月下独酌

書き手:吉田勇蔵  diary「日居月諸」もご高読賜りたく→http://y-tamarisk.hatenadiary.com/  twitter@y_tamarisk

自衛隊の存在を憲法に明記すれば、それでいいのか

 憲法改正の論点はいくつかあるが、ここでは国防の問題について考える。
 自衛隊の存在を憲法に明記せよと主張する論者の文章が、今月の産経新聞に立て続けに掲載された。8月16日の西岡力氏(現代朝鮮研究者)及び29日の坂元一哉氏(国際政治学者)のそれぞれの論考のことである。

 

 憲法第9条2項で戦力不保持が規定されているのにもかかわらず、必要最小限の自衛権の行使は憲法上許容されているとの拡大解釈によって自衛隊を創設し、存続せしめてきたことは周知のとおりである。常識的な国語の問題としての条文の読解と、こじつけ的な憲法解釈の間にある齟齬、これが9条をめぐる不毛な神学論争をもたらし、性懲りもなく延々と今に至っている。

 

 西岡氏と坂元氏いずれの主張も、国民多数は自衛隊の存在を認めているのだから、9条条文との齟齬を解消するために、自衛隊の存在を明記するような憲法改正を行うべきだという趣旨である。

 

 まず西岡氏の論考から見ていこう。西岡氏は「憲法の平和主義と自衛隊の存在は矛盾せず共存している」と書き、次のように続ける。9条1項の平和主義の源流は1928年のパリ不戦条約にあり、それが国連憲章に受け継がれ、世界の多くの国々の憲法にも同種の平和主義の規定がある。そしてそれらの国々の憲法は自衛のための軍の存在も同時に明記している。

 

 つまり、日本国憲法9条1項の平和主義との保持は矛盾しないどころか、その並存が世界の常識なのだ。ところが、ほぼ唯一、日本だけが9条2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」という戦力不保持規定を持ち、自衛のための最小限の実力組織である自衛隊について、憲法に明文規定を持たない特殊な国となっている。(下線は引用者による)

 

 この西岡氏の文章では、「軍」と「自衛隊」それぞれの定義の違いが曖昧である。軍は国家の交戦権に基づいて行動する実力組織である。それに対し、拡大解釈によって憲法上許容されているという自衛隊は、交戦権が明文的に否定されている以上、武力の行使(防衛出動の場合)や武器使用(その他の場合)にあたっては専守防衛にとどまることが拡大解釈の限界なのである。
 西岡氏は上の段落に続けてさらに次のように書いている。

 

 日本人の大多数は自衛隊を認めているのだから、世界の常識である9条1項は変えず、2項を変更して自衛隊の存在を明記するか、3項に「前項の規定にかかわらず自衛のための自衛隊を持つ」などと書き加えることは、おおかたの国民の常識に沿うものといえるのではないか。

 

 西岡氏の改正案は9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」という文言の削除について何も触れていないから、結局のところ現行の自衛隊をそのままで(現行の制約のままで)追認せよと言っているに過ぎない。ではいったい何のための憲法改正なのか、意味不明となってしまう。
 あるいは引用の前々段にあるように、軍の保持が世界の常識だと書いているのだから、自衛隊の存在を憲法に明記しさえすれば、なし崩し的に「軍」になってしまうとでも思っているのだろうか。
 軍と現行自衛隊の本質的な違いについて何も考えていないような主張は読者をミスリードするものである。自衛隊の存在を憲法に明記すれば日本の防衛政策が進展するかのような勘違いを国民に与えて、意味不明の改正で大騒ぎをしても、それは必要な改正を事実上阻む騒動にしかならないだろう。

 

 坂元氏の論考は、前半が9条問題、後半が第1条の象徴天皇を護るべきとする主張の2本立てである。といっても、たとえば柄谷行人氏が『憲法の無意識』で指摘した1条と9条の関係というような問題意識とは無縁である。単に2つの論点を、ほぼ無関係に並べたというだけの文章である。だから9条についての記述は短く、掘り下げもない。
 氏は「世界有数の実力を持つ軍事組織になっている自衛隊について、憲法に一言の言及もないというのは国家の法体制の一大欠陥」であるとし、改正の必要を次のように書き進める。

 

 これは必ずしも憲法9条を変えるべきだという主張ではない。憲法に新しい条文を作って自衛隊の存在を書き込み、その最高指揮権は首相が持つと書き込む方法でもいい。憲法9条と自衛隊は矛盾しないというのが国民の大方のコンセンサスなのだから、それはそう難しいことではなかろう。

 

 これはつまり、西岡氏の9条に3項を追加するという改正案とほぼ同じである。現行憲法の交戦権否定条文は廃止せず、自衛隊の存在を今のままに追認せよと言っている点も西岡氏と同じである。今のままでも、坂元氏にとって自衛隊は「世界有数の軍事組織」なのである。自衛隊はいつ「軍」になったのか?

 

 武器装備の質と量が世界有数のものであっても、現行憲法は軍を認めていない。ただし解釈改憲によって自衛隊の防衛出動で許容される活動範囲は事実上の軍事行動に限りなく接近している。たとえばミサイル発射前の段階での敵基地攻撃も、一定の条件のもとで許容されるというのが政府の従来からの公式見解である。
 だが、防衛出動以外の海上警備行動や治安出動での自衛隊の行動については制約が多い。これらの自衛隊の行動については警察官職務執行法海上保安庁法が準用され、「武器使用」(防衛出動の場合と違って「武力の行使」とはいわない)は正当防衛の場合にしか認められない。

 

 たとえばアメリカ合衆国の場合はどうか。領域警備活動を担う沿岸警備隊USCGは国土安全保障省の傘下にあり、米軍第5の軍との位置づけである。領域で不適切な行動をする者に対しては「服従を強制するためのすべての実力を行使(use of force=武力の行使)することができる。その実力の行使は比例性及び必要性の原則に拘束されるが、日本の場合のように正当防衛の枠がはめられているわけではない。統合参謀会議が定める規定(部外秘)やUSCGの武器使用規定及び武力行使規定に従わなければならないという原則はある。

 

 軍は法で禁止されている行為以外のすべての実力行使ができるが、警察は法で許されている行為に限定しての実力行使しかできない。後者の場合は臨機応変の対応に無理がある。


 日本国土への侵略の野望を隠さない中国は、自衛隊憲法上の制約を熟知しているだろうから、必ずその隙をついてくるはずだ。現行法のもとでの自衛隊海上警備行動では、尖閣諸島の防衛は甚だ心もとない。もし自衛隊員が国土防衛のためにやむを得ず少しでも法を逸脱するようなことがあれば、日本の左翼は自衛隊員を、場合によっては殺人罪で、刑事告発するにちがいない。
 海上保安庁の警察行動と、必要に応じての(自衛隊改め)自衛軍の軍事行動が連携してこそ尖閣諸島の防衛は可能になろう。グレーゾーン事態のグレーのグラデュエイションに応じた対応は、現行憲法のもとでの自衛隊には無理があり、一気に防衛出動にエスカレートするしかない。


 局地的な戦闘を超えて戦争へエスカレートする危険を抑止する力は基本的に軍事である。外交も軍事の裏付けがなければ無力である。
 自衛隊の防衛出動にあたっては、憲法の拡大解釈のもと、9条1項の文言どおりでは否定されているはずの「武力の行使」も認められる(自衛隊法第88条1項)。一定の要件のもとで敵基地攻撃も認められる(政府公式見解)等、防衛出動は軍事行動にぎりぎり接近しているといえる。
 だが憲法の拡大解釈には、「自衛のための必要最小限」という縛りがあるのであって、専守防衛の枠を乗り越えることはできない。たとえば日本に甚大な被害をもたらすような敵国の攻撃に対して報復攻撃を実行することは専守防衛の枠を超えているから認められない。この報復攻撃の潜在的可能性こそ戦争の抑止力になるのだが、日本はその抑止力を奪われているのである、憲法によって。


 日本国憲法には軍事活動の権限の規定がない。9条で交戦権を否定している以上当然の帰結である。
 憲法第65条で「行政権は、内閣に属する」と規定されるが、自衛隊の活動はこの行政権の範疇に含まれると解釈するほかはない。行政権は、司法、立法ととともに国内での国家主権の執行に係る権限である。だから他国の主権との相互作用となる外交や条約の締結は、この行政権の執行とは別に、あらためて第73条でこれらも内閣の職務であると規定されている。軍事とは他国の主権に対する実力行使を前提とするものであるから、当然行政権の範疇では捉えられない。やはり73条で、軍事も内閣の職務であると規定すべき権限なのである。9条で交戦権を否定した日本国憲法には、もちろん73条にも軍事の規定はない。
 日本国政府は解釈改憲の無理を重ねてきたのだが、自衛隊の防衛行動についてはついに行政権執行の範疇を超えることができない。それが専守防衛の法的意義である。

 

 西岡力氏や坂元一哉氏が書いているように、9条1項や2項の規定をそのままにして自衛隊の存置を新たに憲法に明記したところで、その自衛隊は、現行どおり、軍事権限のもとで動かすことはできないのである。
 西岡氏や坂元氏にかぎらない。9条の条文と自衛隊の存在の間には齟齬があり、このよう欺瞞を放置してはいけない、国民の遵法精神を損なう、子供の教育上もよくない、だから自衛隊の存在を憲法に明記すれば欺瞞は解消するのだ、そして自衛隊員も誇りを持てるだろう、という主張は多くの人が口にする。
 で、自衛隊の存在を憲法に明記すれば欺瞞が解消するのだろうか。やはり自衛隊は軍としては認められていない。憲法にも軍事の規定がない。防衛出動にあたっては「武力を行使」し、場合によっては敵基地をミサイル発射前に攻撃することになるかもしれない。しかしそれは軍事ではないという。
 これが欺瞞でなくて何なのだろう。

 

 軍事を正面から捉えることが国防上の憲法改正の要諦である。
 だがそれは国民の圧倒的多数が許さないだろう。もう今さら手遅れなのである。
(了)

 


【附記】
西岡力氏の論考:8月16日産経新聞

www.sankei.com

 

坂元一哉氏の論考:8月29日産経新聞

www.sankei.com

アメリカ合衆国沿岸警備隊USCGについては、防衛省防衛研究所編『諸外国の領域警備制度』を参照した。

http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-2_1.pdf

 

日本国憲法第73条の意義については、木村草太氏(憲法学者)の著『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(2015年)を参考にした。

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