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月下独酌

書き手:吉田勇蔵  diary「日居月諸」もご高読賜りたく→http://y-tamarisk.hatenadiary.com/  twitter@y_tamarisk

「敵」を仕立ててボコる人たち

 敵を仕立てて民衆を煽る政治手法は、民主主義を貶めるという意味で卑劣である。ヒトラーの例を持ち出すまでもなく、ときに危険ですらある。中国も経済が行き詰まれば、日本を敵に仕立てて民衆を煽るにちがいない。

 今世紀の日本では、小泉純一郎首相の政治手法がやはり敵を仕立てて国民を煽るものであった。格別の危険をもたらしたわけではなかったが。昨今は小池百合子都知事がこの手法を用いているようである。

 小泉首相の場合も、小池知事の場合も、煽られて喜々と付和雷同する大衆の多さを見ていて、うんざりする。

 私はここでこれらの政治手法について論じようとするわけではない。

 問題は付和雷同する大衆の側にもある。大衆自身が敵を仕立ててバッシングする快感を日常的に身につけているとしか思えないことがしばしばある。

 例えばAという人物をターゲットにしてツイッターなどで徹底的に叩く。集まってくる者どもがあり、皆正義の言葉を吐く。翌日は関心がBという人物に移り、同じようなことが繰り返される。一般にAやBの意見や行動を批判する議論はおおいにあってよい。しかしこの群衆の正義の言葉を見ていると、AやBの意見を理解すらしていないことがしょっちゅうある。議論以前の問題である。

 こんなことを今ここで書くのは、今日のツイッターで、何がきっかけだったのかはしらないが、ゆとり教育に関して元文部官僚の某氏を敵に仕立てて、よってたかってボコっている光景を見たからである。きちんと、正々堂々と批判するのならよい。しかしこれらのツイートの多くは、ゆとり教育への基本的な理解もないまま、ただの上っ面だけで、匿名のかげに隠れて、この某氏に群れをなして石を投げているのである。

 誤解のないように言っておくが、私もゆとり教育へは強い批判を持っている。

 

 

 今、当ブログで近日公開予定の他の原稿を準備中なのだが、上のようなわけで急遽臨時にブログを更新することにした。

 次に記すのは一昨年の拙文『理念なき国家の教育改革』である。ゆとり教育については2ページ目以降で詳述している。

asread.info

 敵を仕立てて大勢で石を投げる前に、「理解」が議論の前提ではないか。上記拙文から一部以下に引用しておく。

 

「このような風潮のもとで、「ゆとり教育」は一応世論の支持を受けて始まったのだ。どうして後になって、特定の文部官僚氏を名指しで悪の権化のごとくに罵倒するのか。あなたが「ゆとり教育」を支持していたのではなかったのか。」