」へ進んだのは、「疾病利得」を得るという道を選んだからであると述べる。内田氏はあえてこの「疾病利得」に留まれという。改憲派が主張するように現行9条を廃止して交戦権を獲得すれば、高額な米製武器の大量購入と、兵員消耗の激しい戦場への派遣がアメリカから要求される現実に直面することになるだろう、と続ける。それともアメリカを含むすべての国と戦争をすることができる権利を留保するだけの覚悟があるのか、と。日米安保が機能せず、自国の防衛は自国でしかなしえないという事態に陥れば、日本という国は「世界でもっとも好戦的な国民国家・復讐国家」となり、国民にとっても世界にとっても大変不幸な国家になってしまうだろう。だから、「疾病利得」という病態を選んだ先人の賢明さを多とし、これからも病み続けよう、というのが『何か問題でも?』の主旨である。
 「疾病利得」という言葉を見て、私は小学生の頃のバナナの味を思い出す。今の若い人には信じられないだろうが、私が小学生の頃のバナナは大変高価な高級フルーツだった。中産階級の家庭では日常的に食べられるようなものではなく、特別な御馳走の日にだけ食卓に上る果物だった。ところが私が風邪をこじらせて寝込んだりすると、母親がそのバナナを買ってきてくれるのである。私は布団の中でぬくぬくと、今頃は級友のケンちゃん(仮名)やタアくん(仮名)やミヨちゃん(仮名・美少女)が教室の固い椅子に座って勉強しているのだろうなとその姿を思い浮かべ、我が身の僥倖にほくそ笑みながらバナナを咀嚼するのであった。幼い頃の私の「疾病利得」である。単純な私は2日後には元気に登校する。現実の世界に関わろうとするのだ。ミヨちゃん(仮名・美少女)にちょっかいを出してひっぱたかれたりするのである。
 しかるに内田医師は「病気のまま寝てなさい。バナナ貰えるよ。何か問題でも?」と言うのである。
 「疾病利得」にバナナの例はあまり適切でなかったかもしれない。精神病の「疾病利得」は深刻である。患者が何らかの原因で人格の統合に苦痛を感じるとき、「疾病利得」に逃げ込んで、「解離」の状態に快を見出すのだ。
 内田氏は憲法9条の護持を病気と認めている点で、憲法9条を理想としている護憲派の人々とは異なる次元に立っている。だが診断を下した内田医師は病み続けろと言う。日本に平和と繁栄をもたらしてきた疾病利得を手放すなと言う。憲法を改正して交戦権を獲得したりすると、かえってアメリカへの従属性を強めることにしかならないし、なまじ「普通の国」になったりすれば、「侵略国を侵略仕返し」ついには「アメリカと刺し違える(注)」ことを「全国民的な悲願とする国になる」と警告している。
(注)原文では「差し違える」となっているが、校正ミスだろう。


 私見では、それは思考の飛躍である。未来は様々な「あるかもしれない無数の事態」の可能性を秘めている。内田氏はそのうちの一つを採り出して断定しているにすぎない。
 憲法9条を改正して軍の設置を明文規定しても、それでただちに日本のアメリカへの従属性を強める事態に直結することになりはしない。そのときのアメリカの世界に対するスタンス、それ以上に日本の政権の外交戦略とそれを支える国民の主体的意思によって、困難であろうとも切り開ける道はあるだろう。憲法を改正して日本が自主独立の道を模索したとして、それが必ず「日本第二帝国」の惨劇をもたらすなどとどうして決めつけられよう。未来にはいろいろな分かれ道や、さらには自ら切り開くべき道が横たわっているのだ。どうして「従属国」あるいは「第二帝国」と結果を一足飛びに決めつけられるのだろうか。
 内田氏の考察は歴史のプロセスを無視ないしは軽視している。これは妙に岸田秀氏の論法と似通っている。内田氏は、前述のとおり岸田氏の著作を高く評価し、日本近代の「外的自己」と「内的自己」への分裂という岸田氏の考想を足がかりとして自論を展開している。岸田氏の著作は、前々節で述べたように、歴史の諸事象精神分析学の諸概念をぺたぺたと貼っただけの代物であり、歴史自身の内在的要因からの動きに関心を払っていない。例えば岸田氏はペリー来航のショックによる開国論(外的自己)と尊王攘夷論(内的自己)への国論の分裂について論じ、それが明治以降の日本国の人格分裂をもたらしたという。しかし歴史は静態ではなく動態であり、開国論と攘夷論の対立には戦争回避論と攘夷論の対立という意味が含まれており、やがて開国攘夷へと変貌していくのである。
 内田氏も歴史の未来への動きを考慮に入れないから、「改憲」即「従属性の強化」、「普通の国」即「第二帝国」という静態的捉え方しかできないのだ。「第二帝国」は未来に「あるかもしれない無数の事態」の内のひとつの事態かもしれないが、そこに至るまでの間には今の段階では分からない多々の変数があるのであり、日本の政権及び国民の賢明さあるいは愚かさによって進路が左右されるのである。
 『何か問題でも?』に「自衛隊憲法制定とほぼ同時に憲法と同じくGHQの強い指導のもとに発足した。つまり、この二つの制度は本質的に「双子」なのである」(文字の強調は引用者)という文がある。こういう何気ない一言にも内田氏の考え方の特徴が表れている。もちろん自衛隊の創設と憲法の制定が「ほぼ同時」でないことぐらい内田氏は百も承知であろう。にもかかわらず氏の関心が憲法自衛隊の無矛盾性に向かっているから、「戦力の不保持を規定する憲法マッカーサーによる強制→憲法制定→アメリカの極東戦略の変更→憲法改正及び自衛隊創設についてのマッカーサーの要求」という一連の動きは捨象されてしまうのである。内田氏の論法と岸田氏のそれは「本質的に双子」なのである。
 江藤淳がまだ未来に希望をつないでいた頃の評論『「ごっこ」の世界が終ったとき』(1970年)のなかで、著者が万感をこめて言いたかったことが次の一節に表現されている。

 

 それはいうまでもなく現実の回復であり、われわれの自己同一化(アイデンティフィケーション)の達成である。そのときわれわれは、自分たちの運命をわが手に握りしめ、滅びるのも栄えるのも、これからはすべて自分の意志で引き受けるのだとつぶやいてみせる。それは生き甲斐のある世界であり、公的な仮構を僭称していたわたくしごとの数々が崩れ落ちて、真に共同体に由来する価値が復権し、それに対する反逆もまた可能であるような世界である。われわれはそのときはじめてわれにかえる。そして回復された自分と現実とを見つめる。今やはじめて真の経験が可能になったのである。

 

 憲法の改正が実現したからといって、安全な未来が約束されるわけではない。だが、「自分たちの運命をわが手に握りしめ、滅びるのも栄えるのも、これからはすべて自分の意志で引き受けるのだ」という精神を日本人が持たないかぎり、世界がばらばらになってきているこれからの時代に、日本はほぼ確実に「滅びる」だろう。アメリカの後退は従来型日本にとってはリスクの著しい増大となろうが、「世界のばらばら化」は、真に覚悟があるならば、日本の好機にもなる。自立の意思が国民多数にあるならばの話だ。ますます「9条の繭」に閉じこもろうとするのならば、そんな繭は外から簡単に壊されてしまうだろう。

 

 内田樹氏の憲法論は、上に見たように、アメリカの強制性を前提としている。文芸評論家・加藤典洋氏の憲法論もまた、憲法の制定権力がアメリカにあったと認めることから出発する。加藤氏は9条の平和理念を高く評価する。その著『敗戦後論』(1997年.雑誌初出は1995年)は、9条を有する現憲法を真に国民のものにするためにあらためて国民投票によって選び直そうという提案であった。そして近著『戦後入門』(2015年)では、アメリカへの従属から脱するために、保有する戦力は国連指揮下に置き、国の交戦権国連に委譲し、国内の外国軍基地を認めないという趣旨の9条改正案(左折の改正案)を提起している。これについては、憲法を支えてきた日本人の精神状況について考える本稿のテーマとは別のところに位置する論であるから、ここでは立ち入らない。現行憲法の制定権力がアメリカにあったと認めたうえでの論であることだけを確認しておきたい。
 柄谷行人氏の『憲法の無意識』(前出)もまた憲法についてアメリカの強制性を認めていた。外からの強制性が超自我形成に有効な役割をはたしたと論じていた。ただし柄谷氏の場合は、戦争放棄案について幣原喜重郎首相の自主的発案説を肯定し、アメリカによる押しつけ説を排している。1条を重視するマッカーサーの強制性を肯んじつつ日本からの積極的受容をも認めるのが柄谷氏の立場である。
 内田氏、加藤氏、柄谷氏いずれも、憲法制定権力者がアメリカであったことを認めたうえでの9条擁護論(近年の加藤氏の場合は左への改憲論)を展開した。
 これは護憲派のなかでは異色の論だろう。多くの護憲派は、この憲法は日本人の憲法研究会が作成した憲法草案要綱をGHQが参考にして制定したのだから押しつけではない、そして国会で日本が正当な手続きを踏んで制定した自主的な憲法なのだと、その正当性を主張している。日本の自主性を示す傍証として、幣原喜重郎首相自らが戦争放棄の規定を憲法に盛り込むことをマッカーサーに進言したのだという「事実」が主張される。あるいは、国民が長年護持してきたのだから憲法制定過程を今さら蒸し返すのは無意味だと主張する人々もいる。
 「押しつけ否定論」は個々の論点ばかりをルーペで拡大して見ているだけで、アメリカが主導権をもって主権のない占領下日本に憲法制定を要求したという大枠が忘れられている。幣原発案説の有力な拠り所は幣原の著書『外交五十年』(1951年)なのだろうが、これはGHQ検閲下での出版である。
 もちろん改憲派の学者たちは逐一反論してきたが、護憲派には論争を踏まえて自説をより高みに発展させようとする姿勢を持たない人たちが多く、十年一日、議論が同じレヴェルでリピートされている。
 例えば次に引用するある中堅作家のエッセイのなかでの発言は、半世紀前のものではない。今年になっても、まだこんなレヴェルで得々と発言しているのだ。

 

 僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法ではない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。(朝日新聞デジタル版2016年1月11日)

 

 敗戦後から今に至る日本にとって日米関係とは何だったのかという問題意識を踏まえて憲法を考える姿勢が、おそろしいほどに、というよりも無邪気なほどに欠けている。良質の護憲論者はその問題意識を持っている。
 意見の異なる相手の論によって己の論を鍛えて高めていこうとする姿勢を持たない怠惰な思考は、一部の知識人のみに見られる現象ではない。数量的には圧倒的に多数の大衆レヴェルでの護憲論者や改憲論者にこそ、自分と異なる意見を謙虚に理解しようとすることなく、仲間内での意見交換に終始している人たちが少なくない。いざ異なる意見の持ち主に面すれば、十年一日、定型句の応酬になる。
 「戦争は悪だ。だから9条は大切だ」という言葉のみを繰り返す人たちは、改憲論者を目にすると、悪に決まっている戦争に反対しない人がいるということが想像を絶する事態に思え、こいつはよほど邪悪な人間なのだろうと思い込む。この人たちにとって「戦争反対」のスローガンは、自分がいい人であることを自他ともに確認させておきたいツールになっているのである。
 あるいは若い世代には、近未来での戦争に巻き込まれる不安から、「9条を守れ」と叫ぶ人たちがいる。その気持ちはもっともである。だからこそ、戦争をもたらすもの、そしてそれを回避する策について考えたい知的渇望を持っている若者はけっして安直なスローガンを叫んだりしないはずだ。
 様々なフェイズでの護憲論や改憲論がある。護憲論者も改憲論者も、論敵との議論を通じて、それぞれに新たな地平を開いてもらいたいものだ。仲間内でのエールの交換は、居酒屋ですませてほしい。
 改憲を目指して活動している人たちには、国民の間で改憲の気運などけっして高まっていないことを冷静に認識してもらいたい。何としても9条は守らなければならないと心を決めている国民多数の壁、改憲を阻む最強の壁を正視して、その時代精神への問題意識を自分の知的営為の中に取り込んでほしい。
(了)