月下独酌

書き手:吉田勇蔵  diary「日居月諸」もご高読賜りたく→http://y-tamarisk.hatenadiary.com/  twitter@y_tamarisk

平和安全法制をめぐる大衆世論の危うさ(2)

長くなったので2分割する

***** 目 次 *****
(1)
【安保関連法案反対の“空気”】
【“空気”増幅装置としてのマスコミ】
【“空気”に便乗する女性誌】
(2)
【冷戦終結後の日本の安全保障政策の概観】
【三つの選択肢】
【日米同盟のアポリア
憲法上の問題について】
【過去を忘れた人間の無邪気さ】

*******************************

承前

【冷戦終結後の日本の安全保障政策の概観】
 日本は第二次大戦後の世界で平和を保ってきた。それは、各国が自国の国益追求を第一にしているなかで、ある一定の時代での合従連衡のあり方が日本の平和を可能にしてきたからである。
 東西冷戦の時期には、日本はアメリカのアジア・太平洋戦略のなかでの重要基地の役割を果たし、反共の防波堤である限りでアメリカは日本を核の傘の庇護下においてきた。
 冷戦終結後のアメリカは、第三世界における大量破壊兵器保有の拡大を阻止するための「地域的防衛戦略」を前面に打ち出した。1991年の湾岸戦争はその皮切りである。
 ソ連の崩壊を見たブッシュ(パパ)政権はアメリカによる世界の一極支配を目ざしていた。アメリカ以外の国が地域覇権を樹立することは阻止せねばならなかった。この文脈で、日本が東アジアで自立した国家となるような事態は許せない悪夢であった(アメリカ人の潜在意識には原爆投下への復讐を恐れる心理が常にある)。冷戦期のソ連封じ込め政策に変わって、日本封じ込め政策が採られようとしていた。1992年に作成されたペンタゴンの機密文書(チェイニー国防長官承認済み)にはこの日本封じ込め政策が明記されていた。(この機密文書は3週間後にニューヨークタイムズ紙とワシントンポスト紙にリークされた)
 ブッシュからクリントンへと政権が移ってもこの「地域的防衛戦略」は受け継がれたが、クリントン政権は当初アジア政策の方針を中国との融和、協力に舵をきろうとした。政権内には在日米軍撤退の声すらあった。
 しかし日本経済はバブルの大崩壊を経て長期デフレに陥り、逆にアメリカは宿痾であった双子の赤字を改善し、金融資本主義のあくなき利益追求によって好況を迎えていた。日本脅威論は後退し、さらに北朝鮮の核開発や台湾海峡の軍事的危機の顕在化を目にしたクリントン政権は、再び在日米軍の重要性を意識し、ブッシュ以来の「地域的防衛戦略」を推進していくことになるのである。そして東アジアでの前方展開体制は冷戦期よりも活発化し、在日米軍はアジア・太平洋地域での戦略上基幹的に重要な位置を占めることになった。
 1996年の橋本・クリントン会談で公表された日米安保共同宣言は、日米同盟の再確認というよりも新たな同盟関係構築に向けての決意表明というべきだろう。97年にはガイドライン(日米防衛協力のための指針)が19年ぶりに改定された。これに先立って95年に村山内閣で策定された防衛計画の大綱では、日米協力と並んで、多国間安保対話や国連PKOへの貢献を軸とする「多角的安全保障協力」の考え方が打ち出された。この大綱にはアメリカ政権の意見も強く反映されている。97年改定のガイドラインでは周辺事態に日米共同して対処する方針が明確化された。朝鮮半島有事を視野に入れた結果である。
 2001年9.11テロ以降のブッシュ政権は、欧州同盟国からの批判を顧みない単独行動主義を採ったが、イラク占領が苦境に陥ったことで、次第に多国間で協力する方針に変わった。日本は当初からアメリカを支持する姿勢を表明し、01年テロ特措法、03年イラク特措法を制定し、イラク及びインド洋へ自衛隊を派遣した。これは日米安保条約とは関係のない行動であり、国際的平和支援活動の分野での対米協力だった。ここにおいて「日米同盟のグローバル化」が謳われることとなったのである。
 04年には小泉首相の私的諮問機関から提出された報告書(荒木レポート)を踏まえて、新たな防衛大綱が策定された。04年大綱は、「日本の防衛」と「国際的安全保障環境の改善」を二本柱とする。後者は95年大綱(前述)にある「多角的安全保障協力」の発展概念である。04年大綱では、日本の安全保障は国際的安全保障環境と不可分の関係にあることが明瞭に認識されている。また04年大綱では、島嶼部への攻撃やゲリラ・特殊部隊・武装工作船等の侵入への対処能力の増強、 ミサイル防衛システムの構築、 特殊作戦能力や大量破壊兵器防護 能力の向上等も提唱されている。そして中国の軍事力近代化や海洋進出に注目する必要性が初めて明記された。さらに上記荒木レポートでは、自衛隊海外派遣のための一般恒久法の整備、 平和支援活動における治安維持任務 への自衛隊の参加と武器使用要件の緩和の検討も提唱され、05年には自衛隊の海外派遣を通常任務とする改正自衛隊法が成立した。
 09年に成立した鳩山内閣次いで菅内閣のもとで、新たな防衛計画大綱策定への取組みは迷走した。10年12月に閣議決定された新大綱では、検討されていた武器輸出三原則の見直しや集団的自衛権の解釈変更の必要性などの記述は見送られた。なお武器輸出三原則については、野田内閣の藤村官房長官談話で緩和された(11年12月)。
 12年12月に発足した安倍内閣は、翌月ただちに10年大綱の凍結を決定した。そして13年に閣議決定した新大綱(現行)では、アメリカが財政上の理由から中長期的には東アジアから後退していかざるを得なくなるであろうことを予測し、諸外国との連携・協調をより一層推進する方針を打ち出した。欧州連合(EU)、北大西洋条約機構NATO)、及び欧州各国との協調、アジア太平洋諸国との安全保障協力などを一層強化することが明示されている。いわゆる積極的平和主義である。
 2015年に18年ぶりに改定された新ガイドライン、そして現在国会審議中の平和安全法制はこのような安全保障政策の推移の流れのなかで理解すべきものである。審議中の法案については、新聞や雑誌をよく読めば分かることだから、ここでは長くなることを避けるためもあり、記述しない。今の法案を、時の流れのなかで立体的に捉える必要があろうと思い、冷戦終結後の安全保障政策の推移を概観したのである。

 

【三つの選択肢】
 日本の外交及び安全保障政策を大きく考えると、選択肢は次の三つしかない(③は安保の名に値しないけれど)。
① 同盟国との連携のもとで日本の安全保障政策を求めていく
重武装中立(核武装を含む)
③ 中国の属国となり過酷な支配を受ける

 いったい日本の大衆はどの選択肢を選びたいのだろうか。そんなことすら考えずに、ただただ「戦争はいやだ」と言っているだけではないのか。そして結果的に③を選ぼうとしているのだ。「そんなつもりじゃない」と言うのだろうが、自分が何をしているのかすら分からなくなっているのだ。
 日本では今までアメリカの属国としてある種の快適さを享受してきた人々も多かったのだが、中国属国の運命を甘く考えないことだ。言論の不自由を含む人権の抑圧は言うに及ばず、日本民族の離散や混血化の進行で、遠からず民族は滅亡するかもしれない。清帝国を樹立し栄華を極めた満洲民族の末路を見るがいい。
 なお②の場合は、重武装による莫大な財政負担に耐えられるかという問題はさて措くとしても、重武装実現の前に中韓連合軍(あるいは米軍)の予防攻撃を受け、軍施設が破壊されるだろう。予防攻撃国際法違反だから、建前では正当な先制攻撃であると主張できる策略をめぐらすのだろうが。
 それでもなおかつ重武装中立の道を選びぬく覚悟が日本国民にあるか。仮に覚悟があったとしても、現実の東アジアの地政学上の状況から見て、単独防衛は不可能と言ってもいいだろう。②は夢想でしかない。
 上記三つの選択肢の設定を認めない人もいそうだ。第四の選択肢があると。彼または彼女の本音は非武装中立なのだが、その言葉は口にしない。
 某文学者は「外交が大切なのです」と言うが、その具体論はまったくなく、政治家の腕の見せ所だとか言うだけである。もちろん外交はきわめて大切である。だが軍事の裏付けを持たない外交など、けして自立した国家の外交にはなり得ないという基本常識が日本の国民の間では共有されていないのである。
 またある人は言うだろう。「選択肢は三つじゃありません、もうひとつあります。アジアの人たちとの交流を深め市民どうしの信頼関係を築くのです。それが最大の安全保障なのですよ」と。
 もちろん民間交流が活発になるのはよいことである。人々の相互理解の深化が、民族間の憎悪を和らげるのも事実だ。だが国家間の相克は残念ながらそれとは次元が違うところにあるのだ。例えば一時の韓流ブームで日本人の親韓感情が高まり、民間交流も増えたが、国家間の対立はそれとは関係なく深まっている。
 市民どうしの信頼に基づく安全保障という考え方には、「国家は悪・個人は善・市民は善」という根強い思い込みがある。
だが私たちはけして国家なき世界では生きられないのだ。残虐な暴力が日常茶飯事であった中世ヨーロッパの中から近代国民国家は生まれてきた。国民国家は国民の安全を守るために存在し、同時に国民は国家を尊重し守らなければならない。それが現代に生きる者の宿命なのである。国家は悪だというのなら、「万人の万人に対する闘争」(ホッブズリヴァイアサン』)の自然状態に戻るしかないではないか。いや、21世紀の今日でも、国家の統治が失われた地域では、残忍な暴力が日常的に繰り返されている悲惨な現実があるのだ。
嫌だと言っても、私たちは自分の所属する国家の保護を離れては生きられないのである。千年先のことは知らないけれど。
 「個人は善・市民は善」と、空想の世界で遊ぶことは自由自在にできる。だが目を開けば、諸国家がエゴを剥き出しにして角突き合わせているのが21世紀の現実である。日本がいくら「諸国民の公正と信義に信頼」(憲法前文)すると言っても、他国から武力の威嚇を受けて屈服させられれば、それでおしまいである。
 日本人の多くは自衛隊の存在を容認している。様々な縛りをつけて、自衛隊員の命を必要以上に危険に晒させていながらのことであるが。自衛隊に敬意を払わず、自衛隊に依存している。勝手なものである。万が一のときには専守防衛で大丈夫だと思っている。あるかもしれない事態を想定すれば、専守防衛では守れないことが明らかなのに。
 また、日米安保条約についても容認する人が多いのだろう。いついつまでも、アメリカは日本を保護してくれると信じているから。
 大衆世論の動向を見聞きしていると結果的に③を選んでいることになるのだが、彼らの主観では①なのだろう。繁華街の通行人100人に尋ねてみればいい。85人ぐらいが①と答えるはずだ。②が数人、「この選択肢はおかしい、第四の道がある」と答える人は10人前後か。
 そうとは知らず結果的に③を選びながら心理的に①に依存している堕落した精神は、いつから芽生えどのように肥大化してきたのだろうか。

 

【日米同盟のアポリア
 平和安全法制に基本的に賛成意見を持つ者に対して、「おまえはアメリカの犬か」というような嘲笑や罵倒がよく投げつけられる。ではあなたは前記①~③のどれを選ぶのかと聞き返したくなる。
 サンフランシスコ講和条約日米安保条約の調印が同日の午前と午後であったように、日本の名目上の独立は事実上のアメリカの属国としてのスタートだった。戦力の不保持と交戦権の否認を定めた憲法9条2項は国家の主権を制限しているのであり、その条項を独立に伴って廃止するのではなく、日本の側から積極的に押し戴いたのがそもそものボタンの掛け違いの始まりだった。今安保関連法案を廃案にしたからといって、独立を回復できるものではない。
 国の防衛をアメリカに丸投げすることで、日本は経済の復興に専念することができた。この日本の姿を憂いて、自立した国家を志した政治家が岸信介だった。講和条約締結時には憲法改正再軍備に肯定的な意見を持っていた国民多数も、岸が政権の座についた頃には、まだ貧しくとも経済的豊かさの到来を少しずつ見始めていた。1960年の安保国会で衆議院での強圧的な採決を見た国民は、それまでくすぶっていた反岸感情を一挙に爆発させた。そして岸信介は、改定日米安保条約参議院での議決がないまま自然成立した直後に内閣総辞職をし、その志は頓挫する。
 あれほど声を枯らして「アンポッ、ハンタイッ!」を叫び続けた大衆は、安保反対の先頭に立った社会党を支持するわけではなく、岸の後を受けた池田内閣のキャッチフレーズ「所得倍増」に惹かれ、それを流行語とし、同年11月の総選挙で自民党は野党に大差をつけ圧勝する。
 物質的欲望さえ満たされればよいのである。以後の政権は憲法改正論議をタブーとして今日に至っている。
 東西冷戦の世界で、日本はアメリカに軍事基地を提供することで、反共の防波堤としてアメリカの核の傘の庇護下に置かれた。改定安保条約では、アメリカの日本防衛義務も明文規定された。
 日本にとってソ連の脅威は客観的現実であったが、高度経済成長に酔いしれる国民の多くは無関心だった。アメリカの庇護下にあったから能天気でいられたのだ。
 中国は、中華人民共和国建国以来、金門砲戦、中印国境戦争、中ソ国境戦争、中越戦争等々いくつもの戦争をしかけてきた。戦争ではなく、チベットへの一方的な武力侵攻もある。その中国も日本にだけは手を出さなかった。日本がアメリカの庇護下にあったからである。(自衛隊の戦闘力も抑止力になっただろうが、自衛隊は兵器のハードウエアが優れていて且つ隊員の任務遂行能力が高くても、憲法上の制約で張子の虎的存在であることは今では中国も充分承知しているだろう)
(注)朝鮮戦争で中国はアメリカと戦火を交えたが、朝鮮半島で共産政権を失うことは地政学上中国の死活的問題となる可能性があったためである。

 

 冷戦期には、「日本に攻めてくる国なんてあるわけないだろ。どこが攻めてくるというの? 妄想だよ」と言って、真面目な議論をせせら笑う人をよく見かけたものだ。いや、2015年の今日でさえ、同じ言葉を吐き続けている有名TVジャーナリストがいる。「アベさんはヒトラーだ」などと蒙昧丸出しの科白を口走りながら。TV映りの見てくれだけはいいので、視聴者の間では結構人気が高い人なのだろう。
 日本の平和はアメリカの核の傘によって守られてきたのだ。憲法9条のおかげで日本は平和だった、と多くの人が異口同音に言う。これからも9条を守っていれば平和なのだ、と。あまりにも稚拙で、まともな大人が言うことではない。だが、多くの大人が異口同音に言っている。
 憲法9条2項は、日本国が主権の重要要素を放棄して、アメリカの属国となることによって担保されてきたのだ。9条を守れと叫ぶ人が集団的自衛権の限定的行使にすら反対しているのは、支離滅裂なのである。9条を守れと叫ぶ人は、アメリカの属国であり続けろと言っているのに等しいのだが、自分の言っていることの意味すら理解できないのだろう。そしてアメリカにも都合というものがあるのであり、別に末永く日本を保護する責務もないのだ。
 東西冷戦の時代は、日本にとっては能天気に暖衣飽食に明け暮れていた時代だった。だが冷戦はとっくに終わったのだ! 多くの日本人の感覚はいまだに冷戦期のアメリカの庇護の心地よさに眠ったままだ。
 1990年代前半の一時期、アメリカは日本を潜在的敵性国と断じて日本封じ込め政策をとろうとしたのだ。日米関係はその迷走期を経て、96年の日米安保共同宣言の前後から新たな同盟関係に入った。
 その推移は前述の【冷戦終結後の日本の安全保障政策の概観】の項に記した。90年代半ば以降の日本の安全保障政策の肝は、日米安保条約の枠を超え、日本の安全保障を国際的な安全保障環境の改善と不可分の関係にあるものとして捉えることにある。国際的平和支援活動の一環としての対米協力、民主主義諸国家との連携が21世紀の日本の安全保障政策のテーマである。
 もっか審議中の平和安全法制整備法案はこの流れのなかで理解されねばならない。法案への反対の意見が多いが、その論は、今世紀の国際環境のなかでの日本の安全保障政策はいかにあるべきかという視点から発せられないかぎり、ほとんど無意味である。平和支援活動は武力の支えなしに実行できるものではない。その自衛隊活動のための法整備、他国との連携に必要な法整備(いわゆる“駆けつけ警護”など)なくしてどうして平和支援活動が実施できるのか。そして国際貢献の役割から逃避して日本はどうして21世紀の世界で存立していけるのか。
 04年、イラク・バスラの石油積出港で原油を満載した日本郵船所属(船籍はパナマ)の超大型タンカー「高鈴」がアルカイダから自爆テロの襲撃を受けた。船体に損傷を受けたものの、「高鈴」は間一髪轟沈の難を免れた。多国籍軍の応戦があったからである。この戦いで米海軍兵2人と沿岸警備兵1人計3人が殉職した。この事件を日本郵船も日本政府も公表しなかった。一般に知られたのは、3年後の産経新聞のスクープ記事によってである。明るみに出た後も、日本政府(福田康夫内閣)は犠牲者に哀悼の意を表明するでもなく、日本国民のほとんどは無関心だった。日本人の平和主義と豊かな生活が、他国が行使してくれる武力によって守られていることを象徴する事件だった。
 9条は世界に誇る宝だと歌ってさえいれば、日本人の平和で豊かな生活は、これからも他国の兵士が血を流して守ってくれるというのか。
 また平和支援活動とは別に、重要影響事態や存立危機事態の場合には、我が国の防衛を同盟国との協力のもとで図っていく以上、集団的自衛権の行使は当然付随するものだ。世界の初歩的な常識である。だが日本は憲法の制約上きわめて不十分な限定的行使という形でしか法案に表わせていない。それすらいけないというのであれば、私たちはもう夢想の世界に引きこもって暮らすしかないではないか。

 さて問題は、日米同盟といっても対等ではないという点にある。もちろん超大国アメリカと対等の軍事力を持つ国は世界にない。だが日米同盟の問題点は、そのような意味での非対等性ということではなく、名目上の独立後63年余りにわたって、日本がアメリカの従属国であったという事実にある。主権制限条項(9条2項)がある憲法を自ら進んで押し戴き、自国の防衛をアメリカに丸投げにしてきた国が“同盟国”日本だ。そのようなアメリカの同盟国は他にない。
 日本はアメリカに対して自立した外交力を持ってこなかった。例えばイラク戦争国連決議がないままにアメリカ、イギリスなどの有志連合が始めたとき、アメリカとの軍事同盟であるNATOの加盟国のうちドイツやフランスはこれに反対した。日本はいち早くアメリカ支持の立場を表明した。反対した国はそれぞれの利害得失があったからなのであるが、主権国家だからこそ自国の国益のために反対する自負があった。日本はただアメリカに追随するしかなかった。国益をいうならば、日本はイラク政府に対する巨額の債権を放棄する要請に応じざるを得ず、国益を損なった。このときの日本には、かつての湾岸戦争に不参加であったことでの諸国からの批判 ―というより軽蔑から受けたトラウマがあった。さらに北朝鮮による拉致問題が表面化したことで、アメリカの協力が欲しかった事情もあっただろう。いずれにせよ日本は、イラク戦争の是非を主権国家として主体的に考えることもないまま、アメリカに追随するしかなかったのである。
 だから、日米同盟グローバル化の流れのなかで、今後も日本は不本意な戦争に協力せざるを得なくなる恐れはなきにしもあらずなのである。最悪の場合は、東アジアでの戦争の先兵として、自衛隊はアメリカに利用されるだけの結果になる危険もあり得るだろう。
 平和安全法制について、「日本はアメリカの戦争に巻き込まれる」という批判が多い。ならば批判者は、上に述べたような半世紀以上にわたる日米関係の宿痾を踏まえて考察しなければ、単なる平板な感想にしかならないだろう。この宿痾をどのようにして克服すべきとお考えなのだろうか。
 法案反対者は戦争のリスクを声高に言いつのる。だが21世紀前半の世界自体が戦争リスクの高い時代なのだ。日本がどのような途を選んでも、リスクゼロなどということはあり得ない。夢想の世界でなら別だが。そのリスクを相対的に小さくする方途を模索するのが政治の役割である。大衆はそれをヒステリックに妨害してはいけない。ものを言うのなら、同時に考えを深めるべく努力するのが国民の責務だろう。“空気”に付和雷同してはいけない。
 平和安全法制整備法案は、この20年来の新たな日米同盟関係の帰結、というよりも今後への通過点として出てきたものである。現実問題として日本はこの法制下で進んでいくしかないと私は考える。他の選択肢はない。そしてそのなかで真の主権回復の途を希求していくことによってでしか、日米同盟の難問は克服できないだろう。きわめてナロウパスであるが。
 この日米同盟の難問について、江藤淳はおもしろい譬え話を紹介している。前述した橋本・クリントン会談の結果を受けて書かれた政治評論文の中にある。下手に要約するよりも、やや長くなるが原文を引用しよう。

 

 話はやや歴史を遡る。江戸時代の長州藩には、慣例化された、一風変わった問答があったという。その問答は、この藩が関ヶ原の戦いで西軍にくみし敗れて以来明治維新までの二百六十八年間、毎年正月の参賀の式で続けられた。家臣たちを集めたこの式で、上席家老が藩主に「殿、今年は徳川をお討ちになりまするか」と尋ねたというのである。
 すると藩主が、「いや今年はやめておこう」と答える。上席家老は「ははあっ」と平伏し、今度は下々の家臣たちに「殿は今年はお討ちになるご所存にあらず」と告げる。そしてそれを二百六十八年間続けたのち、長州藩は本当に徳川を討つことになる。
 こんな話を持ち出したのは、いうまでもない。この長州藩と同じ気概を、現在の日本の政治家も持つべきだと思うからだ。もちろん、今の日本に、アメリカを討つ必要などない。しかし、「今年は主権の制限を甘受するのをおやめになりますか」と、聞いたときに、「いや、今年はまだ情勢が熟しておらん」「ははあっ」と。主権制限の状態は何年続くかわからないけれど、大事なことはこの「今年はおやめになりますか」という声を、首相をはじめ日本の与野党の政治指導者たちが、心中に聞き続けられるかどうかだと思うのだ。
江藤淳『日米同盟 ― 新しい意味付け』(初出SAPIO.96年6月26日号.文藝春秋『保守とは何か』所収)

 

 ナロウパスである。しかも今の日本に二百数十年もの時間的余裕はない。もはや喫緊の課題になっているといっても過言ではない。
 さらに困ったことは、この気概が多くの政治指導者、言論人、大衆の間で失われてしまっているのではないかという寒々しい状況である。なるほど「アメリカに追随するな」「アメリカの戦争に巻き込まれるな」という声はたくさんある。そして同じ口で「憲法9条を守れ」と言うのだ。9条2項があるからアメリカへの追随を余儀なくされているという明白な事実が見えていないのだ。

 

憲法上の問題について】
 平和安全法制について、憲法学者違憲論が多い。
 朝日新聞が6月下旬に実施したアンケートの結果(一部)を見てみよう。憲法学者ら209人に問いかけ、122人から回答を得た結果である。
 「集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案は、憲法違反にあたるか、あたらないか」の問いには、「憲法違反にあたる」が104人(85%)、「憲法違反の可能性がある」が15人(12%)、合わせて97%である。
 「現在の自衛隊の存在は憲法違反にあたるか」の問いには、「憲法違反にあたる」が50人(41%)、「憲法違反の可能性がある」が27人(22%)、合わせて63%である。
 そして「憲法9条の改正について」の問いには、「改正する必要がある」が6人(5%)、「改正する必要がない」が99人(81%)、「無回答など」が17人(14%)という回答となっている。
 憲法学者は法学内在の論理に従って憲法についての思考を重ねているのである。その論理に従えば、安保関連法案を違憲と捉えるのは必然的な結論になるのであろう。その思考姿勢は学者としての倫理から来るものであり、それが学者の矜持でもある。だが私たちはそれをただちに政治的意見に直結して理解してはいけない。「憲法学者のほとんどが法案は違憲だと言っているから、廃案だ!」と野党の政治家やジャーナリストたちが斉唱しているのだが、短絡というべきだろう。憲法学者は、憲法学者の多数決で政治課題を決することを望んではいない。政治には政治の役割がある。回答者の一人(鈴木敦氏)は「特に集団的自衛権については、憲法論ばかりに過重な負担を加えるのではなく、国際法上認められた発動要件や安全保障上の意義(または問題点)についても、専門的な議論が尽くされるべきだろう」と附記している。大切な指摘である。
 単に憲法学上の回答をするだけではなく、法案の撤回を求めて政治運動に関わる学者たちもいる。違憲の法案を政治的見地から成立させようというのは、立憲主義の原則に反するというわけだ。それが日本の安全保障上必要だというのならまず憲法改正を実現してからのことだ、と彼らは主張する。
 上のアンケート結果を振り返ってみよう。彼らの多くは自衛隊の存在を違憲と捉え、且つ憲法改正に反対している。ならば三段論法によって、自衛隊の廃止を主張するのが当然の論理的帰結である。だが彼らからそのような声は聞こえてこない。ここで彼らは、政治の力によってなされた憲法の解釈変更をなし崩し的に認めてしまっているのである。立憲主義の精神はどうしたのだ。
 堂々と憲法を改正するのではなく、解釈改憲を重ねることで、今日の自衛隊を創り出し、数次にわたる防衛計画大綱とそれに基づく様々な法整備も実施してきたのだ。核兵器の保有も憲法9条2項で許容される範囲内のことだとするのが政府の公式見解である(1978年参議院予算委員会での内閣法制局長官答弁)。
 なぜ堂々と憲法改正ができなかったのか。吉田茂のボタンの掛け違い(前述)から始まったことだが、岸信介の志を踏みにじったのは「戦後最大の国民運動」だった(前述)。予測し得る将来、第四の権力たるマスコミの悪意とそれに誘導される大衆の言語状況を鑑みれば、9条2項に係る憲法改正は実現困難である。
 ならば座して日本の死を待つのが政治家のとるべき態度なのだろうか。国家存亡の危機を前にして、憲法の解釈上ぎりぎり許容されると考えた法案を提出せざるを得ない為政者の苦悩を考えてみよ、心ある国民ならば。
 だいたい「安全保障政策が必要なら憲法改正を先にしろ」と言っている憲法学者のほとんどは憲法改正に反対しているのである。論理的帰結からいって、彼らはこの20年来の日米同盟と日本の安全保障政策に反対しているのである。ならば堂々とそれに反対すればいいのである。それは専門外だと言うのなら、専門外のことに学者が共同声明を出したりすべきではない。一国民としての意見表明は自由であるが。
 なお上記のアンケートで「憲法改正の必要性」の問いに対して、17人(14%)が「無回答など」となっているが、そのうちの5人が「憲法改正の必要性は国民が判断することであり、憲法学者が言うべきことではない」という趣旨のコメントを添えている。もっともな見識であると思う。アンケートへの協力を依頼した209人のうち、回答率は58%にとどまり、87人からは回答が得られなかった。これは、学者の回答を政治利用しようとしている朝日新聞への無言の批判が多かったからではないかと、私は推測している。
 この項の最後に、回答者の一人である井上武史氏の「附記」を全文引用する。

 

(おそらく貴社の立場からすれば、このアンケートは、憲法学者の中で安保法制の違憲論が圧倒的多数であることを実証する資料としての意味をもつのだと思います。しかし、言うまでもなく、学説の価値は多数決や学者の権威で決まるものではありません。私の思うところ、現在の議論は、圧倒的な差異をもった数字のみが独り歩きしており、合憲論と違憲論のそれぞれの見解の妥当性を検証しようとするものではありません。新聞が社会の公器であるとすれば、国民に対して判断材料を過不足なく提示することが求められるのではないでしょうか。また、そうでなければ、このようなアンケートを実施する意味はないものと考えます。)

 

【過去を忘れた人間の無邪気さ】
 平和安全法制を憲法違反だと回答した学者の多くは、学理上の見解を述べたにすぎないのだろうと思う。即政治的主張をしているわけではない。他方、護憲の立場からこの法案の廃案を目指して活動をしている学者たちもいる。
 後世の護憲論に多大な影響を残したのが、憲法学者宮澤俊義を学祖とする学派である。宮澤俊義は戦前以来変節を繰り返してきた学者であったが、最終的に「八月革命説」に立った憲法学を打ち立てた。「八月革命説」とは、1945年8月のポツダム宣言受諾によって天皇主権の国家から国民主権の国家に変わったのを「革命」と捉える考え方である。政治学では丸山眞男がこの立場である。平和安全法制に反対の意思表明をしている政治学者には、丸山学派の流れを汲む人たちも多い。
 彼らは ― 憲法学者も政治学者も ― 1945年8月を日本の始点と捉え、それ以前を過ちの時代とする。そこには、列強の植民地とされる危機を乗り越えて近代化に邁進し、第一次大戦後は迷走を重ねて破局へと向かった日本を、欧米の史観で見る眼はあっても、戦わざるを得なかった(そして敗れざるを得なかった)日本の立場から捉えなおす史観が欠落している。
 1930年に『大衆の反逆』を著したスペインの哲学者オルテガは、20世紀になって現出した大衆社会の病理の原因のひとつを、19世紀後半の指導層の間で「歴史的文化」の喪失が蔓延したことに見出している。
 1945年8月を日本の始点とするような平板な歴史観(それは「歴史観」の名に値しないだろうが)が、9条を持つ憲法を理想化する。その理想が、諸国家あるいは勢力が武力を振りかざして対立する21世紀の現実を見えなくさせている。オルテガの言葉を借りて言えば、「過去をもたない、あるいは過去を忘れた人間の無邪気さ」である。
 安保法制反対の活動を精力的に展開しているある著名な政治学者は、自分たちが戦後の政治学を研究してきたのは民主主義を守るためだったのだ、同調しないものは政治学者を続ける資格がないとまで断言する。そしてそんな学者の研究のために税金を投入するなと言う(ツイッター2件を要約)。これを全体主義という。異なる意見の存在を許さない。これがリベラルを自認している人の正体なのだ。
 安保法制反対の“空気”が広く大衆を覆っている。歴史観を持たず、戦争の悲惨さを繰り返し放送する8月のTVで歴史を学んだつもりになり、「戦争法案反対」の声を上げる大衆が醸し出している“空気”、その“空気”は全体主義の格好の土壌となるものだ。
 平和を守ろうとする政治の努力を蔑視してはいけない。ものを言いたければ、同時に考えなければいけない。思考を麻痺させたままスローガンを唱和してはいけない。そして若者は“ハーメルンの笛吹き男”に惑わされてはいけない。
(了)