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月下独酌

書き手:吉田勇蔵  diary「日居月諸」もご高読賜りたく→http://y-tamarisk.hatenadiary.com/  twitter@y_tamarisk

大衆からの自立

*** 目 次 ***

【大衆の登場】

【政治家と大衆】

吉本隆明と「大衆の原像」】

【正面の敵】

 

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【大衆の登場】

 今手元にある画集を開いて、ウラジミール・マコフスキーの『受刑者』(1879年)という絵を眺めている。2007年に上野の東京都美術館で催された『サンクトペテルブルク 国立ロシア美術館展』で購入した画集だ。

 19世紀後半のロシアで、インテリゲンツィアたちの「ヴ・ナロード(人民の中へ)」をスローガンとする運動が展開された。ナロードニキと呼ばれたインテリゲンツィアたちの活動が広がるなかでこの作品は描かれた。官憲に拘束された若きナロードニキの姿を描いた絵である。粗末な外套を着た若者が、抜身のサーベルや銃剣を携える官憲たちに拘束され連行される場面が描かれている。若者が潜んでいた農家の主婦らしき人物が祈るような身振りで若者に何かを訴えている。その隣では夫らしき男がべそをかいている。農家の娘らしき少女が緊張した面持ちで立ちすくんでいる。若者は農婦に向けて、鋭い、しかし当惑したような視線を向けている。同時代の画家マコフスキーは運動に身を投じた若者の精神に敬意と共感をもってこの絵を描いているように思える。育ちの良さそうな若者の純な表情が印象的である。

(注)この絵で描かれているドラマのシチュエイションは不明なので、上記の主婦やその他周りの人たちと若者の関係は私の勝手な想像による。但し若者がナロードニキであることは画集に添えられた短い解説文に書かれている。

 ナロードニキたちは、ロシアで進行する西欧化の波に反抗した。ロシアの民衆(農民が大多数)の土壌に根差した共同体(ミール)にロシア社会主義の理想を見出し、「人民の中へ」をスローガンとして農民への啓蒙活動に専心した。しかし彼らは農民たちからかならずしも歓迎されず、またナロードニキにも諸派があり、テロに傾倒するグループもあった。

 ナロードニキたちが思い描いた「ロシアの人民」は抽象的な概念であり、現実に生きるイワンやらカチューシャやらは彼らの思念の中ではそこから演繹された存在でしかなかった。

 若きドストエフスキイナロードニキ運動が台頭するほんの僅か前の時期にシベリアの流刑地で囚人となっていた。彼は監獄の中で雑多な階層の人間たちとの共同生活を強いられていた。ドストエフスキイ自身は下級貴族の家の生まれ、育ちである。当時のロシアで貴族知識人の階層と民衆との生活習慣の格差はとてつもなく大きなもので、それぞれに別世界の人間であったといっても過言ではない。ドストエフスキイが生活を共にした囚人たちは、その民衆の中でも最下層に位置する人たちが多かったのである。

 ドストエフスキイは、ナロードニキたちが演繹したような抽象的概念としての「人民」ではなく、生身のイワンやらミーシャやらが発する体臭の中で四年間の流刑生活を送った。きっと辟易とすることも多かったろうが、ドストエフスキイはこの無知な最下層の人たちの内面にある規範意識に関心を持ち、そこに息づいているキリスト教精神を見出した。そのへんの事情は『作家の日記』や『死の家の記録』に詳しい。

 ドストエフスキイは出獄後、露土戦争(1877~78年)での民衆の熱狂ぶりを見たこととあわせて、流刑地での生活を原体験として得た民衆観を深めていく。それは、民衆を啓蒙の対象とすることではなく、民衆の非合理的な感情をも含む、知識層と民衆を統合するような大きな政治思想の必要性を希求するものであった。

 ドストエフスキイは19世紀の人であったが、20世紀の来たるべき大衆社会を予見しているようでもある。大衆が政治の動向を左右するようなパワーを持った時代をだ。

 パワーを持って政治を動かす大衆が正しい判断をするとはかぎらない。むしろ非合理的な感情に基いて間違った判断をすることのほうが多いといっても過言ではないだろう。大衆の政治への感情がしばしば政治家やマスメディアの煽動によって暴走し、その判断が自らの首を絞める結果をもたらす。「一般大衆はパンを求めるのだが、なんと、そのやり方はパン屋を破壊するのがつねである」(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』・1930年、寺田和夫訳・中公クラシックス

 オルテガは、20世紀に入って現出した大衆社会の病理の原因を、19世紀後半に指導的地位にあった人たちが歴史に無知になり始めたことに見出す(前掲書)。無責任な大衆が政治動向を左右する危機的な状況を前にして、オルテガは、過去からの知、すなわち歴史意識を人々が養うことの大切さを主張した(同書)。

 20世紀から21世紀にかけて、大衆が政治を振り回す危機的状況はさらに肥大してきたが、ドストエフスキイが希求したような、知識層と民衆を統合する大きな政治思想を人類は生み出し得ていない。そしてオルテガが警鐘を鳴らしたような歴史意識の欠如と大衆の迷走は、現代日本において特に顕著である。

 民主政治の制度は制御を間違えると内から崩壊する危険を常に孕んでいる。それは民主政治を採っている世界各国共通の問題である。しかし国防をタブーとするような妙なコモンセンスが国民多数の間で共有されているような国が、日本以外のどこにあるだろうか。

 

【政治家と大衆】

 安保関連法案を審議中の国会議員たちの醜状には目を覆いたくなる。

 国会議員を選んでいるのは国民である。

 その一方の代表たる野党第一党・民主党議員たちの、国家への無責任さのみが剥き出しになっているかのような審議態度を見聞きしていると、日本の未来にはもう絶望しかないと思わざるを得なくなる。

 特に民主党後藤祐一衆議院議員の質問がひどかった。5月28日の審議で後藤議員は、高村正彦自民党副総裁のNHKTVでの発言をわざわざ曲げて(捏造して)引用して、集団的自衛権行使の事例について批判した。あるいはまた、事前に質問事項を提出しておくという慣行を無視し、15年以上前の政府委員の答弁について唐突に質問をし、TVカメラの前で戸惑う外務大臣を相手に勝ち誇ってみせる。これらから浮かび上がる卑劣さは「おまえそれは人としてどーよ」というレベルである。

 国家の安全保障政策について審議する委員会ではないのか。今の世界の動向について語り、国民の生命と財産を守って日本が国家として生存していく方途について議論する場ではないのか。その機会に民主党議員たちは政府の揚げ足取りを最優先としてしか考えていないようだ。審議を内容的に深めることについて、実質的な妨害を図っているだけではないのか。

 リスクを声高に主張するのなら、憲法9条2項を拡大解釈も一切許さずに守護していくことがもたらすリスクについてなぜ何も考えないのか。どちらにせよリスクゼロなどは夢想でしかない。諸国家のエゴイズムが剥き出しになってきているこの21世紀に生きること自体が大きなリスクを伴っているのだ。なぜその現実を直視しようとせずに、枝葉のリスクのみに微視的に焦点をあてた質疑を繰り返すのだ。日米同盟のもとで日本が生きようとすると、戦争に巻き込まれるリスクがあるという趣旨の質問が繰り出される。然り! ならば脆弱な国防力しか持っていない(←憲法9条2項)日本が今突然丸裸で放り出されたときのリスクはどうなるのだ。アメリカの方から日米安保条約の破棄を通告してくる事態は充分にあるのだ。どちらにもリスクがあることを認めたうえでの議論になぜならないのか。政府は日米ガイドラインを実行することに伴うリスクをなぜ認めないのか。野党はなぜ重箱の隅ばかりつついて、リスクゼロを求めるのか。

 民主党議員たちが臆面もなく実質的に内容ある審議を妨害しているのは、それで民意の支持を獲得できると計算しているからである。政府が安保関連法案の施行に伴うリスクを明言しないのは、世論の反発に腰が引けているからである。

 もちろんこの愚かさに辟易として民主党から離れていく民意もあろう。民主党にも「公」への責任感を持った議員も(少数ながら)いるのであり、彼らが実りのある質疑を行なおうとしていることは私も承知している。しかし数は力である。不真面目な審議を見て離れていく民意よりも、安保法案が廃案になることを望んでいる民意の方が圧倒的に大きいことを彼らは知っているからこそ、議論を深化させることよりも政府の揚げ足取りを繰り出すことに熱意を注ぐのである。それ以前に、見識不足で幼稚な質問しかできない議員の能力の問題もあるのだが。

 国家百年の計とまでは言わぬが、せめて10年程度のスパンで世界と日本を考える見識を持って行動する政治家は、与野党を問わず、いることはいるが、少数でしかない。目先の民意の支持にだけ関心を向ける政治屋が大多数である。

 民意を尊重するのはあたりまえじゃないか、おまえ何を言ってるのだ! と怒る人たちがいる。もう10年余り前になるか、小泉総理が国会答弁で「世論はときに間違えることもある」(あたりまえのことだ)と言っただけで、「小泉さんは民主主義の何たるかが分かってない」とTV世論が沸いたことがあった。私の知る範囲でも、直接民主主義こそが理想だと思ったり言ったりする人が少なくない。「パンを求めてパン屋を破壊する」人たちだ。

 

 衆愚政治に堕さずに、民主主義政治が健全に実行されている場合にあっても、政治家は必ず民衆の支持を得なければならない。目先の民意の反発があっても、それに屈せず長期的に国家・国民の利益を図っていこうとする賢明な政治家も、その政策の意義について民衆を説得しなければならない。

 大衆に支えられること、これは民主主義政治下の政治家の必要条件である。

 では知識人と政治についてはどうか。

 知識人の政治活動のあり方のひとつは、各種メディアを通じてあるいはまた講演会やシンポジウムの場で自らの政治的意見を主張することである。もうひとつは、政治の世界に身を投じることである。自ら立候補する場合はもちろんだが、特定の政治家や党のブレーンとして活動したり、選挙運動に全面的に没入することがこれに該当する。後者の場合の知識人は、大衆の支持の獲得を目的とせざるを得ない。このときの知識人は大衆に依存する存在となる。その場合は知識人というよりも、知識人出身の政治家と呼んだほうがふさわしいだろう。それが悪いと言っているのではない。職業の選択はもちろん彼または彼女の自由である。

 

吉本隆明の「大衆の原像」】

 吉本隆明は、国家からの自立と党派からの自立を可能とする思想の構築を求めて生涯を捧げた思想家である。ここでいう「国家」とは、経済社会構成に対応する「社会的国家」にとどまる概念ではなく、法によって政治的国家と二重化することによってはじめて権力を持つことになった存在として捉えられる(『自立の思想的拠点』・初出1965年)。

 

 法・国家というものは、何らかの意味で人間の観念が無限の自己としてうみだした宗教が、個別的なものから共同的なものへ転化され、それによって社会的国家の外に国家をうみだしたものである。信仰がもっている憧憬と戒律の二重性は、それゆえ法や国家の本質につきまとっている。(同書)

 

 吉本はここで「天皇制国家」(注) のことを言っているのである。

注)「天皇制」という語は、それを用いる者の思想的立場が反映されている語であるが、私はここで吉本を引用して用いているに過ぎない。

 吉本によれば、古典的マルクス主義やその実存的深化を進めたサルトル実存主義は単なる知識人の尖端的な言葉でしかない。「しかしわたしどもが知識人であろうとすれば、必然的に土俗的な大衆の思想をくりこみ、投影せざるをえないのである。」(同書)

 土俗的な大衆の思想を繰り込まない尖端的な知識人が政治行動に向かうとき、彼らは大衆を啓蒙の対象として捉えることになる。

 

 現在にいたるまで、知識人あるいはその政治集団である前衛によって大衆の名が語られるとき、それは倫理的かあるいは現実的な拠りどころとして語られている。大衆はそのとき現に存在しているもの自体ではなく、かくあらねばならないという当為か、かくなりうるはずだという可能性としての水準にすべりこむ。大衆は平和を愛好するはずだ、大衆は戦争に反対しているはずだ、大衆は未来の担い手であるはずだ、大衆は権力に抗するはずだ、そして最後にはずである大衆は、まだ真に覚醒をしめしていない存在であるということになるのだ。もちろん、こういう発想はまったく無意味である。「否」の構造をとって、大衆は平和を好まないはずだ、大衆は戦争に反対しないはずだ、大衆は未来の担い手でないはずだ、大衆は権力に抗しないはずだ、といってもおなじだからである。あらゆる啓蒙的な思考法の動と反動はこのはずである存在を未覚醒の状態と結びつけることによって成立する。

 しかし、わたしが大衆という名について語るとき、倫理的なあるいは政治的な拠りどころとして語っているのでもなければ、啓蒙的な思考法によって語っているのでもない。あるがままに現に存在する大衆を、あるがままとしてとらえるために、幻想として大衆の名を語るのである。(『情況とはなにか 1 知識人と大衆』・初出1966年.傍線は原文では傍点)

 

 この「幻想としての大衆」が、吉本の思想の基底を貫いている「大衆の原像」である。「この大衆があるがままの存在の原像は、わたしたちが多少でも知的な存在であろうとするとき思想が離陸してゆくべき最初の対象となる」(同書)のである。

 例えば吉本は共産党員であった作家中野重治の獄中転向を、この「離陸」の一歩として高く評価する。獄中で政治思想上の転換を表明した佐野学や鍋山貞親の転向よりも、あるいは獄中非転向を貫いた小林多喜二宮本顕治よりも中野重治の転向を高く評価するのである。

 吉本の『転向論』(初出1958年)によれば、佐野や鍋山は「日本封建制の優性遺伝子」に対して屈服したのであり、他方小林や宮本の非転向は、彼らの理論が最初から日本的特性との対決を回避したところで構築したモデル二スムスでしかないので、現実から遊離したところで原則を固執していればよいだけの話で、非転向を貫けたのだと理解されている。

 吉本の『転向論』は、中野重治の短編小説『村の家』(1935年)を正面に据えて論じている。『村の家』は、主人公勉次(中野自身がモデル)が政治活動をしないという上申書を提出して出獄し、帰郷した村の家で父親の孫蔵から説教される話である。

 孫蔵は勉次を叱る。「それじゃさかい、転向と聞いた時にゃ、おっ母さんでも尻餅ついて仰天したんじゃ。すべて遊びじゃがいして。遊戯じゃ。屁をひったも同然じゃないがいして。(中略)本だけ読んだり書いたりしたって、修養が出来にゃ泡じゃが。お前がつかまったと聞いた時にゃお父つぁんらは、死んで来るものとして一切処理して来た。小塚原で骨になって帰ると思うて万事やって来たんじゃ」

 孫蔵は、口先だけの革命論を書きまくったあげくに刑死を恐れて転向してきた息子の不実をなじり、今後書くものはきっと言い訳みたいなものだろうから、もう筆を折って百姓になれと迫る。これに対して勉次は「よく分りますが、やはり書いて行きたいと思います」と答える。

 この勉次の姿勢に吉本は、日本の封建的土壌に息づく大衆の心を直視したうえでなお自己の思想を築いていこうとする中野の覚悟を見ているのである。

 吉本は書く。「中野が、その転向によってかいま見せた思考変換の方法は、それ以前に近代日本のインテリゲンチャが、決してみせることのなかった新たな方法に外ならなかった。」(『転向論』)

 さて、吉本が『自立の思想的拠点』(論文版)で指摘したような、社会的国家の外に国家を生み出した共同の宗教性、すなわち日本の封建制の優性遺伝子を孫蔵が体現しているのであろうか。『村の家』で描かれた孫蔵は立派な道徳観を持った人格者であり、その道徳観は封建的土壌云々の問題ではなかろう。

 『吉本隆明という「共同幻想」』(2012年・筑摩書房)を著した呉智英は、孫蔵のどこが大衆か、と指弾する。孫蔵は見識と向上心を持った中産階級の人間であり、吉本のいう「大衆の原像」の定義がそのつどころころ変わっているではないか、と。

 吉本の大衆観を振り返ってみよう。

 

 大衆は社会の構成を生活の水準によってしかとらえず、けっしてそこを離陸しようとしないという理由で、きわめて強固な巨大な基盤のうえにたっている。それとともに、情況に着目しようとしないために、現況に対してはきわめて現象的な存在である。もっとも強固な生活基盤と、もっとも微小な幻想のなかに存在するという矛盾が大衆のもっている本質的な存在様式である。(前掲『情況とはなにか 1 知識人と大衆』)

 

 『自立の思想的拠点』と題した講演(1966年)ではもっと平易に、「たとえば魚屋さんならば魚を明日どうやって売ろうかというような問題しかかんがえないわけです」と大衆の「原型」を例示している。

 

 呉智英は、「魚屋」であったり「孫蔵」であったり、あるいは他の機会に吉本が言及した「独特な残忍感覚を持つ日本の恒常民衆」であったりと、いったい「大衆の原像」には何種類あるのかと吉本を揶揄している。

 私が呉に少し異論を持つのは、吉本が想定した「大衆の原像」に対して誤解があるのではないかという点である。あるがままの大衆の姿にさまざまな様相があることは吉本も分かっているのである。そのうえで、『情況とはなにか』から先に引用したように、あるがままに現存する姿の奥に「幻想としての大衆の名」を想定しているのである。これが「大衆の原像」で、きわめて抽象的な概念である。ご本尊様である。ご本尊様の姿は誰も見たことがないし、「大衆の原像」とはいったい何であるか、私にもよく分からない。

 吉本が政治的国家の起源に人々の幻想としての共同の宗教性を見出し、その問題を直視しない近代知識人やその政治組織である「前衛」の理論の空虚さを激しく論難し続けた営為は、日本の思想史のなかで特筆すべきものであると考える。

 しかし「自立の思想的拠点」として抽象的な「大衆の原像」を設定して、知識人がこの「原像」を取り込む重要性に積極的意義を求めたことで、吉本もまた、批判してやまない「近代知識人」と同じ空転をしていく宿命を負ったのではなかったか。知識人の啓蒙活動を原理的に批判しながら、自らも晩年には啓蒙発言を繰り返していたのではなかったか。いや、晩年といわず、1980年代の反核運動への批判の発言から吉本の啓蒙精神は発揮されていたのだ。

 吉本隆明もまた大衆からは自立しない知識人であった。

 

【正面の敵】

 私が当ブログや他のサイト(ASREAD)で過去に書いた文章には、愚昧な大衆世論に対する私の不快感を隠さずに綴った箇所がいくつかある。嫌悪感が滲み出ているような文章は読む人にも不快感を与えてしまうかもしれない。しかし、だからといって、私は社会に何かの怨みを持っているわけではないし、まして日本を呪っているわけでもない。

 私事を記せば、私が半生を通して出会ってきた人たちは善き人がほとんどであった。日常生活の場では、「大衆」などとひと言で括ってはいけない個々の人々がいるのである。あたりまえのことだ。個々には、誠実な人もいるし、不誠実な振舞いをする人もいる。いや、一人の人物がある場面では誠実な面を発揮し、別の場面では不誠実なことをしてしまうこともあるのだ。私も然りである。市井には孫蔵のような人格者も珍しくはない。呉智英は孫蔵のどこが大衆かと言ったが、孫蔵も大衆の一人である。

 幸いにと言うべきだろう、私は半生を通じて、人を真底怨んだり、憎しみに血が沸き立つ思いをするような経験をしたことがない。私が寛大なのではなく、単に凡庸な生だということである。

 ときには人から理不尽な悪意の攻撃を受けたことも一度ならずあった。片手の指で数えて指が余る程度の回数だ。その程度のことは、数十年生きている間には誰の身にも起こりがちなことであって、その時々の限定的出来事でしかない。人の世は善意に満ち満ちているというのが真実であると同時に、人の世には悪意が満ちているというのもまた真実なのである。数直線上で有理数の集合が稠密であると同時に無理数の集合もまた稠密であるように。(無理数が悪だといっているのではない。ピタゴラス教団じゃあるまいし)

 それらを全部ひっくるめて、私は出会ってきた人たちに、なかにはいやな奴もいたが、概ね親愛感をいだいてきたのだ。一期一会、ほんの数分程度の軽い触れ合いであっても、人がその表情の奥にそれぞれ喜びや悲しみの感情を息づかせているであろうことに思いをいたせば、自ずと親愛の情や連帯感が湧いてくるのであり、人を真底嫌いになったりすることはめったにできるものではない。

 そしてその人たちがマスとなったときの各種世論調査の結果や、TV画面などから伝わってくる街頭の人々の幼稚で愚かな発言の数々を見聞きするにつけ、私は猛然と腹が立ってきて嫌悪感すら覚えるのである。身近に親愛の情をいだいてきた人たちと、嫌悪感すら覚える愚かな政治感情を共有しているマスは別個のものではない。実は同種の人たちだからこそ、私の心は股裂き状態に陥るのである。

 先月私は当ブログの文章で、谷崎潤一郎が若い頃家族にいだいたアンビヴァレントな感情について書いた。局面こそちがえ、人は往々にして感情のアンビヴァレンスにさいなまれるものである。そのことがよく理解できていなさそうな論客の思想には基本的に脆弱さが潜んでいると感じることがときどきある。

 

 安保関連法案をめぐる国会審議の醜状については先に書いた。各種世論調査では、法案反対の意見がかなりの差で多数である。野党のなかでも共産党は筋金入りの反対であるが、民主党はこの世論に便乗して愚問を繰り返している。廃案に持ち込めば民意の喝采を受けることを知っているからこその行為である。

 では民意はなぜ法案に反対しているのか。「そんなこと知らんがな」というのが多数であろう。そして「戦争に巻き込まれる」という、誰かが用意してくれた決まり文句を自分の意見のようにして口にしたりする。

 この法律が施行されることで、戦争に巻き込まれるリスクはある。そして廃案になれば、そのリスクはさらに増大する。21世紀に生きる以上リスクゼロなどあり得ない夢想なのだ。

 日本が集団的自衛権を行使しない日米関係が続けば、アメリカが日米安保条約の破棄を決断するのはそう遠い将来のことではない。まして中国が南シナ海を領海化してこの地域に覇権を確立してしまえば、もはやアメリカにとってアジアに軍事力を置いておく意味がなくなる。日本の米軍基地も基本的には不要のものとなる。「基本的には」と修飾語を添えたのは、日本が独自に軍事力を持った独立国となることを阻止する意思がそのときアメリカにどの程度に強固なのかが未知数だからである。いずれにせよ、中国はレイムダック化したオバマ政権が続くあと1年半の間に南シナ海での決着をつけようとするだろう。

 日本の民意(多数派)は、前世紀の冷戦構造の世界でアメリカの属国として暖衣飽食をむさぼったときの世界観のままなのである。アメリカの属国であったからこそ、憲法9条を理想化して遊ぶ人たちもいた。

 アメリカが日米安保条約の破棄を通告してきたその日、「9条を守れ」と言っている人たちは、それを日本の自主独立回復の日として喜ぶのだろうか。自主独立を喜ぶのは立派な見識である。その見識は日本の重武装核武装を含む)を必要条件とするのだが、それだけの覚悟があるのだろうか。それとも中華帝国に呑み込まれ属国化することを容認するのだろうか。アメリカの属国であった時代は、日本人の多くがある種の快適さを感じていたのだが、今度は全然違うことぐらい猿でも分かる。

 日本の民意(多数派)は蒙昧の度が過ぎているのである。いかに「パンを求めてパン屋を破壊する」のが大衆の性向だといっても、いかに「魚を明日どうやって売ろうか」しか考えず情況に無知であるといっても、そしてそれが全世界の大衆に共通の性向であるとしても、国防は悪だというような思い込みを多数が共有している大衆は日本のほかにはない。「非武装国家コスタリカに学べ」などと言う人もいるが、日本と置かれている情況が全然違う。そしてコスタリカはたしかに憲法常備軍を廃止しているが、同時に非常時の軍備と徴兵を憲法で規定しているのだ。国防は悪だなどと言っているのは日本の大衆(多数派)と、それに便乗する一部の政治家や煽動する一部のマスメディアだけである。

 憲法学者の多くは安保関連法案を憲法違反であると言う。学者ならずとも、常識的な国語力をもって憲法を読めば、日本の安全保障政策は無理に無理を重ねる解釈改憲を実施してきたことが分かる。立憲主義の原則を曲げ、そして国防の見地からも不充分な今回の法案を提出せざるを得なかったのは、日本では憲法9条の改正が事実上不可能だからなのだ。日本を取り巻く国際状況の危機が日増しに切迫してきている今、憲法改正が不可能なままでこの危機に対応しなければならない為政者の苦悩を考えてみよ、心ある国民ならば。

 憲法改正はなぜ不可能なのか。衆参両院それぞれの総議員の3分の2以上の賛成で発議にこぎつけるというハードルの高さもあろう。国会議員の行動は民意によって左右されるので、改正を必要とする民意が高まれば、けして超えるに無理なハードルではない。今後の総選挙や参議院選挙の展開次第では、発議が実現することもあり得よう(どの条項の改正かにもよるが)。

 その民意が高まらないのが最大のネックである。仮に発議にこぎつけたとしても、9条2項に触れれば、国民投票で圧倒的多数によって否定されることは必定である。

 最近1年間の各種世論調査の結果を総合的に見れば、憲法改正に賛成と反対それぞれの意見はおおざっぱにいって、35対65ぐらいのものか。そしてこの35%の賛成の内には、9条2項を改正して非武装を明記すべきだとする意見からの賛成が10ポイント近くあるのだろうと推測する。日本が主権国家として常識的な軍備を保持できるような改正は圧倒的に不可能なのだ。

 日本人はけして愚かな民族ではない。優秀な人たちが各分野にたくさんいる。日々の生活でも、自然に身に備わった美風が随所で発揮されている。これらは、先人たちの培ってきた優れた文化の遺産を私たちが受け継いでいるからである。

 にもかかわらず、こと国防の問題となると、これにだけはなぜか思考停止の様相を示す。上に述べてきたような問題について、その愚かな思い込みの内容を論破するのは簡単である。実に幼稚な思い込みであるからだ。

 だが思い込みの内容を論破できても、思い込んでいるその人を論破することはできない。聞く耳を持たないからだ。あたかも頑迷な老人が、うつむきながら首をゆっくり左右に振っているかのような姿が思い浮かんでしまう。

 日本はなぜこんなことになってしまったのか。異様な言語空間である。

 学者、評論家、作家等々、改憲を主張する知識人たちは、この異様な言語空間をなぜ正視しないのか。まだ機が熟していないから、改憲の必要性を訴える言論活動を地道に積み重ねていかなければならないと考えているのか。吉本隆明が批判した「当為としての大衆」観か。あなたがほんとうに改憲を希求しているのなら、それを阻む大きな壁となぜ闘おうとしないのか。

 啓蒙活動が無意味だとは言わない。若者が改憲論者や護憲論者双方の著書を読んで、憲法について学ぶことにはおおいに意義がある。私も、憲法にかぎらず、知識人たちの様々な書物を読んで己の蒙を啓かれることはいくらでもあったし、知識人は私の感謝の対象でもある。

 だが書物を読んでものを考える人間は残念ながらごく少数である。大衆は政治問題に関しては、TVのワイドショーや娯楽番組化したニュースショーで何となく醸しだされる空気に感染しているのだ。その前で知識人の言論活動は残念ながら、再び孫蔵の言葉を借りるが、「屁をひったも同然じゃないがいして」。

 改憲の必要を訴える知識人の言論活動をさらに積み重ねても、上の世論調査の35(実質25)対65の比率を動かすことはできないだろう。日本の名目上の独立後63年の時間のなかで硬化し、あげくのはて液状化してしまったこの言語空間は、今さら啓蒙活動でどうなるものでもない。

 かく言う私は無学な非知識人である。特段学問上の訓練を積んだ経験を持たないし、知識の格別の集積もない。せいぜい「ほら、ここに難問がありますぜ」と指摘するぐらいである。できることはしようと思うので、こんな文章も書きたくなるのである。

 改憲を希求するのなら、なぜこの病んだ言語空間を正面に見据えて、格闘のなかで己の思想を築こうとしないのか。

 西部邁等、大衆を批判する知識人はいる。だがこの言語空間を切り開こうとして、格闘のなかで思想を構築したとも思えない。

 そんな格闘をしたところで、必敗の闘いであることは間違いないだろう。

 西郷隆盛が必敗の戦いに立ち上がったのは何のためだったのか。理不尽なことに死を賭して戦った者がいるという事実を後世に残すために、それだけのために、西郷は戦ったのだ。

 晩年に『南洲残影』を著した江藤淳もまた、必敗の闘いに半生を捧げた。政治評論と文芸評論の両方から、この病んだ言語空間を切り開こうとして苦闘した。それが後世に残る江藤淳の仕事だ。

 「棺を蓋いて事定まる」という言葉があるが、江藤淳は没後、足蹴にされたり、無視されたりと散々である。江藤が戦後日本の言語空間の禁忌を犯してしまったからなのか。

 吉本隆明はそんな没後の江藤について、「決してすぐに消えてしまう人ではなく、もう一度全面的に捉え直しがされる人だと思うし、その意味で、魂の永続性を失わない、生命のながい文芸評論家だと思います」(『中央公論特別編集 ―江藤淳1960』・2011年)と語っていたそうだ。(注)

(注)斎藤禎『江藤淳の言い分』(書籍工房早山・2015年)から孫引き。

 

 後世の史家が日本滅亡の原因を研究していくなかで、20世紀の終盤に孤独な闘いをしていた江藤淳に照準を合わせる日がきっと来るだろう。     (了)