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月下独酌

書き手:吉田勇蔵  diary「日居月諸」もご高読賜りたく→http://y-tamarisk.hatenadiary.com/  twitter@y_tamarisk

憲法改正がなぜ困難なのか

********** 目 次 **********
憲法改正を許さない“空気”】
江藤淳の眼に映っていた戦後日本人の姿】
柄谷行人著『憲法の無意識』を読む】
【『憲法の無意識』への疑問】
【再び江藤淳の視点からのアプローチ】
憲法論議の様々な位相】
  ※ 以下、故人の名には「氏」の敬称を添えない。

 

*******************************


憲法改正を許さない“空気”】
 憲法改正がなぜ困難なのか ――国民の多数がそれを許さないからである。仮に96条の改正案発議要件をクリアするだけの議席を衆参両院で改憲派が獲得したとしても、憲法9条の改正が発議されるならば、国民投票で否定されることは必定だろう。
 直近の世論調査の結果を見ても、それははっきりしている。
 5月2日に発表されたNHKの調査では、「憲法9条を改正する必要があると思うか」という問いに対しての回答は次のような結果になっている。


   改正する必要があると思う 22%
   改正する必要はないと思う 40%
   どちらともいえない    33%


 また毎日新聞の調査(5月3日発表)の「憲法9条を改正すべきだと思いますか。思いませんか」という問いでは、二択であったためか、「改正すべきだと思わない」回答が過半数に達している。


   思う   27%
   思わない 52%


 なおこれらの調査では、9条をどのように改正するのかということについての是非は問うていない。改正すべきだと思う人たちのなかには、非武装を解釈の余地なく9条に明記すべきだという左からの改正意見等も含まれているだろうから、自衛隊の存置を明記するような9条改正となれば、改正賛成の数字は上記より若干小さくなるはずだ。そして、専守防衛の建前で理不尽な制約を受ける自衛隊ではなく、主権国家として軍の設置を定めるような9条改正となれば、改正賛成の数字はさらに大きく低下するだろうと推測する。
 世論は一般にオピニオンというよりはセンチメントであり、その時々の“空気”によって大きく変動するものである。たとえば平和安全法制について、昨年7月頃の各種世論調査では、法案への反対が6割を超えて賛成の回答の2倍以上であったのに、今年の春頃には、この法制の廃止に反対する意見が賛成を上回っているのである。いいかげんなものである。無責任といってもいい。
 だが憲法9条に関わる改正については、1950年代の一時期を別として、ほぼ一貫して反対意見が世論の多数である。世界の情勢や日本の役割がどう変わろうとも、頑固一徹である。今後もし日本国民の生命と財産の安全を脅かすような事態がいよいよ目前に迫ってくれば、そのときにはこの頑固な世論も変わるのかもしれないが、時すでに遅しとならないことを祈るばかりである。そして、そのようなときの世論の急変に乗じた政治の猛進は極めて危険であり、平時からありうべき現実を直視した問題意識を広く国民が共有しておくべきなのだが、そうはなっていない。
 上のNHKの世論調査についての解説を読むと、3年前の同じ時期の調査では、憲法9条の改正が「必要」という人と「必要はない」という人がほぼ同じ割合であり、2年前から「必要はない」という回答が「必要」という回答を上回ってきたという変化が指摘されている(2日のニュース7でも同じアナウンスがあった)。
 南シナ海東シナ海では中国の侵略の野望が露わになりつつある。朝鮮半島の危機も深まっている。そして世界がばらばらになりかけている今、近未来への不安が増大するにつれて、よりしっかりと9条の繭の中に閉じこもろうとする国民多数の心の動きが上の推移から読み取れる。
 なぜこれほどまでに憲法9条を死守しようとするのか。世界の情勢の変化を理解し、情勢に適応して国民の生存を持続する道を考え、憲法の改正について議論しようとすると、なぜ頑固一徹に首を左右に振ってばかりいるのだろうか。
 異様である。
 改憲論者たちはなぜこの異様な精神状況を直視しようとしないのだろうか。改憲論者たちは、9条に限らず、条文の様々な不都合を指摘する。憲法制定過程の問題点を解明する。それぞれに有益な解説であり、考える契機を提供してくれる主張である。その啓蒙的役割をけっして過小評価するものではない。
 護憲派あるいは改憲派憲法学者は専門的見地から現行憲法の意義や問題点を著書で解説してくれる。それはそれで読者を啓発してくれる貴重な書である。
 憲法学者に限らず、様々な分野の知識人が改憲をあるいは護憲を主張し、著書や雑誌論文、新聞やTV等のメディア、講演会などで活動している。改憲を目指して活動しているのなら、その目的達成を強く阻んでいるのが、上に述べた大衆世論だという現実になぜ苦悶しないのか。護憲を願って活動しているのなら、その憲法を強く支えてきた大衆世論についてなぜもっと深く考察しようとしないのか。
 敗戦後70年余り、現行憲法施行後69年、講和条約発効(名目上の独立)後64年を経て、憲法改正は事実上タブーとされてきた。そのうえで、現実からの要請と憲法の条文との乖離については解釈改憲を重ねてきた。
 憲法、とりわけ9条の改正をタブーとするような日本国民の精神状況を正面から考察対象とするような知識人の思想の営みはないのか。
 少数ながらある。
 ひとつは、昭和の時代に遡るが、江藤淳の文芸批評及び占領政策が日本にもたらした言語空間についての研究論文である。もうひとつは、後期フロイト精神分析理論とカントの平和論によって日本人の無意識層にあると思われる憲法観を読み解こうとした柄谷行人氏の近著『憲法の無意識』(2016年)である。江藤は戦後憲法を否定し、柄谷氏はそれを肯定する立場である。

 

江藤淳の眼に映っていた戦後日本人の姿】
 江藤淳の文学は、その生い立ちでの母の喪失と敗戦による国家の喪失という二重の喪失感に根ざしている。
 江藤淳の代表作のひとつである『成熟と喪失 ――“母”の崩壊――』(1967年)は“第三の新人”の諸作品を俎上にあげて、日本の母子関係(特に母と息子)に色濃くある一体感を浮き彫りにする。冒頭で取り上げている作品は安岡章太郎『海辺の光景』(1959年)である。「をさなくて罪を知らず、むずかりては手にゆられし、むかし忘れしか。春は軒の雨、秋は庭の露、母は泪かわくまなく祈るとしらずや」と、幼い頃から繰り返し聞かされてきた母の歌に「情緒の圧しつけがましさ」や「うとましさ」を感じていた主人公信太郎が、老いて狂った「母の崩壊」に立ち会う。母の情緒的圧しつけがましさから解放されたはずの信太郎は、「個人」として成熟の道へと向かうのではなく、ただ空虚な心模様を編んでいく。江藤淳が『成熟と喪失』で描こうとした第一のテーマは、母子一体感に支配される日本人が、母を喪失しても、個人として他者に向かう成熟に失敗するという心理構造である。
 『成熟と喪失』が次に取り上げる作品は小島信夫抱擁家族』(1965年)である。『海辺の光景』と『抱擁家族』はもちろん別々の作家による作品であるが、江藤淳はあたかも後者を前者の続編であるかのように読んでいく。つまり母の懐を離れて社会に戻ったその後の息子の姿を読もうとしているのだ。『抱擁家族』の主人公俊介にとって、妻は「姿を変えてあらわれた母」である。「俊介は無意識のうちに、妻とのあいだにあの農民的・定住者的な母子の濃密な情緒の回復を求めている。そこから彼は決して「出発」せず、またそこで決してどんな stranger にも出逢うことがない。妻はここでは「他人」ではなく、いわば姿を変えてあらわれた「母」だからである」(『成熟と喪失』Ⅵ)。だがこの平和は、彼らの家庭をたびたび訪れる客人のアメリカ兵ジョージによって破られる。俊介の妻とジョージの姦通によってである。俊介と闖入者ジョージの遭遇は、母性が支配的な日本社会と父性をバックボーンに持つアメリカとの出会いの比喩である。『抱擁家族』はこの後、アメリカ風の家の新築、ジョージの再訪、妻の病と死と続くのだが、それらを通して浮かび上がるのは俊介にとっての父性の欠如である。
 『成熟と喪失』から17年後の文芸批評『自由と禁忌』(1984年)で、江藤淳丸谷才一の大評判の長編小説『裏声で歌へ君が代』(1982年)をこき下ろしている。「目的といふものがなくてただ存在してゐる国家」としての「日本といふ国」の在りようを肯定的に捉えているこの作品に、江藤淳の怒りが爆発した。嫌味たっぷりの叙述の部分は読み流すとして、例えば次のような一節を見てみよう。

 

 第二次大戦後の日本は、もとより「ただ存在」しているのではなくて、米ソの力関係のあいだで、主として米国によって「存在させられている」のである。そして「今の日本」に「国家目的がない」(傍点作者)のは、なんら「偶然」の所産ではなくて、そのような受け身の立場に置かれた見掛けだけの“国家”が、必然的に自ら「国家目的」を掲げる能力を剥奪されているからにほかならない。
 また、「昔の日本」に「東洋永遠の平和」があったとすれば、「今の日本」には「平和と民主主義」がある。かつての「アジアの盟主」や「八紘一宇」等々のかわりには、現在流行中の「反核」や「反戦平和」がある。「下らない」か否かは不問に付すとして、「お題目」がヒラヒラしている風景は、昔も今も少しも変っていない。
 もし「昔の日本」がこの点において「間違」っていたとすれば、同じ論法によって「今の日本」もやはり「間違」っていることになるではないか。“裏声”で歌っていると、耳がおかしくなって今の「お題目」が聴えなくなるのだろうか? (『自由と禁忌』傍線は原文では傍点。以下同じ)

 

 一呼吸おいて、江藤淳は渾身の力で叫んでいる。

 

 なぜ、作者は、アメリカを見ようとしないのだろうか? いや、アメリカと日本の接点を見ようとしないのか。その接点を直視し、その構造を洞察する努力を惜しみながら、どうして「今の日本」でリアリティを感じさせる国家論が可能だろうか?
 それにもかかわらず、作者丸谷才一氏は、なぜか日米の接点から眼をそらせつつ、日本は「ただ存在」し、「何となくかうなってしまつた」という類の、架空な認識の上にこの“裏声”小説の世界を組み立てようとしている。いったいこの作者は、どの程度自由な立場で書いているのだろうか? 逆にいえば、丸谷氏は、いかなる禁忌にどの程度に拘束されているのだろうか?(『自由と禁忌』)

 

 『成熟と喪失』は“第三の新人”の諸作品の登場人物に結像している時代精神を読み解こうとした批評作品であった。『自由と禁忌』収録の批評作品は、やはり時代精神を抉りつつも純粋に文学作品の探求を進めていく文章が多いのだが、上に引用したように政治的色彩が表に出ているところもある。
 両者に挟まれた17年間(注)江藤淳は、『忘れたことと忘れさせられたこと』(1979年)、『一九四六年憲法 ――その拘束』(1980年)などを著し、アメリカが実行した日本占領政策について研究を重ねていた。上に引用した『裏声で歌へ君が代』批判の文章はその延長上にある。
 (注)『自由と禁忌』の上に引用した章の雑誌初出は1983年1月号だから、正確には16年間である。
 占領政策研究は主として、合衆国国立公文書館に保存されている膨大な資料を読み込むことによって実施された。戦後憲法の制定過程と、占領下での言論の自由の制限によりその制定過程の事実の報道が禁止されたことを明らかにした。検閲が「検閲制度への言及」を厳禁したうえでなされ、巧妙に「検閲のあとがみえない検閲」という「隠微な」手法を採っていたため、日本人はそれと気づかないままアメリカの占領政策に誘導されることになってしまったという。この研究は後の著書『閉された言語空間 ――占領軍の検閲と戦後日本』(1989年.雑誌初出は1982~86年)へとつながっていく。この著書は、巧妙な検閲のより詳しい実態を明らかにし、さらに、アメリカの戦争史観の正しさと日本が遂行した戦争への罪の意識を日本人に植え付けるための洗脳政策(WGIP)の実施を白日の下にさらけ出した。そして、この「閉された言語空間」は今(執筆時点)に至るまで続き、戦後文学を破産させ、報道や言論界の水位を低下させたままであると警鐘を鳴らした。
 母との甘美で平穏な日々を喪失したうえ、父たる国家を喪失し、他者と対等に関係を切り結ぶ成熟にも失敗し、他者たるアメリカから主権国家が持つべき能力を剥奪された日本、そこでひとときの泰平の逸楽をむさぼっている人々、これが江藤淳の眼に映っていた戦後日本人の姿である。憲法改正の気概などどこにあろうか。

 

柄谷行人著『憲法の無意識』を読む】
 柄谷行人氏は近著『憲法の無意識』を江藤淳への批判(注)から始める。(注)柄谷氏は若い頃より江藤淳の深き理解者である。
 柄谷氏は、江藤淳が『一九四六年憲法 ――その拘束』(前記)で指摘した「隠微な検閲」に注目する。「検閲」は初期フロイト『夢判断』のキーワードである。江藤淳憲法制定過程における「隠微な検閲」に考察をめぐらしたのは、戦後憲法と日本人の無意識の関わりに考えを及ぼしていたからではないかというのが柄谷氏の推測である。また『成熟と喪失』で展開されているような、「喪失」を伴って「成熟」に向かう(及びその挫折)という考え、そしてそれを日本人の憲法観に類推していく思考展開も、前期フロイトの理論を通俗的に援用したものにすぎないと柄谷氏は書く。
 いずれも江藤淳フロイト理論の援用は前期フロイトのそれにとどまり、日本人の無意識層にある憲法観を捉えるのに必要なのは後期フロイトの理論である、というのが柄谷氏の主張である。
 フロイト精神分析学の核心部だけ簡単におさらいをしておこう。
 人間の精神エネルギーの源泉にあるのがエス(イド)で、これは快楽原理によって欲望の満足を求める。エスの上に位置するのが自我(エゴ)である。自我は理性的にエスを制御する。これは親を通して子供に刷り込まれる現実生活での規範である。フロイトの『夢判断』に登場する夢の検閲官でもある。
 前期フロイトはそこまでであるが、第一次世界大戦を経て戦争神経症患者への対応の必要に迫られたフロイトは、エスと自我を調整するものとして超自我(スーパーエゴ)の概念を見出す。人は無意識の内に死の欲動を持っている。たとえば私たちの体を構成する細胞は次々に死ぬ(←死の欲動)ことによって新陳代謝がスムースに進んでいる。死の欲動が外に向かうと攻撃性になるが、これが内に向かったときに攻撃性を抑える倫理規範によって超自我が形成される。戦争神経症患者の強迫観念は、超自我の働きによる罪悪感から生じるものだとフロイトは理解した。エスを制御する自我は親や社会に起源を持つ外発的な概念であるが、超自我死の欲動という内発的起源を持っている。内に発しつつ、いったんは外に向かった攻撃性がその後内に向かったものであり、集団性、共同性をもった倫理規範である。超自我は無意識層で働くものだから、たとえば戦争神経症患者が抱いている罪悪感は意識の上では自覚されていない。
 柄谷氏は後期フロイト理論を援用し、日本人の憲法9条に対する強い思いは、無意識層の超自我にひそむ罪悪感から発するものだと説く。超自我には共同性があるから、その罪悪感を日本人は共有しているのだと。それは意識的な「反省」ではなく、自覚できない無意識層の罪悪感だからこそ、戦争放棄への思いがかくも強いのだと説明が続く。超自我の共同性ゆえに、その罪悪感は世代を越えて相続する。それは意識的に伝えることも、意識的に取り除くこともできない。
 憲法9条がアメリカの占領下で強制されたものだということについて柄谷氏は、外からの強制だからこそ深く定着したのだと考える。最初の欲動(攻撃性)の断念が外部の力によって強制され(敗戦)、欲動の断念が倫理性を生み出し良心となり(超自我)、超自我が欲動の断念(戦争の放棄)を一層求めるという深化が、フロイト理論に即した憲法9条定着のプロセスへの理解だからである。
 つまり日本人は集合的に、フロイトの患者が抱え込んだ戦争神経症による強迫観念を共有してしまっているわけだ。ならば憲法改正を目指して、その強迫観念を克服する道を探ればいいと私は思うのだが、柄谷氏はそうは考えない。
 柄谷氏は、日本人の罪悪感は先の戦争に対するものにとどまらず、日本の近代化総体に起因するものであり、徳川による平和な社会を壊したことへの悔恨が底流にあるという。
 柄谷氏が着目するのは、天皇の地位を象徴と定めた憲法1条と9条の関係である。GHQ最高司令官マッカーサー天皇の廃止が占領下日本にもたらすであろう混乱をおそれた。天皇の存続に否定的な連合国諸国や極東委員会設置をめぐるワシントンとマッカーサーとの間には軋轢があったが、まず天皇の地位の存続に優先順位を置いたマッカーサーは、象徴天皇を定める第1条を持った憲法の制定を急いだ。柄谷氏によれば、戦争放棄と戦力の不保持を定める9条は、天皇の存続を保証する憲法をワシントンや他の連合国に認めさせるための取引材料であったという。つまり1条と9条はワンセットで、後者は二次的な意義を持つにしかすぎないというのが柄谷氏の見解である。
 権威としての天皇は、建武新政の短期間を例外として、日本の歴史に一貫して政治的実権から離れたところに位置していた。明治以降の天皇の地位は、王政復古と藩閥政治→立憲君主制天皇機関説の台頭→統帥権の独立と天皇神格化と揺れ動いて敗戦に至り、占領下で象徴天皇の位置に定まった。戦後の象徴天皇は、日本の長い歴史で培われてきた「先行形態」への回帰であると柄谷氏は説く。「先行形態」とは建築史学上の概念で、フロイト精神分析学の「幼年期」に類比されるものである。柄谷氏は建築史学者・中谷礼仁氏の「先行形態は、ほとんどその形態を宿命的に現在にまで温存させる」という言葉を引用している。
 徳川の平和もまた、長い戦乱の後に攻撃性から超自我への転換という形でもたらされた無意識の所産と理解される。平和な時代の武士を、柄谷氏は、憲法9条のもとでの自衛隊の存在に類比させる。
 柄谷氏は「憲法九条が根ざすのは、明治維新以後七七年、日本人が目指してきたことの総体に対する悔恨です。それは「德川の平和」を破って急激にたどった道程への悔恨です。したがって、德川の「国制」こそ、戦後憲法九条の先行形態であるといえます」と述べる。そしてその9条が含意するのは、カントの普遍的な理念であると続ける。
 カントはまずフランス革命以前の時期に著した『世界市民的見地における普遍史の理念』(1784年)で市民革命を成功させる必要性を述べ、その後に諸国家の連合により平和の達成を追求する『永遠平和のために』(1795年)を著した。この二つの著作の関連に着目した柄谷氏は、カントが人間の持つ反社会性への洞察を通して永遠平和への道を追求したところに、後期フロイトの攻撃欲動が超自我を生み出すという理論との類似性を見出す。だからカントの平和理念を含意する憲法9条が、大戦争と敗戦を経て日本人の超自我に強制的にかつ有効に植え付けられたのだと柄谷氏は言いたいのだろうと、私は理解する。
 なおこの後柄谷氏は、文化人類学者マルセル・モースの『贈与論』(1924年)を手がかりに、交換論、国家論へと進み、憲法9条が含意するカントの平和論への論考を深める。この交換論については、佐伯啓思氏の著書『経済学の犯罪』(2012年)第8章[「貨幣」という過剰なるもの]にもモースの贈与論を含む明解な解説があるので、私はあわせて読んで理解の手助けとしたが、煩雑になるのでここでは割愛する。

 

【『憲法の無意識』への疑問】
 柄谷行人氏は、「日本人は憲法九条によって護られてきた」、今後も「われわれは憲法九条によってこそ戦争から護られるのです」という言葉でこの書を締めくくる。
 本稿の最初の節で述べたように、改憲派であると護憲派であるとを問わず、憲法9条をかくも頑固に保持しようとする国民多数の精神状況を正面から直視し、その現象の奥にあるものについて考察しようとする論者はきわめて少ない。チラ見して賞賛したり揶揄したりする論者は沢山いるけれど(私も含めて)。だから何派であろうが、日本人の憲法観に正面から切り込もうとした『憲法の無意識』は貴重な書であると思う。
 著者の考えの政治的立場が私と同じである必要はさらさらない。ターゲットとする問題意識を共有できるだけで、熟読玩味する価値があるのだ。
 この書への敬意を惜しまないが、そのうえで『憲法と無意識』を読んで生じた疑問点を以下に書き述べたい。
 まず感じたことは、フロイト精神分析理論がはたして共同体が持つ歴史観にそのまま適用できるのだろうかという疑問である。日本人の多くが抱いている憲法9条尊重意識が、フロイトのいう無意識層の超自我にある罪悪感から生じているという柄谷氏の論考は仮説にすぎない。この書のどこを読んでも、実証の手がかりがない。しいていえば、世論調査について論述している箇所か。
 柄谷氏は「無意識」にアクセスすることの困難さを認めつつも、集団的な無意識を知る方法として世論調査が有効であるとする。そして「一九五〇年の時点で、保守派の吉田首相が「再軍備などを考えること自体が愚の骨頂」であると断定したのは、当時の「世論」を知っていたからだと思います」と書き、「彼(引用者注:マッカーサー)は吉田茂首相に、再軍備、したがって、憲法の改正を要請したが、すげなく断られた。もし憲法九条を否定したら、吉田内閣だけでなく、彼の政党も壊滅したでしょう。革命騒動になったかもしれません。彼はそれを世論調査から知っていたのです」と断じる。そして「要するに、私がいいたいのは、憲法九条が無意識の超自我であるということは、心理的な憶測ではなく、統計的に裏づけられるということです」(文字の強調は引用者)とまとめている。
 これは明らかに柄谷氏の事実誤認である。1949年後半から1951年にかけての朝日新聞毎日新聞,読売新聞三紙の世論調査の結果を時系列で並べてみると、再軍備賛成の回答が常に反対の意見を上回り、51年1月発表の毎日新聞の調査では、賛成が65.8%に達し、さらに同年9月の朝日新聞の調査では賛成が71%にまで上っている(反対は16%)。米軍駐留については、賛成が反対をやや上回りながら推移し、朝鮮戦争勃発後の51年1月発表の読売新聞の調査では賛成42.5%、反対41.2%と拮抗しているが、同年8月の読売新聞の調査では賛成が62.8%に増加している。詳しくは政治学者・福永文夫氏の著書『日本占領史 1945-1952』(2014年)の289~291頁を参照されたい。

 なお附言すれば、上記51年9月の朝日新聞調査での質問文は「<日本も講和条約ができて独立国になったのだから、自分の力で自分の国を守るために、軍隊を作らねばならぬ> という意見があります。あなたはこの意見に賛成されますか、反対されますか」というものである。これは明らかに誘導質問である。質問の設定やその他巧妙な誘導により世論調査の結果の数字が変わってくるのは今も昔も同じである。

 それは割引して考えねばならないが、全体の趨勢を見れば、1950年前後の日本人に、再軍備つまり憲法9条改正の気運が盛り上がっていたことは間違いがない。吉田茂首相がマッカーサーの9条改正の要求をはねつけたのは、柄谷氏がいうように改正反対の世論をおそれたからではなく、防衛は米軍に依存しつつ自らは軽武装で経済復興政策に専念したかったからである。
 つまり「憲法9条は日本人の無意識の超自我である」という柄谷氏の仮説は「統計的に裏づけ」られず、「心理的な憶測」にとどまっているのである。
 次に、精神分析学の知見を社会の分析に類比させることの適否について考えてみたい。
 昔、精神分析学者・岸田秀氏が著した『日本近代を精神分析する』(1975年)という論文が評判になったことがあった。ペリー来航以降日米戦争に至るまでの日本の近代史、そして戦後の日米安保条約下での日本の現状を、「外的自己」と「内的自己」の分裂という観点から俯瞰し、日本国民の精神分裂症状(注)を論じた文章である。
(注)「精神分裂症」は今では差別語として忌避され、「統合失調症」と言い換えられている。

   ここでは75年時点での当該論文で使われている語をそのまま引用する。


 この論文は歴史の諸事象をいちいち精神分析学の諸概念に対応して書き連ねているだけで、その類比の妥当性については何も検証していない。
 歴史や社会を分析するには、歴史学、政治学、経済学、社会学等々の知見をもってアプローチしなければならない。
 著者は、フロイト理論は社会心理学としての性質を持っているから、集団現象の説明にそれを用いるのは当然のことだと主張する。百歩譲ってその主張を受け止めるとしても、歴史や社会の諸事象をそれ自身の内在的要因から理解したうえでの社会心理学でなければならないだろう。
 一方的に精神分析学の視点からだけで日本の近代史を語ろうとしたこの論文は、通俗的読み物としては面白いのかもしれないが、トンデモ本の類いである。
 『日本近代を精神分析する』を収録した岸田氏の雑文集『ものぐさ精神分析』(1977年)はベストセラーとなり、その後文庫本化されロングセラーとなった(中公文庫)。近況や如何と思い、つい先日近隣の書店で偵察してみたら、当該文庫本は今もなお版を重ねている。初版本と同じ出版社(青土社)からは新たにハードカヴァ―の『絞り出し ものぐさ精神分析』(2014年)が出ており、目次をぱらぱらとめくってみたら、比較的近作の同工異曲らしき雑文が並んでいた。ともかく商業的には大成功の一連の著作である。
 閑話休題。『憲法の無意識』は、精神分析学の諸概念を歴史の諸事象にただぺたぺたと貼ってみただけのトンデモ本とは質的に次元の違いがあり、同列において論じるのも失礼千万ではあるが、フロイト超自我の概念を日本人の憲法観に援用する仮説が憶測に基づくものに留まるかぎりは、精神分析学と社会分析が並存しているにすぎないという危険を免れないだろう。
 岸田氏の主張するように、フロイトが集団心理への関心を足がかりとして精神分析学の理論を築いたのは事実であろうが、そして超自我の概念には人間の共同性が反映されていることもここまで述べてきたとおりであるが、なおかついえば、フロイトは個人の無意識の解明のためにそれらの概念を用いたのである。超自我は、共同性を帯びてはいるが、個人的無意識層の概念である。フロイトと対立したユングの唱える集合的無意識とは次元が異なっている。超自我の概念を共同体全体の無意識にもあるものとして考えたいのならば、共同幻想生成の過程を論じたうえでにしなければ短絡の誹りを免れないだろう。
 柄谷行人氏は哲学の世界から出発し、政治学、経済史学民俗学等々にも高い見識を有している知識人である。『憲法の無意識』で展開された論の今後の一層の深化を期待したい。
 この書で柄谷氏は、最終章「新自由主義と戦争」における交換論から国家論への論考の進展で本領を発揮しているのかもしれない。煩雑さを避けるためにここでは割愛すると先に書いたが、見栄を張るのはやめよう、私の力不足もあるのだ。読んで一応の理解はしたが、私見を交えて私の言葉で論述するには力が足りない。今後の課題としたい。関心がある方は、この書と前に記した『経済学の犯罪』第8章をあわせて読まれることをお勧めする。

 

【再び江藤淳の視点からのアプローチ】
 さらに『憲法の無意識』への疑問点を書き進める。
 なぜフロイトなのかという疑問である。日本人の憲法観を考えるのに、なぜフロイトの理論が役に立つのかという動機が説明されていない。
 フロイトユダヤ教キリスト教一神教世界で、精神科医として数多くの患者と接するなかで自らの理論を構築した。この理論を一神教の精神構造を持たない日本人に応用するにあたっては、日本人の自我のありようを踏まえて考えなければならない。
 日本の精神分析医の祖ともいうべき古沢平作(1897-1968年)はフロイトの理論と日本人の精神構造の違いを痛感し、この理論をそのまま日本人に適用することはできないと考えた。古沢は日本的応用法を考え抜き、ウイーン留学中にフロイトに論文『罪悪意識の二種 ――阿闍世コンプレックス』(1932年)を提出した。しかしフロイトはそれを理解できなかった。フロイトにとって日本人の精神構造は想像を絶するものだったのだ。
 古沢平作は臨床医として実践の人であり、上記論文のほかには訳書の後書き1編があるだけで著書がない。以下、精神分析学者・小此木啓吾の著書『日本人の阿闍世コンプレックス』(1978年)に即して、阿闍世(あじゃせ)コンプレックス論の概要を見てみよう。
 これは仏典の中にある阿闍世王の悲劇物語によるネーミングだが、ポイントを私の理解でまとめると次のようになる。

 

① 子の母への一体感
② 母もまたエゴイズムを持った女性であることを知り、一体感が裏切られたと感じるときの子の母への怨み
③ ②に対する母の許し
④ 許されることによって生じる子の罪悪感
⑤ ③④の許し合いによる一体感の回復

 

 この古沢理論は、日本人の心の成長に普遍の真実を捉えている。小此木啓吾によれば、「われわれ日本人が人となるために必ず通過しているはずの普遍的な母子体験の原型」なのである。③④⑤を通じて形成される一体感が、日本人のあらゆる場での人間関係の基礎となり、組織原理にもなる。例えばAがBに対して「悪いな」と感じる言動に及んだとする。Bが太っ腹でそれを許すとき、AはBに対して「心からすまない」と思う。このように許されることによって生まれる罪悪感と一体感の回復が日本人の人間関係の基本にある心理である。父子関係によって自我を確立することで自他を峻別する西洋文化とは異質の原理だといえよう。
 心理学者のエリック・エリクソンを引用したりするものだから一部に誤解があるようだが、江藤淳は『成熟と喪失』でけっして心理学や精神分析学の理論を援用しようなどとはしていない。江藤淳が若い頃エリクソンを耽読したのは事実である。『成熟と喪失』は冒頭で、『海辺の光景』の母の歌「をさなくて罪を知らず・・・」(前出)と、エリクソン『幼年時代』にある孤独なカウボーイの歌を対比することによって始まる。母に拒まれ自立を促されるアメリカ人の心の成長のありようを象徴するこのカウボーイは『成熟と喪失』に繰り返し登場するが、いわばこの著作のBGMのようなもので、それ以上の役割を持っているわけではない。『成熟と喪失』は心理学や精神分析学の知見を援用して日本の母性を読み解こうとした作品ではない。純然たる文学作品である。母性や父性は精神分析学専属の概念ではない。それらは文学独自のテーマでもあるのだ。柄谷行人氏は、江藤淳エリクソンを通じて前期フロイトの影響を受け、後期フロイトについて無知であるという趣旨で批判しているが、いささかお門違いであろう。
 江藤淳は古沢理論などにまったく関心がなかったろうと思われるが、にもかかわらず『成熟と喪失』には阿闍世コンプレックスの原型に符合するような描写が随所に見受けられる。一体感回復の失敗を含めてである。
 母子一体感に支配される日本人が、母を喪失しても、個人として他者に向かう成熟に挫折する心理構造が『成熟と喪失』の第一のテーマだと先に書いた。これを含んでより大きなテーマは、「父」の役割を担う「治者の文学」が戦後日本の精神状況で可能だろうかという問いである。
 『成熟と喪失』は安岡章太郎小島信夫の作品を批評した後、遠藤周作『沈黙』に描かれる「父の抹殺」を論じ、次いで吉行淳之介『星と月は天の穴』を俎上に上げ、父も母も記憶から追放した男の孤独の姿に言及する。最後に庄野潤三『夕べの雲』『静物』を取り上げ、「父であるかのように耐えつづける」主人公の姿から「治者の文学」に考えをめぐらす。
 『成熟と喪失』の最終章で江藤淳は次のように書いている。

 

 しかし、あるいは「父」に権威を賦与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかも知れない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているかも知れない。彼はいつも自分がひとりで立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯えつづけなければならないのかも知れない。

(『成熟と喪失』XXXV 文字の強調は引用者)

 

 この「実在は遠ざかり」という感覚は、江藤淳の諸著作の底に流れる基調低音である。先に述べたように、丸谷才一裏声で歌へ君が代』批判の文章(『自由と禁忌』)で江藤淳は丸谷の「ただ存在してゐる国家」という言葉に激怒したのだが、同時に「あるいは日本という国家は、「ただ存在している」どころか実は「存在」すらしていないのかも知れない」とも書いている。この諦念ともいうべき感覚は、平成に入ってからより肥大し、晩年に桶谷秀昭氏と対談したときには「国はあるように見えないこともないけれども、本当にいま日本はあるのかなあ、自分は本当に生きている人間なのかなあ、ひょっとすると幽霊ではないのかなあ」などと語っている(『南洲随想』1998年)。
 だが昭和の江藤淳にはまだ、この「遠ざかった実在」を奪い返そうとする志が強くあった。先に述べたアメリカの占領政策の研究もその志から発したものである。『成熟と喪失』は、「遠ざかった実在を虚空のなかに奪いかえし、「他者」と共有され得る言葉をさがしあて、要するに「幻」と化しつつある世界を言葉のなかにとらえ直すような試み」に挑む作家の登場を期待して、この長編評論の締めくくりとしている。
 「実在を奪い返す」とは、共同体に由来する価値を復権し国民のアイデンティティを達成することである。これについては、次節で内田樹氏の憲法論に触れるなかで述べる。

 

 1950年代初頭の世論調査の結果については先述した。再軍備賛成に傾いていた日本人の多数が一転して憲法9条に固執するようになったのは、吉田内閣の軽武装で経済復興を重視する政策が功を奏してからのことである。1950年代半ばから後半にかけては、経済的豊かさへの憧れがけっして夢物語ではないことに大衆が目覚め、60年代以降はそれが現実のものとなり日々豊かになっていく実感があった。その安楽な生活が壊されることがあってはならないと誰しもが思った。というよりも、壊され得る可能性への想像力すらなくしてしまい、その平和が永続するものと思っていささかの疑問も持たなかった。ソ連の脅威が客観的現実として目の前にあっても、アメリカによる庇護を空気のように当たり前のことと思い込んでいて(そのくせ基地反対などと言っていた)、安全保障政策が話題に上がると、「どこの国が攻めて来るというの? 妄想だよ」と嗤う人々がどこにでもいた。大衆の心に潜んでいた反米感情は60年安保での戦後最大の国民運動で発散し(国民的ヒーロー力道山の人気絶頂の時期でもあった)、すっきりしたのか、その後急速にしぼんでいった。
 東西冷戦終結後、世界の激動期にあって、憲法9条は日本人にとって温かな繭だった。繭の中に閉じこもっていれば、世界の現実を見ないですむのだ。繭の中は甘美な母性に包まれた世界である。
 心の深層にある阿闍世コンプレックスが日本人社会の構成原理をなし、それが世界の現実とのズレをもたらす。そのズレは政界、経済界等、様々な局面で現出してきた。たとえば許し合いによる一体感の回復という日本人の心の原型をそのままに表面化させた謝罪談話が、どれほど他国の餌食とされ、日本人の子々孫々にまでつながる名誉と国益を大きく損なってきたかなどの例を顧みてみればよい。
 既に「母」を失い、同居する「父」の弱さを知ってしまい、「成熟」に挫折して彷徨う日本人に、それでも昭和の江藤淳は「遠ざかった実在」奪還の希望を託した。『「ごっこ」の世界が終ったとき』(1970年)の旧稿を1980年刊の著書『1946年憲法 ――その拘束』にわざわざ再録した江藤淳の遺志を今一度思い返すことこそが、近未来を生き抜こうとする私たちに一筋の光明をもたらしてくれるのではないだろうか。

 

憲法論議の様々な位相】
 戦後憲法を尊重してきた日本人の精神を読み解こうとする試みとして、ここまで江藤淳柄谷行人氏それぞれの論考をみてきた。日本人多数の憲法観を江藤淳は批判的に、柄谷氏は肯定的に捉えていた。
 ほかに思想家・内田樹氏の評論文『憲法がこのままで何か問題でも?』(2006年.『9条どうでしょう』所収。以下『何か問題でも?』と略記する)も、日本人の憲法9条観をまた違った角度から論じている。当代きっての人気論客の一人による考察である。
 『何か問題でも?』は、憲法9条自衛隊の存在について、アメリカの視点と日本の視点を対比させる。内田氏によれば、占領者アメリカの視点から見ると、憲法9条自衛隊の並存はまったく矛盾しない。アメリカが日本を従属国化する政略からはどちらも必要となるからである。アメリカにとって日本というリスクを無害化するためには「平和憲法」が必要であり、かつアメリカの世界戦略のなかで日本を軍事的に従者として利用するためには自衛隊がなくてはならないのである。
 憲法9条自衛隊のこの無矛盾性から論を立てる日本の論者はいなかった。日本人の視点で見ると、憲法9条自衛隊の存在は矛盾している。この矛盾を突いて、改憲派自衛隊あるいは軍を憲法に明記するよう改正しなければならないと主張する。他方護憲派は、この矛盾を突いて、非武装を主張するか、あるいは必要最低限の自衛力を超える解釈改憲に反対する。アメリカにとっては無矛盾の憲法自衛隊の問題を、日本人は矛盾として捉えたため、日本人の憲法観が分裂してしまった。これが内田氏の現状認識である。
 内田氏によれば、この分裂はある種の病理現象である。内田氏は、岸田秀氏が『日本近代を精神分析する』(前出)に著した考想(「外的自己」と「内的自己」の分裂という観点から日本近代を診る)を高く評価する。そして、改憲派護憲派に分裂した状態を、憲法9条自衛隊を同時に包摂するような統合的人格の構築を拒否した結果の、日本人の病態であると診断する。
 内田氏は、日本が「人格分裂国家」として「狂気」へ進んだのは、「疾病利得」を得るという道を選んだからであると述べる。内田氏はあえてこの「疾病利得」に留まれという。改憲派が主張するように現行9条を廃止して交戦権を獲得すれば、高額な米製武器の大量購入と、兵員消耗の激しい戦場への派遣がアメリカから要求される現実に直面することになるだろう、と続ける。それともアメリカを含むすべての国と戦争をすることができる権利を留保するだけの覚悟があるのか、と。日米安保が機能せず、自国の防衛は自国でしかなしえないという事態に陥れば、日本という国は「世界でもっとも好戦的な国民国家・復讐国家」となり、国民にとっても世界にとっても大変不幸な国家になってしまうだろう。だから、「疾病利得」という病態を選んだ先人の賢明さを多とし、これからも病み続けよう、というのが『何か問題でも?』の主旨である。
 「疾病利得」という言葉を見て、私は小学生の頃のバナナの味を思い出す。今の若い人には信じられないだろうが、私が小学生の頃のバナナは大変高価な高級フルーツだった。中産階級の家庭では日常的に食べられるようなものではなく、特別な御馳走の日にだけ食卓に上る果物だった。ところが私が風邪をこじらせて寝込んだりすると、母親がそのバナナを買ってきてくれるのである。私は布団の中でぬくぬくと、今頃は級友のケンちゃん(仮名)やタアくん(仮名)やミヨちゃん(仮名・美少女)が教室の固い椅子に座って勉強しているのだろうなとその姿を思い浮かべ、我が身の僥倖にほくそ笑みながらバナナを咀嚼するのであった。幼い頃の私の「疾病利得」である。単純な私は2日後には元気に登校する。現実の世界に関わろうとするのだ。ミヨちゃん(仮名・美少女)にちょっかいを出してひっぱたかれたりするのである。
 しかるに内田医師は「病気のまま寝てなさい。バナナ貰えるよ。何か問題でも?」と言うのである。
 「疾病利得」にバナナの例はあまり適切でなかったかもしれない。精神病の「疾病利得」は深刻である。患者が何らかの原因で人格の統合に苦痛を感じるとき、「疾病利得」に逃げ込んで、「解離」の状態に快を見出すのだ。
 内田氏は憲法9条の護持を病気と認めている点で、憲法9条を理想としている護憲派の人々とは異なる次元に立っている。だが診断を下した内田医師は病み続けろと言う。日本に平和と繁栄をもたらしてきた疾病利得を手放すなと言う。憲法を改正して交戦権を獲得したりすると、かえってアメリカへの従属性を強めることにしかならないし、なまじ「普通の国」になったりすれば、「侵略国を侵略仕返し」ついには「アメリカと刺し違える(注)」ことを「全国民的な悲願とする国になる」と警告している。
(注)原文では「差し違える」となっているが、校正ミスだろう。


 私見では、それは思考の飛躍である。未来は様々な「あるかもしれない無数の事態」の可能性を秘めている。内田氏はそのうちの一つを採り出して断定しているにすぎない。
 憲法9条を改正して軍の設置を明文規定しても、それでただちに日本のアメリカへの従属性を強める事態に直結することになりはしない。そのときのアメリカの世界に対するスタンス、それ以上に日本の政権の外交戦略とそれを支える国民の主体的意思によって、困難であろうとも切り開ける道はあるだろう。憲法を改正して日本が自主独立の道を模索したとして、それが必ず「日本第二帝国」の惨劇をもたらすなどとどうして決めつけられよう。未来にはいろいろな分かれ道や、さらには自ら切り開くべき道が横たわっているのだ。どうして「従属国」あるいは「第二帝国」と結果を一足飛びに決めつけられるのだろうか。
 内田氏の考察は歴史のプロセスを無視ないしは軽視している。これは妙に岸田秀氏の論法と似通っている。内田氏は、前述のとおり岸田氏の著作を高く評価し、日本近代の「外的自己」と「内的自己」への分裂という岸田氏の考想を足がかりとして自論を展開している。岸田氏の著作は、前々節で述べたように、歴史の諸事象精神分析学の諸概念をぺたぺたと貼っただけの代物であり、歴史自身の内在的要因からの動きに関心を払っていない。例えば岸田氏はペリー来航のショックによる開国論(外的自己)と尊王攘夷論(内的自己)への国論の分裂について論じ、それが明治以降の日本国の人格分裂をもたらしたという。しかし歴史は静態ではなく動態であり、開国論と攘夷論の対立には戦争回避論と攘夷論の対立という意味が含まれており、やがて開国攘夷へと変貌していくのである。
 内田氏も歴史の未来への動きを考慮に入れないから、「改憲」即「従属性の強化」、「普通の国」即「第二帝国」という静態的捉え方しかできないのだ。「第二帝国」は未来に「あるかもしれない無数の事態」の内のひとつの事態かもしれないが、そこに至るまでの間には今の段階では分からない多々の変数があるのであり、日本の政権及び国民の賢明さあるいは愚かさによって進路が左右されるのである。
 『何か問題でも?』に「自衛隊憲法制定とほぼ同時に憲法と同じくGHQの強い指導のもとに発足した。つまり、この二つの制度は本質的に「双子」なのである」(文字の強調は引用者)という文がある。こういう何気ない一言にも内田氏の考え方の特徴が表れている。もちろん自衛隊の創設と憲法の制定が「ほぼ同時」でないことぐらい内田氏は百も承知であろう。にもかかわらず氏の関心が憲法自衛隊の無矛盾性に向かっているから、「戦力の不保持を規定する憲法マッカーサーによる強制→憲法制定→アメリカの極東戦略の変更→憲法改正及び自衛隊創設についてのマッカーサーの要求」という一連の動きは捨象されてしまうのである。内田氏の論法と岸田氏のそれは「本質的に双子」なのである。
 江藤淳がまだ未来に希望をつないでいた頃の評論『「ごっこ」の世界が終ったとき』(1970年)のなかで、著者が万感をこめて言いたかったことが次の一節に表現されている。

 

 それはいうまでもなく現実の回復であり、われわれの自己同一化(アイデンティフィケーション)の達成である。そのときわれわれは、自分たちの運命をわが手に握りしめ、滅びるのも栄えるのも、これからはすべて自分の意志で引き受けるのだとつぶやいてみせる。それは生き甲斐のある世界であり、公的な仮構を僭称していたわたくしごとの数々が崩れ落ちて、真に共同体に由来する価値が復権し、それに対する反逆もまた可能であるような世界である。われわれはそのときはじめてわれにかえる。そして回復された自分と現実とを見つめる。今やはじめて真の経験が可能になったのである。

 

 憲法の改正が実現したからといって、安全な未来が約束されるわけではない。だが、「自分たちの運命をわが手に握りしめ、滅びるのも栄えるのも、これからはすべて自分の意志で引き受けるのだ」という精神を日本人が持たないかぎり、世界がばらばらになってきているこれからの時代に、日本はほぼ確実に「滅びる」だろう。アメリカの後退は従来型日本にとってはリスクの著しい増大となろうが、「世界のばらばら化」は、真に覚悟があるならば、日本の好機にもなる。自立の意思が国民多数にあるならばの話だ。ますます「9条の繭」に閉じこもろうとするのならば、そんな繭は外から簡単に壊されてしまうだろう。

 

 内田樹氏の憲法論は、上に見たように、アメリカの強制性を前提としている。文芸評論家・加藤典洋氏の憲法論もまた、憲法の制定権力がアメリカにあったと認めることから出発する。加藤氏は9条の平和理念を高く評価する。その著『敗戦後論』(1997年.雑誌初出は1995年)は、9条を有する現憲法を真に国民のものにするためにあらためて国民投票によって選び直そうという提案であった。そして近著『戦後入門』(2015年)では、アメリカへの従属から脱するために、保有する戦力は国連指揮下に置き、国の交戦権国連に委譲し、国内の外国軍基地を認めないという趣旨の9条改正案(左折の改正案)を提起している。これについては、憲法を支えてきた日本人の精神状況について考える本稿のテーマとは別のところに位置する論であるから、ここでは立ち入らない。現行憲法の制定権力がアメリカにあったと認めたうえでの論であることだけを確認しておきたい。
 柄谷行人氏の『憲法の無意識』(前出)もまた憲法についてアメリカの強制性を認めていた。外からの強制性が超自我形成に有効な役割をはたしたと論じていた。ただし柄谷氏の場合は、戦争放棄案について幣原喜重郎首相の自主的発案説を肯定し、アメリカによる押しつけ説を排している。1条を重視するマッカーサーの強制性を肯んじつつ日本からの積極的受容をも認めるのが柄谷氏の立場である。
 内田氏、加藤氏、柄谷氏いずれも、憲法制定権力者がアメリカであったことを認めたうえでの9条擁護論(近年の加藤氏の場合は左への改憲論)を展開した。
 これは護憲派のなかでは異色の論だろう。多くの護憲派は、この憲法は日本人の憲法研究会が作成した憲法草案要綱をGHQが参考にして制定したのだから押しつけではない、そして国会で日本が正当な手続きを踏んで制定した自主的な憲法なのだと、その正当性を主張している。日本の自主性を示す傍証として、幣原喜重郎首相自らが戦争放棄の規定を憲法に盛り込むことをマッカーサーに進言したのだという「事実」が主張される。あるいは、国民が長年護持してきたのだから憲法制定過程を今さら蒸し返すのは無意味だと主張する人々もいる。
 「押しつけ否定論」は個々の論点ばかりをルーペで拡大して見ているだけで、アメリカが主導権をもって主権のない占領下日本に憲法制定を要求したという大枠が忘れられている。幣原発案説の有力な拠り所は幣原の著書『外交五十年』(1951年)なのだろうが、これはGHQ検閲下での出版である。
 もちろん改憲派の学者たちは逐一反論してきたが、護憲派には論争を踏まえて自説をより高みに発展させようとする姿勢を持たない人たちが多く、十年一日、議論が同じレヴェルでリピートされている。
 例えば次に引用するある中堅作家のエッセイのなかでの発言は、半世紀前のものではない。今年になっても、まだこんなレヴェルで得々と発言しているのだ。

 

 僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法ではない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。(朝日新聞デジタル版2016年1月11日)

 

 敗戦後から今に至る日本にとって日米関係とは何だったのかという問題意識を踏まえて憲法を考える姿勢が、おそろしいほどに、というよりも無邪気なほどに欠けている。良質の護憲論者はその問題意識を持っている。
 意見の異なる相手の論によって己の論を鍛えて高めていこうとする姿勢を持たない怠惰な思考は、一部の知識人のみに見られる現象ではない。数量的には圧倒的に多数の大衆レヴェルでの護憲論者や改憲論者にこそ、自分と異なる意見を謙虚に理解しようとすることなく、仲間内での意見交換に終始している人たちが少なくない。いざ異なる意見の持ち主に面すれば、十年一日、定型句の応酬になる。
 「戦争は悪だ。だから9条は大切だ」という言葉のみを繰り返す人たちは、改憲論者を目にすると、悪に決まっている戦争に反対しない人がいるということが想像を絶する事態に思え、こいつはよほど邪悪な人間なのだろうと思い込む。この人たちにとって「戦争反対」のスローガンは、自分がいい人であることを自他ともに確認させておきたいツールになっているのである。
 あるいは若い世代には、近未来での戦争に巻き込まれる不安から、「9条を守れ」と叫ぶ人たちがいる。その気持ちはもっともである。だからこそ、戦争をもたらすもの、そしてそれを回避する策について考えたい知的渇望を持っている若者はけっして安直なスローガンを叫んだりしないはずだ。
 様々なフェイズでの護憲論や改憲論がある。護憲論者も改憲論者も、論敵との議論を通じて、それぞれに新たな地平を開いてもらいたいものだ。仲間内でのエールの交換は、居酒屋ですませてほしい。
 改憲を目指して活動している人たちには、国民の間で改憲の気運などけっして高まっていないことを冷静に認識してもらいたい。何としても9条は守らなければならないと心を決めている国民多数の壁、改憲を阻む最強の壁を正視して、その時代精神への問題意識を自分の知的営為の中に取り込んでほしい。
(了)